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猟犬

 人もまばらな王都の一角。


 場末の酒場の店先では、安酒に酔って店の立て看板にぶつかり自業自得の怪我をした男が、その怒りを看板に乱暴に蹴りつけては仲間に宥められていた。その脇のぬかるんだ路地では、帰る家もないアルコール依存症のみすぼらしい男が、施しを求めて通行人に金をせびっている。



 ルイスはそんな光景には少しも心を動かされる事なく、無視して店内に入っていった。


「よお、ルイス。兄さんは先に奥に通してるぜ」


「……ああ、いつもすまない」


 顔まで入れ墨の入った屈強な店主が、顎で奥の薄暗い個室の方を指し示す。ルイスは店主に軽く会釈をして、指定の場所へ向かった。




 個室の扉を開けると、一人の男が手元の羊皮紙に鋭い目を走らせていた。仕立ての良い漆黒の外套を深く被っているが、フードから覗く形の良い口元と細い顎先からは、隠しきれない洗練された気品がうかがえる。


 一方でルイスは、顎に無精髭を蓄え、着古した煤けたコートを羽織り、手入れのされていない黒髪はぱさついて伸び放題だ。



 まるで接点のなさそうな二人だが、店主が慣れた様子で案内するところを見ると、長年の付き合いであることは明白だった。





 ルイス・アークライト。それが彼の名だ。



 一見すると世間の裏を嗅ぎ回る三流ゴシップ記者のような、あるいは金で何でも請け負ういかがわしい何でも屋のような風貌だが、実のところ彼は裏社会の住人ではない。


 王立軍の特殊情報部に所属する若き上級調査官――それこそが彼の、表には決して出ない真の顔だった。ルイスの退屈そうに濁った金色の瞳の奥には、獲物を決して逃さない猛禽類のような鋭さが隠されている。



「……相変わらず、ひどい身なりだな。もう少し身だしなみに気を遣えと以前も言ったはずだが」


 対面に座る男が、あきれたように溜息を漏らす。



 この国の第一王子であり、ルイスが影から仕える絶対の主――アイルハルト殿下その人であった。



「それは、すみません。一回家に帰って着替える時間がなかったもので。……ですが殿下、あなたのような格好でこんな場所にいる方がよっぽど目立ちますよ。どこで誰に見られているか、分かったもんじゃないんですから」


 ルイスはため息をつくと、椅子の背もたれに深く体重を預けた。



 粗野で、王族を前にした態度としては到底許されない態度。王城の謁見の間であれば、即座に不敬罪で首が飛ぶだろう。だが、アイルハルトがそれを気にする様子は微塵もなかった。


 アイルハルト自身が、この男のこの態度を、そしてこの男の「価値」を誰よりも認めているからだ。






 ルイスは、現国王の問題児である遠縁の男が、市井の女に産ませた「婚外子」だった。


 王族の血が流れているなどとは露知らず、彼は治安の悪い郊外の貧困街で育った。


 お忍びで城下町の祭りに参加した身分の高い男が、そこで意気投合した町娘にたった一夜手を出した結果生まれた、望まれない子供。


 王家の影からその報告を受けた当時の上層部は、事実の露呈を恐れ、手切れ金として母親に備蓄予算から金を握らせて黙らせた。父親の正体を知りたがった母親に教えられたのは、「さる高貴な御方」という言葉だけ。



 母親は、幼いルイスにいつも「あなたには気高い血が流れているのよ」と言い聞かせた。実際、ルイスの瞳は貴族に多く発現する美しい金色をしていた。



 だが、剥き出しの暴力が支配する貧困街において、その気品ある瞳は良い結果をもたらさなかった。

 いちゃもんをつけられ、からかわれ、目をつけられる原因にしかならなかったのだ。


 そんな環境を生き抜いたルイスは、貴族社会の欺瞞と裏社会の闇を誰よりも知る男となった。明晰な頭脳と実力を併せ持つ配下を探していたアイルハルトにその才能を見出されたのは、ある意味で必然と言えた。




「軽口はそのくらいにしろ。……例の調査はどうなってる?」


 アイルハルトの声音が、一段と低くなった。



 ルイスもまた、視線だけを真っ直ぐに主に据える。


「……例の新興宗教の件、ですね?」


「そうだ。聖アリア教。元はしがない地方の小さな教団だったはずが、ここ数年で急速に信徒を増やしている。近頃はただの平民だけでなく、有力な商家や、果てはアズール学園に通う若き貴族の令息や令嬢たちが、にわかにあそこに引き込まれているという報告がある」



 アイルハルトは懐から一通の封書を取り出すと、静かに机の上に滑らせた。


「単なる信仰なら、泳がせておいても構わん。だが、調査部が掴んだ情報によれば、あの教会の内部で、人間の精神に作用する『薬物』——あるいは強力な暗示の類が使われている疑いがある。さらに、資金の調達先が隣国との繋がりを示唆しているとも……」



 薬物、あるいは暗示。


 その言葉を聞いた瞬間、ルイスの脳裏に、先ほど教会前の街道ですれ違ったあの少女の姿が鮮烈によみがえった。

 虚ろで、どこか不気味な多幸感に満ちた笑顔を浮かべて歩いていた女。


 こちらの必死の忠告を「口出しするな」と冷酷に撥ね付けた、あの他者を完全に排除するような拒絶の瞳。



(なるほどな。あのご令嬢も……すっかり、新興宗教の洗脳にやられちまってるってわけか。哀れだな)


「さらに厄介なことに」と、アイルハルトは苦々しく言葉を継いだ。「我が弟……エマニュエル第二王子の周りにも、その教団の影がちらついている。アズール学園の編入生、モナという平民出身の娘を通じてな」


 ルイスの目が、すっと細められる。

 

「第二王子の派閥を取り込むための罠、あるいは国家を揺るがす壮大な陰謀……ですか。面白いですね。これほど退屈しのぎに最適な獲物もありません」



 ルイスは不敵な笑みを浮かべ、机の上の封書を掴み取ると、コートの内ポケットへとねじ込んだ。


「聖アリア教のトップと、そして裏で糸を引く信者どもの化けの皮、この手で完全に引き剥がして見せますよ」


 主への、形式ばかりの敬礼を残し、ルイスは席を立った。



 粗野な足取りで酒場を後にする彼の胸には、あの夕暮れに出会った令嬢の、ひどく不気味で美しい微笑みが、火種のように残り続けていた。


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