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煩悩の洗礼

 自分の村が普通ではないと自覚したのは、確か小学校の二年生になったばかりの頃だったと思う。

 




 小学校は、村から出て町の子供たちと同じところへ、長い距離を歩いて通った。


 入学式の前日の夜、珍しいことに私は主役として、村の皆の前で壇上に立って挨拶をした。大人たちは一様に、期待と慈愛に満ちた目で私を見上げていた。


「町にはね、人を変な依存に引きずり込もうとする、悪い誘惑がたくさんあるんだ。けれど、君たちならそれを跳ね除けられる。外の汚れに染まらず、正しく生きるための、立派な冒険者なのだから」


 大人たちからそう熱っぽく応援され、小さな胸が誇らしさでいっぱいに満たされたのを、今でもよく覚えている。



 だから一年生の時は、むしろ周りの皆の方がおかしい、可哀想な存在なのだと思っていた。


 なぜ「それは私の鉛筆だから勝手に使うな」などと、浅ましいことで怒るのか。なぜ毎日、自分の母親や父親とばかり過ごしていて、まだ親離れができていないのか。


(自分のもの、なんてそんなのおかしい。皆のものでしょ。友達と分け合えないなんて、恥ずかしくないのかな)


 村で教わった「正しさ」という盾を持っていた私は、クラスメイトたちをどこか哀れみの目で見ていた。



 私は、いかに自分の村の生活が豊かで楽しいか、クラスメイトたちに無邪気に話して回った。

 クラスメイトたちは、自然に囲まれた場所で、すでに「仕事」という立派な責務を任せられている私の話を、素直にすごいねと褒めてくれた。


 「村に行ってみたい!」と、目を輝かせて言ってくれた子たちもいた。

 嬉しくなって村の大人に話すと、「いつでも来たらいい、皆を連れておいで」と満面の笑みで快諾してくれた。私たちは子供たちだけで、勝手にカレンダーを見ながら遊びに来る日にちも決めた。



 しかし、数日後。楽しみにしていた約束は、あっけなく破られた。


 みんなが一緒によそよそしい顔で、「やっぱり行けない。親に駄目だって言われた」と口を揃えて断ってきたのだ。



 私はそれがとてもショックで、悲しくて、クラスの先生に泣きついた。けれど先生は、面倒臭そうに言葉を濁すばかりで、何もしてくれなかった。





 そして二年生に上がり、クラス替えがあった。

 新しいクラスには、ひときわ華やかで、キラキラしている女の子たちが集まっていた。



「ねえねえ、茅野さんってさ、なんでいつも同じ服着てるの? 貧乏なの?」


 ある日の休み時間、私はその女の子たちに、そんな風に真っ直ぐに尋ねられた。



 私は激しく混乱した。それまでの人生で、自分の見た目と他人の見た目を比べたり、気にしたことなんて一度もなかったからだ。

 村ではみんな、色褪せてくたびれた同じような服を、誰のものでもなく順番に着ていた。それが当たり前だった。


「え?あ、えっと、それは……ははっ、あ〜」


 良い説明ができずに、引き攣った笑顔で誤魔化す私を見て、彼女たちは冷ややかに顔を見合わせた。



「ねー、キモいって。行こう」


 クスクスと品定めするような笑い声を残して、彼女たちは去っていった。



 頭がカッと燃えるように熱くなり、目が潤んでいくのが分かった。

 言い訳を探している時点で、本当は「自分の方が違うのだ」と気づいていたのに、ずっと見ないふりをしていたのかもしれない。



 意識して見回してみれば、自分以外のクラスメイトたちは、みんなおろしたての新品のような、綺麗な服を着ていた。

 私のように、すり減って泥の染みがついた使い古しのスニーカーを履いている子なんて、一人もいない。


 可愛い柄付きの鉛筆、甘い匂いのする消しゴム、流行りのキャラクターがついた筆箱――そのすべてが羨ましくて、眩しくて、胸が苦しくなった。




 飛び交う会話だって、私の知らない言葉ばかりだった。


「昨日、ママがこのお洋服買ってくれた」

「今度の休み、家族で遊園地に行くんだ」

「シール交換しない?」

「今度のマックのおまけ、ポケモンだって!」


 ママ、家族。遊園地。シール交換。マック、ポケモン……。


 聞こえてくるエピソードのすべてが、私にとってはまるで別世界の、お伽話の出来事のようだった。



 女の子たちの髪の毛に目を向けると、カラフルでキラキラした飾りのついたゴムできれいに結ばれていた。そして、みんなの髪は信じられないほどさらさらで、お日様の光を浴びて天使の輪のように綺麗に光っている。


(なぜ、あんなにもさらさらで綺麗な髪の毛なのだろう?)


 村での私たちは、髪の毛を洗うのは週に一回と決められていた。それも牛の乳と灰で作られた特製の石鹸を使って、身体と一緒に洗うだけだった。

 洗い上がりはごわごわとしていて、あんな風に風になびくさらさらの髪にはならない。


 ママ――私を産んだという母親には、年に数回、決められた面会日に会う機会が設けられるだけだ。





 どうしてなのか、本人たちに尋ねてみればいい。

 ただそれだけのことなのに、当時の私の胸の奥には、どろりとした重い感情が湧き上がっていた。

 なぜだか、それを聞くこと自体が「ひどく恥ずかしい事」のように思えて、口が裂けても言えなかった。




 それ以来、私の胸には黒いシミのような不安が広がり続けた。


 何かをしたり話したりする度に、おかしくないか、浮いていないか、笑われているのではないか、そればかりが気になる。


 そう思うと、学校の教室にいるだけで心臓がバクバクと痛いほどに脈打ち、ますます挙動不審になっていった。視線をどこに合わせればいいのかも分からず、話しかけられても上手く笑えない。


 私の話し声は極端に小さくなり、ある時、男子生徒から「聞こえませーん! もっと大きな声で喋ってくださーい!」と大声で叫ばれ、クラス中がドッと沸いた。





 悪循環に陥った私は、クラスの中で完全に浮いた、誰からも話しかけられない透明な存在になっていった。


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