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狼と猟犬

 記事にするための視察と称し、孤児と同じ修道院に滞在し始めて数日。

 ルイスはおとなしく指示に従い、薪割りや薬草の運搬といった教会の雑用を率先してこなしていた。




 アストリッド教会は辺鄙な場所にあるせいか、真面目に通う信者はエマ以外にはほとんどいなかった。

 物乞いのような、とても信者とは呼べないような底辺層の人間は配給目当てに度々訪れるが、ボランティアを希望してやってくる高位の人間たちは、孤児の相手や農業などの肉体労働が性に合わず、すぐに来なくなるのだった。


 だからこそ、エマがこの教会を訪れ、聖女として崇められるに至った事は、皮肉にも神の思し召しのようにも思えた。




 ルイスの下町育ちの荒っぽい性格は、品行方正な聖職者ばかりのこの場所において浮き上がるかと思いきや、意外にも孤児の子供たちに大人気だった。

 気取った貴族のボランティアとは違い逞しく、草を蹴って全力で走り回るルイスに、子供たちはすぐに懐いたのだ。





「おい、待てこらぁ! 泥団子投げつけやがって! この服、新品だったんだぞ!」


「うわーっ、ルイス兄ちゃんが来たぞ! 囲めー! 第一陣、行けー! 第二陣は高台で待機だ!」



 薬草園の脇の広場で、相変わらず軍旗を振るって遊ぶ子供たちと派手な追いかけっこをしてひとしきり暴れた後、ルイスは芝生にドサリと仰向けに寝転んだ。


 呼吸を荒くして隣に転がってきた子供の頭を乱暴に撫で回しながら、ルイスは世間話のトーンで、自然に探りを入れてみる。



「なぁ。お前たち、ここでの生活はどうだ? 楽しいか?」


「うん! 神父先生は時々厳しいけど、毎日ごはんも食べられるし、ちゃんとした服も着れるし、夜はふかふかのベッドで寝られるんだ!」


「そうそう! エマ様もお勉強を教えてくれて、お姫様みたいですっごく優しいんだよ!」




 無邪気に笑う子供たちの言葉に、嘘や怯えの気配はない。


 ルイスは寝転んだまま、小さく鼻を鳴らした。

 食事、衣服、寝床。スラムのドブネズミたちなら喉から手が出るほど欲しい衣食住の保証。

 新興宗教が貧困層を囲い込み、強固な支持基盤を作るための、まさに教科書通りの「善行」だ。外から見る限り、ここは完璧に理想的な孤児院として機能している。


 だが、そんな賑やかな輪から、常に一線を引いている存在がいた。


(……あの子供だけは、相変わらずだな)



 木陰の特等席で、分厚い書物を膝に置いてこちらをじっと見つめている少年――レオンだ。



 ルイスは起き上がり、ふらりとレオンの元へ歩み寄って声をかけてみた。


「よお、レオン君、だよな。君は皆と一緒に遊ばないのか?」


 だが、レオンはルイスの顔をじっと見つめると、何も答えず、静かに本を閉じてその場を立ち去ってしまった。



(何も喋らないが、あの子供はエマ令嬢とやたら親しかったはず。俺の正体でも疑ってんのか? それともエマ令嬢に……)


「レオンは、人見知りが激しい子なのですわ」




 不意に背後からかけられた涼やかな声に、ルイスは内心驚きながらも、表情だけは緩く崩して振り返った。


 いつの間にか、エマがそこに立っていた。


 相変わらずの、どこか浮世離れした聖女の佇まい。だが、ルイスを見る彼女の青い瞳は、やはり薄氷のように冷たい。



「これは、エマ令嬢。いや、ボランティア中はエマ様、と呼ぶべきでしたね。記者としての取材も兼ねて子供たちと遊んでたんですが……いや、本当に素晴らしい。子供たちのあの笑顔、嘘偽りのない『救い』がここにはありますね!」


 ルイスは調子よく揉み手をしながら、エマの反応を窺う。


「エマ様、失礼ながら、貴方の事を調べさせていただいたんですが……婚約者に浮気されているっていうのは、本当ですか?貴方のような美しい人を差し置いて、ひどい男ですねぇ」


 ルイスは軽薄な笑みを浮かべ、あえて気分を害するような話題を出した。


「俺だったら絶対そんな事しないですよ。——良かったら今度、街でお茶でもしませんか? 貴族令嬢は見聞きした事もないような、刺激的な話をたくさん聞かせて差し上げますよ。……こんな教会よりも、もっと楽しい気晴らしの方法とかね」


 ルイスは甘い囁きを投げかけ、わざとらしく胸元に手を当てる。金色の瞳が、獲物を一度噛みついたら離さない猟犬のように妖しく細められる。下町で磨き上げた、女心をくすぐるための「偽り」の仕草だ。



 それにエマは動揺する素振りもなく、至近距離まで歩み寄ると、歓喜の弧を描く完璧な「笑顔」のまま小首を傾げてみせた。

 さすが伯爵令嬢というべきか、その可憐な笑顔にルイスは一瞬見惚れた。だが、エマは弾むような美しい声のトーンのまま、淡々と冷ややかに言葉を紡ぐ。



「あら、それは素敵なご提案ですわね。興味深いですわ。――ところで、ルイスさん。記者様が満足するような『記事のネタ』は、もう十分に集まりましたかしら?」


「はは……いや、手厳しい。俺はこれでも大真面目に――」


「いつまでそうやって首を突っ込んでくるつもりなのですか?」



 エマはルイスの言い訳を、柔らかな、しかし有無を言わせぬ微笑みで遮った。


「ここは神聖な救いの場。これ以上、熱心な信徒でもない方がふらふらと踏み荒らしていい場所ではありませんの。目的がお済みでしたら、どうぞお早めにお帰りになって。お仕事でお忙しい記者様を、これ以上お引き連めしては申し訳ありませんもの」



 口調こそお淑やかで丁寧だが、その内容は「用が済んだならとっとと出ていって」という、冷ややかな拒絶そのもの。

 その冷徹な視線が、ルイスの腹の底を見透かそうとするようにじっと注がれている。



(……目元が完全に『余計な真似したらタダじゃおかねえ』って言ってるんだよなぁ、お嬢様)



「――まだやる事が残っているのでね。肝に銘じておきますよ」


 ルイスはゴシップ記者の皮肉げな笑みを貼り付けたまま、おどけたように両手を挙げて身を引いた。




 エマはそんなルイスを意にも介さず去っていった。

 その後、神父ラファエルを見つけた彼女はその元へと駆け寄ると、先ほどまでの冷徹さが嘘のように消え、頬を赤らめた幸福感に満ちた笑顔を見せていた。


 その光景を見て、ルイスは合点がいったように鼻先で笑う。


(ああ、なるほど。だから俺になんて微塵も靡かないわけだ。あんなわかりやすい悪い男に騙されて、箱入りはこれだから)


 高潔で世間知らずな令嬢が、一人の男にだけ見せる無防備な顔。それを理解した直後、ルイスの背筋に蛇に睨まれたような悪寒が走った。



 ラファエルが、エマを慈しむような手つきで髪を撫でながら、ルイスの方を一瞥したのだ。その眼光には、侵入者を排除しようとする猛獣の如き敵意が宿っていた。


(……聖職者の癖に、感情だだ漏れかよ。……これは、思っていたよりも――だいぶ面白いことになってやがる)

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