悪女たち
——命を救われた。
その安堵が全身から抜けるよりも早く、モナの鋭い本能が目の前の現実に警鐘を鳴らしていた。
貴族が身分も知らぬ平民の娘を気まぐれで助けるなど、あり得ない。そこには必ず、対価に見合うだけの「利用価値」があるはずだ。
へたり込んだままのモナを見下ろし、馬車から降りてきた高貴な女性は、薄く冷ややかな笑みを浮かべた。
その眼差しは、人間を見るそれというよりも、手頃で便利な道具の品定めをする商人のそれに近かった。
「命が惜しければ、私の言うことに従いなさい。あなたを救った見返りに、少々協力してもらいたいことがあるの」
女性は絹の手袋に包まれた指先で、モナの顎をクイと持ち上げた。
モナのホワイトブロンドの髪と、その奥に隠された、貪欲な光を宿す瞳をじっと見つめる。
「これから半年。死ぬ気で、可能な限りの知識をその頭に叩き込みなさい。そして、特別枠の特待生として、アズール学園へ編入するのよ」
「……は?……学園、に?」
思わず掠れた声を漏らしたモナに、女性は冷酷に言い放った。
「私の後ろ盾があれば、身分を整えて学園に入り込ませることなど造作もないわ。ですが、いくら私が手を回したところで、あなた自身に最低限の読み書きや貴族の一般常識がなければ、周囲に一瞬で怪しまれて破綻する。だからこそ、死ぬ気で学びなさい。チャンスは一度きりよ」
女性はモナの顎を放すと、満足そうにフンと鼻を鳴らした。
「一度入学してしまえば、あとはあなたの独壇場でしょう? 事前に調べさせてもらったけれど、あなた、男を騙して金を巻き上げるのが得意だそうね。あなたの持つその人心掌握術があれば……温室育ちの世間知らずな貴族の子供たちなど、簡単に落とせるはずよ。あなたにとっても、悪い話ではないでしょう?」
(なるほどね。この女、私を『毒婦』としてあの学園に送り込みたいわけだ)
モナの頭は、またたく間に女性の意図を察知した。
貴族の権力闘争、あるいは派閥争い。そのための便利な駒として、自分の美貌と、人を操る技術を買われたのだ。
断る選択肢など、最初から存在しない。
ここで断れば、先ほどの男に引き渡されるか、あるいはこの場で騎士たちに「処理」されるだけだ。
「……承知しました、奥様。何でもお言いつけどおりに」
モナは従順な子犬のような目を向け、路地裏の汚れた床に深く頭を垂れた。その顔に、野心の滲む笑みを浮かべながら。
馬車へと戻っていく女性の背中を見送りながら、モナは貴族女性が薬指にはめていた指輪のレリーフを思い出していた。
この国の人間なら、知らぬ者はないだろう。
それは、長き伝統を誇る名門の――モンテーニュ家の家紋だった。
(モンテーニュ家みたいな大貴族が裏で手を引くなんて、よっぽどの事よ……アズール学園ならば、今第二王太子が在籍していたはず。危ない橋に違いない——だけど、私は勝ち馬に乗って成り上がってみせる)
モナはホワイトブロンドの髪をそっと指で弄びながら、底知れない欲望を胸に、貴族社会という新たな戦場へと一歩を踏み出す決意を固めるのだった。




