ユートピア
物心ついたその時から、私の世界は「そういうもの」として存在していた。
それが世間一般の基準から見れば、いかに奇妙で、いかに特異なものであるかなど、幼い私に気づけるはずもなかった。
見上げるほどに豊かな山の麓。
四季折々の色彩を見せる美しい大自然に抱かれたその場所で、私は十人そこそこの子供たちと一緒に、毎日ただ泥だらけになりながら、がむしゃらに大地を走り回って過ごしていた。
そこには、世間で言う「家族」という明確な境界線は存在しなかった。
私たち子供を育てる大人は何人もいて、誰が誰の血を引いた親なのか、そんなことを深く考える必要すら、当時の私たちにはなかったのだ。
目の前にいる大人はみんながみんなの親であり、共に育つ子供たちはみんなが私の兄弟だった。
毎朝、日の出と同時に私たちは目を覚ます。
そして、眠い目をこすりながら全員が広場へと集まり、「朝の会」に参加する。
大人も子供も、その集落に生きるすべての人間が肩を並べ、今日という新しい一日に、そして生かされていることに深い感謝を捧げるのだ。
それが終われば、ひんやりとした朝の空気の中で体を動かして体操をし、それぞれがその日に与えられた持ち場の仕事へと散っていく。
まだ小さな頃の私は、体格の大きな年上の子供たちの後ろを必死に追いかけ、畑の草むしりをしたり、鶏たちの羽音に怯えながら鶏小屋の見回りを手伝ったりするのが日課だった。
子供たちの世話をしてくれる大人の中には、時折感情の起伏が激しく、ヒステリックに声を荒らげる人もいたけれど、そんな日は子供同士で目配せをし、「今日はハズレだね」と小さく囁き合う。
そんなちょっとした秘密を共有することも、当時の私たちにとってはささやかな楽しみだった。
その村には、「自分のもの」という私有の概念が取り払われていた。
着ている素朴な衣服も、木を削って作られた温かみのあるおもちゃも、身の回りに転がっているすべてのものは、その時にそれを必要とする人が、必要な分だけ共有して使うのが絶対の決まりだった。
誰かが何かを独り占めすることは決して許されなかったし、そもそも「自分だけのものにしたい」という独占の欲求や発想すら、当時の私たちに湧くことはなかった。
土の恵みを受けて育った畑の新鮮な野菜、毎朝鶏小屋から回収する、温もりが残る卵。
そして、自分たちの手で大切に、我が子のように育て、最期は命に深く感謝しながら自らの手で屠殺した動物たちの肉。
すべては一度、村の大きな一つの場所に集められた。そして、全員に均等に分配されてから、ようやくみんなの口へと入った。
みんなで汗を流して働き、みんなで等しく分け合い、みんなでひとつの大きな屋根の下で眠る。
私はそんな、閉じていて、けれど満ち足りた村で育った。
もしもあのまま、外の世界に広がる全く違う価値観を知らずにいられたなら、もしかしたら死ぬまで幸せなままでいられたのかもしれない。そう思うほど、そこはある意味で歪に、けれど完璧に完成された一つの社会だったのだ。
そう、私は確かに幸せだった。
——あの、小学校の二年生の夏までは。




