87.廃都ヴェルフェリア
ザナド帝国、西の都市ヴェルフェリア。
ここはかつて、栄光の都市と称された場所だった。
何百年も潤沢な資源に恵まれて、まだフォウ・ク・ピードが四つの国に分かれていた頃より栄えて続けていたが、今となっては見る影もない。
何千、何万人といた住人と、絢爛たる建造物は一夜にして滅びたのだ。
眩いほどの瓦礫の都市。その中心に未だ残り続けるのはヴェルフェリアの城塞。
その付近に降り立ったエイジらは、凶大なプレッシャーをその内部から痛いほど感じ取っていた。
「……な、によこの感じ」
レンティアの脚が無意識に震えて、止まらない。
サウスガルムのリヴァージュ遺跡にて上位五竜種の黒竜と対峙した時でも、ここまで本能に訴えかけるプレッシャーは感じなかった。
圧倒的な生命の危機を感じさせる殺気。殺気と形容するのも烏滸がましいほどの圧力。レンティアだけではなく、ロイも額に冷や汗を浮かべ、フォウの白く長い髪が外側にはねる。
「四王に会うのはわしも初めてじゃが、まさか面を拝む前からこれほどプレッシャーを感じるとはのぉ」
「プレッシャーなんてものじゃないねこれは。気力みたいなものが、空気に喰われていく感覚だよ……」
「……っ、寒気が、するわ」
四人の中でもフォウだけはまだ余裕を感じさせる微笑を浮かべている。
エイジも表情を強張らせているだけで震えもしなければ、怖気づいている様子でもない。
しかし、内心ではロイの言ったような感覚を味わっていた。
ゆるりと自分が死んでいくような、今まで出会ったどんな竜よりも圧倒的で禍々しいプレッシャー。
「……しかし妙だな、フォウ」
「うむ、日和って気づいておらんわけではないようじゃな」
「どういうことだい、二人とも」
「ここには間違いなく四王がいる。だというのに、周りに竜が一匹もいないのはどう考えてもおかしい」
エイジに言われて、ロイも気づき周囲を見渡す。
所々隆起した石畳が続く道沿いには、崩れ落ちた建造物の骸が横たわり、見晴らしがいいにも関わらず竜の姿は影さえ見当たらない。
ここへ来る前には、空を飛んでいたフォウたちを襲ってきた竜が大量にいたというのに、あきらかに不穏である。
「い、いないに越したことないじゃない」
「四王は四地方それぞれの竜を束ねる存在じゃぞ? 配下の竜に主を守らせん王などおるか?」
「普通に考えれば有り得んな。……何かの罠か」
エイジはそのとき、イスター地方で戦った竜のことを思い出していた。
銀の鱗を持つ幻竜イルシオン。今となってはその力もエイジの一部と化しているが、彼の竜は幻を操り、姿と気配を完全に隠匿していた。
もしかするとこの周辺にも同じような力を持つ竜がいて、姿を隠しているだけなのかもしれない。
エイジは身構えて、背負った大剣の柄を握る。
「どこにいる……?」
エイジに続き、ロイも拳銃を取り出し、レンティアは腕の弦に矢をつがえた。
そして、彼らの頭に突如として声が響く。
『――よく来た。竜殺しとその仲間よ』
「っ……! この頭の中に直接響く声、竜子光を使った念話か」
フォウはいち早く声の正体に感づいたが、念話を初めて経験した三人は狼狽えた。
鼓膜から伝わるものではなく、まるで自分が心の中で呟いた独り言のような感覚で聞こえてくる、聞き覚えのない声。
ぞるりと嫌な感覚が背筋に走るようだった。
「誰だ……四王か!」
「よせエイジ。念話ということは、おぬしから呼びかけることはできん」
空気中に漂う不可視の物質、竜子光。
生物の意思や思考を乗せるとされているそれを使い、明確な言葉を乗せることが出来るのは強力な竜のみ。ただの上位種程度の竜には念話という高度な事は出来ず、人間にもそれを行うのは難しい。
四人の中で唯一、念話を送れるのはフォウだけだ。
彼女も口を閉じ、エイジたちを含めた周囲に伝わるように竜子光に言葉を乗せ始める。
『おぬしが西の四王か?』
『いかにも。念話を送れるということは、そなたが竜殺しと行動を共にしておる上位五竜種の白竜であるか』
『今はフォウと名付けられておる。おぬしの名も訊かせてもらおうではないか、名も、姿すらも見せたことのない王よ』
エイジは頭の中に響く声に集中するため、目を伏せてじっと待つ。
念話を聞くときはみな自然にそうしてしまうのだろう、ロイもレンティアも気づけば目を伏せていた。
そして、数秒置いたのちに、四王がその名を口にする。
『余の名はゾーン。袂別者ゾーンである』
「……ゾーン」
エイジたちが知りうる四王はこれで二体。
東の四王、禁ずる者ヴァスターク。
西の四王、袂別者ゾーン。
ゾーンはそのまま続けて、一方的にエイジへと語り掛ける。
エイジの言葉は伝えることが出来ないため、フォウが通訳を務めた。
『竜殺しの男よ。そなたの事は同胞より何度も聞かされておる。東の地にて、竜を殺して回っておったそうじゃな』
『こやつの目的は世界中の竜を全滅させることじゃからの。今からおぬしの首も斬り落としに行く。楽しみにしておれ』
『余の首を落とす、か。酔狂であるな竜殺しよ。それともただの狂人か』
ゾーンの声はひどく冷たく、そして起伏が無い。
感情の色が見えない声色が余計に恐怖を感じさせ、レンティアは下唇を軽く噛んだ。
『実を言うとな、余はそなたらを待っておった』
『出る杭を打つために待ち構えていたというわけじゃな?』
『否。わけわからずの錆びた杭ならまだしも、そなたらは十分な力を持っておる。五寸のそなたらならば、余の心髄に届きうるであろう』
「……何が言いたいんだ、こいつは」
エイジの中で四王のイメージは、言葉も常識も通じずただこちらを蹂躙する無慈悲なものだった。
しかしゾーンはすぐに何かを仕掛けてくるわけでもなく、のらりくらりとした様子でフォウと念話を続けている。
一体どういうつもりなのか。エイジとしては四王と話すことなど何も無い。ただ斬り裂き、抉り、引き剥がし、復讐の刃を突き立てるのみ、それだけの存在である。
姿を見せずにただ声だけを伝えてくるゾーンに、エイジは苛立ち始めていた。
すると、その苛立ちが竜子光に乗ったのか、ゾーンが言う。
『それほどまでに余を殺したいのであるか。よい。ならばこちら側へ来てもらおうではないか』
「なに……?」
『余は袂別者である。竜殺しと白竜よ、そなたらだけをこちら側へ袂ける。残りの二人は……余が求めておる人間ではないな。そこで竜の餌になるがよい』
「おい、それは一体どういう――!」
瞬間。
エイジとフォウの姿がその場から一瞬で消え去った。
瞬きのあいだに、まるで最初からそこに誰も居なかったように、影も残らず消えてしまったのだ。
「え……? ちょ、ちょっとエイジ!? フォウ!?」
「これは……何が起こったんだ」
レンティアとロイが周囲を見回しても、どれだけ呼びかけようと、どこにも二人の姿はなく、声も返ってこない。
いや、別の声は返ってきた。そして、別の影も、歪んだ宙に浮かぶ螺旋から這い出てくる。
「――グルァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
取り残された二人の周りを、異空間から這い出た数十の竜が取り囲む。
何が起きたのか理解は追いつかない。しかし、彼女らの本能は正常に働いた。
レンティアが矢をつがい、ロイが召喚紋を青く光らせる。
絶命の危機に瀕した状況で、竜たちの絶叫が廃都の中に木霊した。




