無垢なる侵略者
意外にもルイスの自室には無駄なものがなく綺麗に整っている。
塵一つない机、生活感の削ぎ落とされたがらんとした空間。その殺風景な部屋の椅子に深く腰掛け、彼は背もたれをきしませながら、アズール学園から回収されたばかりの調査資料に目を走らせていた。
手元にあるのは、例の「モナ・リビエール男爵令嬢」という、平民出身でありながら最近になって男爵家に養子縁組された編入生に関する記録だ。
「……ふん。特待生枠で編入してきたにしては、随分と薄っぺらい女だな」
ルイスは煙草の煙を吐き出して呟いた。
資料によれば、彼女は「特待生」という異例の枠で、本来なら平民など足を踏み入れられない貴族の最高学府に迎え入れられている。
さぞかし国中を探しても類を見ないほどの卓越した頭脳の持ち主かと思いきや、実際の成績は「中の上」といった程度。
突出して優れているわけでもなければ、落第するほど悪くもない。何か卓越した、特殊な技術があるわけでもない。
記録を見る限り、どこにでもいる平凡な娘でしかなかった。
「縁故入学か?相当悪目立ちしただろうな……」
ルイスは不愉快そうに鼻を鳴らし、今度は彼女の周囲を固める「取り巻きの令息たち」に関する素行調査の束へと手を伸ばした。
公爵家の次男、有力伯爵家の跡取り、工程が進めばこの国の中心に立つであろう王太子。そうそうたる高貴な血統が、軒並みその名を連ねている。
続いて、生徒たちから秘密裏に回収した聞き取り調査の記録に目を通す。
「『貴族の令嬢にはない気安さ』、ねぇ……」
報告書に躍る文字を、ルイスは苦々しく指先でなぞった。
身分制度が厳然として存在する貴族社会において、令嬢たちは常に厳格な礼儀作法と適切な距離感を叩き込まれる。
だが、モナという少女はそれを平然と無視し、貴族たちの懐へ躊躇いなく飛び込んでいったという。
ただ、妙なのはその先だ。
報告書に並ぶ記録をどれだけ精査しても、彼女が「身の程知らずで常識を知らない」という意見が一切出てこないのだ。
馴れ馴れしいのに、決して不快感を与えない。懐に踏み込んでくるのに、不思議と嫌味がない。
貴族の傲慢なプライドを刺激しない、絶妙な境界線上をふらふらと歩いている。
彼女と話した後には、「いい意見交換ができた」「彼女と話すととても楽しい」となぜだかとても満たされた心地になる。
モナの貴族的でない振る舞いでありながらも相手方に踏み込みすぎない丁度良いバランスに、最初は眉をひそめていた高貴な令息たちも、いつの間にか彼女を庇う熱狂的な信奉者へと変貌を遂げていた。
しかし、不可解なのは男たちからの寵愛だけに留まらない。モナのクラスメイトである他の令嬢たちからの聞き取りには、こう記されていた。
『モナさんは、始めはあざとく感じて正直好きではありませんでしたけど、話してみたら世間知らずなのにあっけらかんとしていて放っておけなくて。毒気を抜かれてしまったのですわ』
『よく気が付くし、何より正直で聞き上手なんです。彼女と話していると、なんだか妹ができたみたいで。そうそう、この間は私の誕生日だったのですが、あの子ったらわざわざ私の好きな紫色の薔薇モチーフの髪留めを探してきたのですよ。好きな花の事なんて、話した事も覚えていないような、ちょっとした世間話の一つでしたのに』
『以前彼女は、成り行きでこの学園に入学できたけれど、分不相応だと思っている。卒業したら養女にしてくれた男爵の分家に嫁いで田舎に行くのだ、と言っていました。嘘をついているようには思いませんでした』
『婚約者のいる男性と懇意にするのは褒められたことではありませんが、男女関係なく友情を育む市井の文化で育ったのですから仕方がない部分もあるのでは?きっと本人にはその気はないのでしょうから』
「——男をたぶらかす悪女かと思えば、同性からの評判もすこぶる良い、か……」
ルイスは資料を机に放り出すと、顎の無精髭をさすりながら天井を見上げた。
ただの男好きなら、とっくに貴族令嬢たちの苛烈な嫉妬と嫌がらせに遭って、制圧されているはずだ。
にもかかわらず、彼女は全方位に「いい子」として受け入れられ、完全に学園の中に溶け込んでいる。特別な才覚がないにもかかわらず、だ。
(自覚の有無はともかく、人の心にうまく滑り込む話術の天才の類か。あるいは……)
ルイスの脳裏に、あの夕暮れの教会前で、狂信的な笑顔を浮かべて自分の忠告を冷酷に撥ね付けたエマの姿が蘇る。
エマ伯爵令嬢の婚約者であるライアン・バルゼー伯爵令息については、ここ最近モナと急接近していたという記録があった。王太子と仲を深めつつあったモナに忠言していたという目撃報告もあるが、うまく丸め込まれたのだろうか。
「エマ令嬢は婚約者の心離れに独り悩んだ結果、教会に取り込まれたってところだろうな。モナとの接点はなさそうだが……」
モナとエマ。
この二人の背景に何らかの繋がりを感じ取り、ルイスは急速に警戒の度合いを強めていくのだった。
「……まずはあの教会から探ってみるか」
ルイスは小さく呟くと、机から足を下ろし、コートを掴んで立ち上がった。




