62.ブラックアウト
セルギウスグラードから歩いて一時間半。ひたすら雪に足を沈めながら歩きつづけ、私たちは遂に竜の棲み処へとやってきた。
地下へと続く洞窟の入り口付近には竜の姿は無く、しかし付近を警戒しながら私たちはその洞窟の入り口へと近づいていく。
「入り口は思ったより大きく無いな」
「そうですわね。遠くからだとよくわかりませんでしたけど……躰の大きな竜は入れそうもないくらい」
竜にも体格差はある。竜獣は最大でも十メートルほどだが、上位種の竜となるとそれより大きいのはざらにいる。
この洞窟の入り口を見るに、巨大な竜は入り込んでいないだろう。
「ジゼルさん、入り口がこう狭いと中に上位種の竜はいないんじゃ……」
「……同感だ」
「いいや。小型の上位種も稀にいる。……この中にいることを願おう」
この洞窟の中に上位種の竜がいないとなると、作戦に支障が出てしまう。
竜を二匹捕獲すると言っても、それがどんな竜でもいいわけではない。竜を捕獲したあとどうやって砦まで運ぶか、という問題がある。
ただでさえ体格の大きい竜が二匹だ。巨大な荷車でもない限り運び出すのは至難極まる。そこで私たちが考えたのは、竜を運びやすいサイズにしてしまおうという事だ。
上位種の中でも特に力の強い竜は、変姿という能力を持っている。私はその変姿をサウスガルムで目の当たりにしたことがあった。上位五竜種の一角、緋竜ウィルクスカチュアだ。
変姿は、竜が人間の姿に化ける能力だ。どういうワケか変姿した竜はその体重すらも人間のモノに変わってしまう。変姿した二匹の竜、つまり人間二人だ。それならば私たち五人でも十分連れて帰ることができる。
上位種を見つけてもうっかり殺してしまいましたとならないように、全員に言い聞かせてある。ヴェインのような聞き分けのない奴はこの場に居ない。
私たちはゆっくりと、物音を立てないように洞窟の中へと足を踏み入れていく。
「入り口はまだしも……奥の方は真っ暗ですね隊長」
「ウェッジの火種を借りてきておいて正解だったな」
私たちの中で唯一煙草を吸うウェッジから借りてきたジッポライター。即席で作った松明にその火を移し、全員で洞窟内を照らしていく。
足元は砕けた瓦礫が敷き詰められている。恐らく竜が出入りする時に踏み均した痕だろう。私たちの靴は雪で濡れているから、一歩一歩気をつけて歩かないと容易にすくわれてしまう。
おもむろに奥へと向かいながら、足を滑らせないように気を付けろと私が言いかけたとき。アストが足を滑らせて、がちゃんと勢いよくひっくり返った。
頭はぶつけなかったようだが、アストは顔をしかめて腰のあたりを揉んでいる。
「いったぁぁ……! こ、腰が……」
「ちょっと大丈夫ですの!? もう、しっかりしてください……」
「す、すいません。なんか急に足元がぐらってなっちゃって」
「いくら足場が悪いからって、そこまで盛大にずっこける必要ないでしょうに……って、これは……?」
アストが持っていた松明は少し離れた位置まで転がり、地面を仄かに照らし出していた。
ステファーはその松明へと近づいていき、自らが持っていた松明の光も使ってそのあたりの地面をじっくりと見ている。
「どうしたステファー、何かあるのか」
「……階段ですわ、これ」
階段? こんな洞窟の中に?
私はステファーに近づき同じように辺りを松明で照らしてみた。
洞窟は先へ先へいくにつれて下へと傾斜しており、地面には確かに階段のような段差が奥へと続いていた。入り口の瓦礫と同じように竜に踏み均され、ほとんど坂のようになってしまっているが所々に原型が残っている。
「階段がある、ということは……ここは自然に出来た洞窟じゃあないのか」
「洞窟自体が自然に出来ていたとしても、階段があるなら人が行き来していたということですわ」
「……奥に何かがあるのか」
足元に注意しながら、私たちは洞窟を下っていった。
入り口からかなり離れて、外とは違う寒気が立ち込める。五人分の足音は完全に反響し、奥の暗闇へと消えていく。
そうしてしばらく歩くと、どうやら開けた場所に出たらしい。今まで松明の光で照らせていた天井が急に見えなくなった。松明で照らし出せないほど遠く離れているという事だ。
壁に剣の鞘をぶつけてみると、反響音はかなり高い位置まで響いていった。洞窟に入ってからかなり下へ下へと歩いていたから、地上まではかなり距離があると思われる。
そしてこの開けた場所に夥しい数の気配を感じた。私だけでなく、全員が。
松明の光などそう遠くまで届きはしない。周囲はほとんどが闇に包まれている。その闇の中から無数の殺気を感じる。
「備えろ」
私はそう言ったが、言わずとも全員が既に臨戦態勢に入っていた。
それぞれが距離を取り、抜剣する。もちろん私も同じように剣を取り、神経を尖らせる。
シュリアに視線を飛ばし合図を送る。両手を剣で塞いだシュリアは松明を口に咥え、私の視線に応えるように頷いた。
「火は絶やすな。上位種と思われる竜を見つけたら合図を送れ。アストは捕縛だけ考えて行動しろ」
「了解です……!」
「――散開っ!!」
私たちは四方に散り、竜の殲滅を開始した。
すぐさま八方から竜の咆哮が洞窟内に響く。叫びは壁に跳ね返り思わず耳を塞ぎたくなる。声だけで頭を思い切り殴られたようにも思えてくる。
私は暗闇の中へ突っ込む。私の前方から、仄かに赤い光が点滅を繰り返した。
来る。そうはっきりと頭で考えるよりも先に身体は動いた。神経に、細胞に刻みこまれた反射だ。身体を重心ごと傾けて右へ、右へ。歩幅を大きくして素早く右へ。
数瞬前まで私がいた場所へ目が眩むほどの光が放たれる。高熱が直後に押し寄せ肌を突き刺す。直撃を免れたとはいえ竜の炎は全てを溶かす高温。今のように十分距離を取っていなければ熱に中てられ肌が粟立つ。
炎が暗闇に呑まれてしまう前に私は竜の姿を見た。照らされたのは五匹の竜。一か所に固まっている。奴らの細長い瞳が私の視線とぶつかり合う。位置の把握はその一瞬で十分だ。
私は自らの剣を震わせる。甲高い振動音が鳴り、刃がぼやける。松明を上へと放り投げ私は暗闇へと身を沈めた。
闇の中で剣を振るう。確かな手ごたえがあった。竜の足を鱗ごと断ち切る感覚。少し遅れて私の顔に液体が散りかかる。構わずに私は腕を振った。二度、三度、四度。目では見えないが頭の中では確かに、一匹の竜の脚をずたずたに斬り捌いた。頭の中のイメージと同じように、竜は脚を失いその場にどん、と倒れこんだ。
間髪入れずに倒れた竜の体に足を掛ける。腕を下げたまま撫でるように竜の首を落とし、そのまま体を登っていく。ある程度の高さから飛び降りながら真っ直ぐに剣を振り下ろす。肉を裂く感覚と共に竜の叫びが上がる。首から腹にかけて剣の根元まで滑り込ませた。夥しい量の血が地面に零れ、剣を握る手が滑る。
暗闇はかえって神経が研ぎ澄まされる。遠くでシュリアたちが戦う音も鮮明に聴こえてくる。剣の弾ける音、竜の悲鳴、肉が裂ける音。音だけでなく気配も手に取るように伝わってくる。
私の後方から迫る竜の尾も見えていた。目ではなく気配で。私はその場にしゃがみこむ。竜の尾が私の上を通り過ぎる瞬間を見計らい剣を払う。容易く尾は千切れ地面に転がりびたりびたりと跳ねた。
切れた尾の根元へ向かい地面を蹴る。するすると残った尾を刻みながら進み、竜の腹を半分ほど断ち切った。この場所に固まっていた竜は残り二匹。
双方の竜が口開き光を点滅させる。一匹ずつ倒していては間に合わない。
少し加減が難しい技だが出さざるを得まいと、私は空いた左手を地面にぴたりと付けた。
「震衝――!」
地面を振動させることによって罅を入れる。半径五メートルに限定して揺らした地面は砕け、弾け、ぶつかり合い隆起していく。二匹の竜は足元が崩れたことによって口を閉じ、前のめりになって私の上へ倒れこんでくる。
私はそれを待ち受けるだけでいい。再び握った剣の刃を振動させ、二匹の竜の首筋に刃を這わせる。増幅された切れ味なら力を入れずとも簡単に刃が通る。竜の体が地面に倒れこんだ時、それらは首と胴体が外れた亡骸と化していた。
「……次だ」
上空に放り投げていた松明を受け止め、私はまた走り出した。竜の気配をより強く感じる方向へ、闇を斬り開き先へ先へ。
いま殺した五匹の竜は雑魚だった。殺気は洗練されておらずプレッシャーもさほど無かった。上位種の竜ならばもっと凄まじいプレッシャーに襲われるはずだ。
私はそれから続けざまに何匹もの竜獣を殺していった。上位種の竜とは出くわさない。
どこだ、どこにいる。上位種の竜と思われる気配を探りながら戦っていると、いつの間にか別の松明がかなり近づいてしまっていることに気が付いた。この暗闇では方向感覚は無いに等しい。
最初に四方に散らばった私たちだったが、戦闘に集中していれば他の松明の光と、そこまでの距離方角なんて考えている暇はない。
私は離れるのではなく、その松明の光へ向かって近づいていった。
「――シュリア! 状況は!」
「隊長!」
シュリアは口に咥えていた松明を手に取る。私たちは背中合わせになり、周囲を警戒しながら早口に話し始めた。
「討伐数十五、何れも竜獣! 隊長の方は!?」
「九匹殺したが、上位種はまだ見つかっていない!」
「竜の気配は全く減っている様子もありませんから、殲滅は長引きそうですねっ!」
「ああ。加えてこの闇だ、効率も悪い!」
闇の奥から喧騒が飽和する。何が起きているのか殆どわかりはしない。揺らめく松明の光だけが仄かに闇の中に穴を開けているだけで。
私とシュリアは背中同士をぶつけ、戦闘を再開させる。視界の悪い洞窟内ではお互いに近づいて戦うべきではない。味方同士で足を引っ張り合うことになる。
私が次なる竜獣の群れに刃を走らせたとき、竜の断末魔に混じり微かにステファーの声が私の鼓膜を揺らした。確かに、彼女の声でこう聴こえた。
「――上位種を見つけましたわ!! アストさん!!」




