聖域の門番
アストリッド教会の内部へ潜入するにあたり、ルイスはあえてゴシップ記者の体は崩さず、聖アリア教をテーマにした記事を書きたいと直談判する筋書きを選んだ。
不審がられずに懐へ潜り込むには、これ以上ない便利な肩書だった。
重厚な教会の扉を叩くと、出迎えたのはいかにも優しげな若い神父だった。
「あ、すみません! 私、サリヴァン新聞社のルイス・アークライトと申します」
ルイスは懐から胡散臭い名刺を差し出し、調子のいい笑みを浮かべて自己紹介をした。
「ああ、サリヴァン新聞社……ですか。なるほど」
サリヴァン新聞社は、決して架空の組織ではない。王都の片隅で実際にゴシップ紙を発行している、裏社会では有名な情報屋の隠れみのだった。
ルイスはそこの編集長と昔馴染みであり、こうして市井に潜る際は時々名義を借りているのだ。
「最近、聖アリア教……こちらの宗教に関する色んな噂を耳にするもんですから、ぜひ修道院にお邪魔して、密着取材させていただけないかと。滞在費はもちろんお支払いします。あ、うちはジャーナリズム精神ってやつを大事にしてますのでね、中立な視点で判断させていただきますよ。この間も王立新聞の地方版の小さな記事で、異教として叩かれてましたよねぇ。実際のところはどうなのかな、と思いまして」
「うーん……お話は分かりましたが……ただ、僕一人の一存では決められませんね」
お人好しそうで、いかにも聖職者らしい柔和な風貌。だが、ルイスの目は誤魔化されない。
視線の微細な動かし方、こちらの腹の底を探るような言葉の選び方、そして時折見せる、計算高い計算された間。
(――へえ、面構えに騙されるところだったな。ただの木っ端の聖職者じゃねえ。相当に抜け目のない男だ)
ルイスは煽るようにその金色の目を細め、仕掛けに出る。
「……自分なりに、事前に聖アリア教の事をお調べしたんですが。孤児の支援など、行われている活動はどれも素晴らしかった。あんな風に適当に書かれて、悔しくはありませんか? 王立新聞社は大した調査もなく、勝手にあんな記事にして……酷いとは思いませんか?」
神父ラファエルは、その露骨な挑発にも動揺する素振りすら見せなかった。ただ、その瞳の奥だけは、一切笑っていないように見えた。
「困りましたね。しかし、私たちはどんな方でも受け入れることを信条としておりますから……良いでしょう。ただし、大した記事にはならないかもしれませんが」
「そいつはありがたい。では、今から少し中を見回らせてもらっても?」
ルイスは愛想のいい一礼をすると、教会の奥へと歩を進めた。
しばらくして、薬草園へと続く静かな渡り廊下の近くで、ルイスの足が止まる。
ひんやりとした空気の向こうに、お目当ての令嬢――エマの姿があった。
彼女はどこか、浮世離れした静謐な雰囲気を纏っている。その傍らには、彼女を慕うようにじっと佇む一人の少年の姿があった。
エマは少年の目線に合わせて優しく屈み、熱心に、そして酷く穏やかに何かを語りかけている。
ルイスはわざと革靴の足音を響かせながら、二人の元へと近づいていった。
「――やあ」
声をかけると、エマはハッとして顔を上げ、本能的に少年を背中に隠すようにして立ち上がった。ルイスはあえて粗野な態度を少し崩し、参ったというように頭を掻いてみせる。
「この間は悪かったね。急に変な男に声をかけられて、怖がらせちまっただろう」
「あなた、は……あの時の」
「いやさ、あの後、俺もどうしても気になってね。聖アリア教について自分なりに調べてみたんだ。そうしたら……いや、驚いたね。俺が間違ってた。ここは本当に素晴らしい、素晴らしい教会だ。記者の端くれとして、きちんと世間に真実を伝えないとと思ってね」
口から出まかせの嘘八百を並べ立てながら、ルイスは親しみやすい笑みを浮かべた。
一般論で言えば、教会にどっぷり浸かっている盲目的な信者なら、一度は否定した男が戻ってきて「真実を知った」と跪けば、新しい迷える羊の参入を諸手を挙げて喜ぶはずだ。
ましてや、それが教会の名声を高める記事になるとなれば、教団の宣伝工作として絶好の機会だ。……そう踏んでいたのだが。
エマの瞳を見た瞬間、ルイスは己の判断が甘かったことを悟った。
エマは一瞬の静寂の後、実にあでやかに、にっこりと微笑んだ。
「――まあ。それは本当に素晴らしいことですわ!」
弾むような、鈴の音に似た美しい声。
だが、その至近距離で彼女の顔を見つめたルイスの背筋に、ぞわりと冷たい戦慄が走った。
彼女は確かに笑っている。形よく整えられた唇は、歓喜の弧を描いている。
しかし、その奥にある昏い青い瞳だけは、一切の光を通さず、全く笑っていなかった。
(……なんだ、この目は)
喜びどころか、そこには明確な拒絶があった。
彼女にとってルイスは、歓迎すべき「迷える羊」ではない。
聖域を汚しにくる「侵入者」として、最初からその存在を完全に警戒しているのだ。
ただの盲目的な信者であれば、教義に沿って無条件に受け入れるはずの状況。だが、彼女はルイスの言葉に含まれる「嘘の匂い」を、獣のように嗅ぎ分けている。
(おいおい、洒落になってねえぞ……)
ルイスは内心の冷や汗を必死に押し殺し、教会の『聖女様』の完璧な笑顔を見つめ返した。
エマは、ルイスが少しでもボロを出せばその喉元に一気に食らいついてくるだろう。
この深淵に、彼女はもう両足とも引きずり込まれているのだと、確信せざるを得なかった。




