52.伝播する意識、縛り付ける服従の鎖
「――エイジ! おいエイジ! 待たんか!!」
どこへ向かっているかも分からずに歩きつづけるエイジを追って、フォウが呼びかける。
いくら制止の言葉を掛けようとも異なる歩幅で進む二人の距離は変わらなかった。
無視しているのかそもそも聞こえていないのか。と言っても二人の距離はそう離れていない。十分に声は届いているはずだ。
顔をしかめたフォウは小さな身体を跳ねさせながら走り、エイジの腕をぐっと掴む。
「わしを無視するとは悪い度胸じゃの」
「……離せ」
エイジの正面に回り込んだフォウだったが、エイジは首を動かさずに真っ直ぐどこか遠くを見つめている。
まるで意に介していない様子に腹を立てたフォウは少しでもエイジの視界に入る様にと背伸びをしながらまくしたてた。
「おい! こっちを見んか! なんじゃその態度は!」
「……離せと言ってるんだ」
「ッ……! なら望み通り離してやるわ!」
エイジの腕を掴んだまま、フォウは軽く腕を回すように振った。それだけでフォウの倍以上あるエイジの身体が浮き上がる。
竜の腕力ならこの程度、さほど力まずとも可能だった。浮き上がったエイジの身体をフォウは壁に叩き付ける。骨と石がぶつかり合い鈍い音を立て、エイジの背中に鈍痛が走った。
「がっ……!」
背中を壁に擦りながら座り込むように倒れたエイジ。いきなり何をするんだと言おうとしたが、すぐ目の前に瞳を怒りの色に染めたフォウの顔があって、言いたかった言葉は思わず飲み込んでしまった。
フォウはじっとエイジの目を睨みつける。そのあまりにも真っ直ぐな視線に、エイジも顔を逸らすことが出来なかった。
「少々、人間臭くなってきたなエイジ」
「っ……少し疲れているだけだ。すぐに――」
「わしの前でも強がる気か?」
フォウの強い語勢は、またもエイジの喉を絞める。
エイジにしてみれば、今ほど顔を背けたい気持ちも無いだろう。脅されて狼狽えている表情というのは、自分で見れずとも隠したくなるものだ。
彼は気丈に無表情であろうと努めているが、フォウの瞳に映りこむ表情はどこか弱々しい。
フォウは身を引き、猫の額ほどの距離だった互いの顔を離した。
引き際にフォウの口から漏れた吐息がエイジの鼻にかかる。
「おぬしが精神的にまだ未熟なのはよくわかった。わしの前では強がりを見せるな、考えていることがあるなら話せ」
「……どうしてお前まで、そんなことを言うんだ」
「なんじゃと?」
フォウは口調からしても明らかに憤りを感じている。だと言うのに、話している言葉はどこか優し気だ。
エイジはそれがますますわからなかった。
「俺の目を覚まさせるなら、脅せばいいだけだろう。バンサス村の時のように、殺気で俺を抑え込めばいい……なぜそんな風に言うんだ」
「……あの時とは少し状況が違うからの」
エイジと同じようにフォウも足を畳んでその場に座り込む。
またお互いの目線は大きく離れたが、今度はエイジもしっかりと首を傾けてフォウの顔を見つめていた。
「エイジ。何故わしがおぬしのような人間と協力することを提案したか、わかるか?」
「……考えたことはあった。だが答えは出ていない」
「そうか。……エイジ、おぬしだって理解しておるじゃろうが、わしは間違いなくおぬしより強い。戦えば確実にわしが勝つじゃろう。自分より弱い者と協力するなんて、ちゃんちゃらおかしな話じゃろう」
「……ああ」
確かに二人の力量は大きく無くとも離れている。
これからの伸びしろを考えればエイジもまだまだ成長するが、現時点では間違いなくフォウの地力が上回るだろう。
そもそもエイジは自分が強いと増長してはいない。竜と戦う時はいつも決死の覚悟だ。
だから否定の言葉も、動作も表さなかった。
「おぬし、初めてわしと会った時に確かこう尋ねたな。『竜が竜を殺すなど聞いたことが無い』と」
「あぁ、確かにそう訊いたな」
「わしはその質問をはぐらかしたが……あながち間違いじゃない質問じゃった」
「なに……?」
フォウは胡坐をかきながら、床についた両手を支えにするように身体を後ろに倒す。
「全ての竜に共通する無意識下の本能の一つに、服従意識というものがある。自らより強い存在に刃向かうことが出来ん戒めの鎖じゃ」
「服従……か」
「これがまた厄介な代物での。考えても見ろ、戦ったことも無い相手と相対したとき、そやつが自分より強いと確信を持てるか?」
「……嫌な気配は感じるだろうが、確信なんて持てないな」
話を続けるにつれ、二人の表情は段々と穏やかなモノになっていった。
フォウは薄い笑みを浮かべ始め、エイジも普段の無表情に戻っている。
「そこで、服従意識の厄介な部分が邪魔をするんじゃ。わしら竜というのは念話……脳内で考えるだけで会話することができるんじゃが、それを可能にするのは空気中に存在する竜子光と呼ばれるモノのおかげじゃ。それを通して意識を伝達する」
「……難解な話だな。竜子光なんて初めて聞いたぞ」
「初耳じゃったか? じゃが、おぬしら人間もその竜子光を僅かながらも使っておるのじゃぞ」
「この世界の人間はテレパシーが使えるって言うのか?」
「馬鹿を言え。言葉を乗せる念話を使えるほど人間は器用ではない。……竜子光というのはつまり意識や精神と言ったものを感知して伝える作用がある。『気配』というのも竜子光があるからこそ感じられるんじゃぞ、殺意や殺気も同じようにの」
フォウの説明を聞きながら、エイジは無意識に顎に手を添え、口元を押さえていた。
竜子光というものの存在と、その作用についてを頭の中で噛み砕いていく。まるで初めてこの世界にやって来た時のような気分だった。
あの時も、解らないことだらけで随分と頭痛に悩まされた。
「フォウ……それはつまり、『殺してやるという意識』も竜子光に乗るということか?」
「そうじゃ。自分が考えていることがそのまま周囲に伝わるなんて考えて見ればおかしな話じゃろ。すべて竜子光によって伝わっておるものじゃ」
「……たしかに、頷ける話ではあるな。だがそれがお前ら竜の服従意識とやらにどうつながるんだ?」
「意識が竜子光に乗るというのは理解できたな? それに加え、竜は竜子光に乗った意識を正確に読み取ることが出来る。念話もその一種じゃ。……厄介というのは、無意識も意識の内ということじゃ」
「無意識が……?」
「竜が無意識に考えておる『絶対に逆らってはいけない相手』という考えが、竜子光に乗り他の竜にも伝わっていく。それは無意識であるが故に、わしら竜は『無意識に』それを受け取り認識してしまうのじゃ」
「つまり……自分がそう思っていなくとも、服従意識が芽生えるということか?」
「その通りじゃ。とは言え、たかが数匹が服従意識を抱いている相手に、世界中の竜が同じように服従意識を抱くわけではない。竜子光に乗る『同一の相手に対する服従意識』が多ければ多いほど、他の竜もそれに感化されていくのじゃ。……もう大体わかったじゃろう? 世界中の竜が竜子光に乗った服従意識に縛られるほど、強い竜とは何者か」
眉をひそめて話を聞いていたエイジは口元を押さえていた手を離し、一呼吸おいてからその答えを口にした。
きっとエイジだけでなく、誰に聞いても同じ答えを言うだろう。
「――四王か」
「……うむ。今や世界中の殆どの竜は四王に服従意識を持っておる。わしやわし以外の上位五竜種ほどになれば四王などそこまで恐れる相手ではないが……竜子光に乗った服従意識には逆らうことが出来ん」
フォウは腰を捻って座りなおし、自らの小さな手のひらを見つめる。
彼女は薄氷のように繊細な微笑みを浮かべながら悔し気に眉を八の字に曲げ、どこか諦観しているような声で呟いた。
「……わしには、四王を殺すことが出来んのじゃ」




