43.三つまで
黒竜カロスタフティが引き連れていた竜獣たちはひどく従順だった。
言葉に出されたわけでもなく―――と言ってももともと竜獣に人語は通じないが―――竜同士のコミュニケーションである念話を介さずとも、竜獣たちは統率された動きを見せていた。
竜殺しの男を直接屠るのはカロスタフティがやること。自分たちはそれ以外の邪魔な人間どもを喰い散らかせばいい、本能でそう悟った竜獣たちはロイとレンティアに目をつけた。
「っ! ロイ後ろ!!」
「おっと……!」
前脚の先端から飛び出す爪は岩だろうが砕き、鋼すら斬り裂く。かするだけでも致命傷は免れず、まともに食らってしまえば待ち受けているのは死だ。
幸か不幸か、竜獣の数が多いことがロイたちにとって都合がよかった。いくら数が多いとはいえ、その全てが一気に襲ってくることはない。体格の大きい竜が小さい人間を相手にするには小回りが利かなさすぎる。
同時に二体までしか攻撃してこない状況では、ロイもレンティアも攻撃を回避するのに難しくはない。
「助かったよレンティア! だけどそっちも気を付けるんだよ!」
「わかっ、てるわよっ!」
「ルォオアアアアアアアアアッ!!」
長年にわたり、狩人として森の中で獣たちと格闘してきたレンティアの動体視力と危機判断能力は冴えていた。
図体の大きい獲物ほどその動きは速くない。落ち着いて見極めれば避けることは簡単だと、レンティアは冷静に身体を動かす。彼女の神経はいまや研ぎ澄まされ、身体は熱いが頭の中は非常にクールだった。
エイジのように圧倒的な力は持っていないが、彼女の武器はこの判断力にある。竜との戦闘経験が無いにも関わらず、竜獣の体の動きを見て、どこからどうやって攻撃を仕掛けてくるかを瞬時に判断できた。
振りかぶられる凶爪、常人でも何とか捉えられる程度のその動きが、レンティアの目には更に遅く映る。
まともに食らえば即死という恐怖心が無いわけではない。しかしレンティアの表情は張りつめつつも口元は薄く開き、無駄な力は入っていない。以前エイジにも言われた、戦闘中は常に冷静でいるという事の大切さが彼女には染みついている。それこそ、エイジよりも彼女の方が、そう努めようという意識が強い。
焦りという最大の足枷を振りほどいている彼女の動きは滑らかだ。見た目はか弱げそうな少女でも、長年培ってきた身体能力はロイより上かもしれない。
竜獣の攻撃を回避し、隙を見計らい、腕の弦を引き絞り、放つ。
「狙いは、目っ!! 不条理な豹変ぁっ!!」
当然ながら、レンティアの扱う細い矢では竜獣の鱗に阻まれて肉に届かない。どれだけ近づこうとも自らの腕の力で弦を引き絞る以上、威力はある程度で打ち止まる。
狙いは鱗に覆われていない箇所。幸い竜のサイズは人間の倍以上だ、ましてやレンティア程の弓の使い手ならば、動き回る竜獣の眼球を目掛けて攻撃することなど容易かった。
彼女の戦技は通常まっすぐにしか飛ばない矢の軌道を自在に操る。標的とはかけ離れた方向に放たれた矢も、吸い寄せられるように曲がる。
しかし矢はほんの少しだけ、レンティアが思い描いていた軌道からズレた。竜獣の目の少し上、瞼に矢は直撃する。そしてそれはいとも簡単に弾かれてしまった。
「あぁもうっ……! こんな風の中じゃコントロールが難しいっ……!」
「グルァアアアアアアアアア!!」
黒竜カロスタフティが巻き起こした砂交じりの暴風。彼女らはそれが描いた円の中心に囚われてしまっているが、台風の目のようにとは行かなかった。
その中では風の流れが滅茶苦茶になってしまっている。一秒ごとに風の流れは右から左、上から下へと目まぐるしく変わり、それに煽られる髪が鬱陶しいことこの上ないとレンティアは前髪をかきあげる。
「いや、気を引いてくれるだけで十分さ」
「っ、頼んだわよ!」
矢が弾かれたとはいえ、それが攻撃だと竜獣が認識する程の威力はある。ましてや目の周辺を攻撃されたとなれば、そこを庇う動きを竜獣は見せる。
新たに生まれた隙をついて確実にロイが攻撃を引き継ぐ。銃声を響かせ二発の銃弾を目に向けて撃ちこめば、距離次第でそれは頭部、脳を貫通し死に至らせる。
二人が協力し合い、竜獣の数は見る見るうちに減っていった。
「ルァアアアアアアアアアアアアッ!!」
「……っても、もともとの数が多すぎるわよもうっ!」
「残りは12、13……15匹か。ちょっとペース上げないと、不味いね」
「エイジは何やってんのよ! さっさと親玉ぶっ倒しなさいっての!!」
暴風が止まない限り動きは円の中で制限され、体力も消耗する。
エイジとフォウの様子を窺いたいところだったが、ひしめく竜獣の姿が邪魔で確認することが出来なかった。
竜獣の数を確実に減らしていき一見ロイたちは優勢にあると思われるが、実のところ徐々に追いつめられてしまっている。その事はロイもレンティアも分かっていた。
レンティアは砂に足を取られ、先ほどから膝をかばうような動きを見せている。既に竜獣の攻撃を回避するのが精いっぱいなほど、体力を奪われてしまっていた。
さらに額から流れる汗が目に入り、攻撃に対する反応が遅れてきている。
「グォアアアアアアアアアアァッ!!」
「くっ……、っひゃ!?」
横薙ぎに振るわれる竜獣の尾。地面を這うようにしてレンティアに迫りくるその攻撃は、少し跳べば問題なく避けることができる。しかし、膝にきてしまっていたレンティアは跳ぼうとしたその一瞬、膝が折れ、がくんと体勢を崩してしまった。
「しまっ……!」
「……っ! レンっ!!」
その一瞬は文字通り命取りだった。
竜獣の尾は彼女の目の前まで迫っている。避けることは叶わない距離で、かと言って防御などしても意味が無い。腕を身体の前に出したとしても、両腕の骨は砕かれ身体ごと薙ぎ払われてしまう。内臓も、きっとほとんどが潰されてしまう。
死という恐怖を目の前に、レンティアは目をつぶることすらできなかった。悲鳴も上げずに、全身の血の気が引く気味の悪い感覚だけが、背中の傷に走った。
まだ死ぬわけにはいかない。まだ自分にはやることがある。過去の傷に思いを馳せる彼女の頭の中は、走馬灯のように目まぐるしく回る。
「――――二つまでなら、いける……っ」
ロイの召喚紋が服の下で仄かに光る。
レンティアと数メートルも離れていたロイが、つま先で地面を蹴った瞬間にその場から消えた。
次の瞬間、まさに竜獣の尾がレンティアの身体を打ち払おうとする直前。意識が目の前から遠ざかっていたレンティアの目に映ったのは、片腕で竜獣の尾を受け止める、ロイの姿だった。
肘を曲げ前腕部を盾に見立てて構えたロイは、凄まじい衝撃音にもびくともせず、その場で竜獣の攻撃を受け止めていた。ありえないその光景に、レンティアは口も塞げずに困惑の息を吐いた。
「え……ロ、ロイ……?」
「っ……二つでもキツイか」
なにが起こったのか分からないのは攻撃を仕掛けた竜獣もだった。人間に、それも小さな子供に自分の尻尾が受け止められている。力を入れても、押し出すことが出来ない。
声を振り絞り必死に尻尾を押そうとする竜獣の頭に、ロイはすぐさま銃口を合わせ撃ちぬいた。
断末魔とは言えない力無き悲鳴を上げ崩れる落ちる竜獣。それとロイの姿を交互に見比べるレンティアは、先ほどまで全身を支配していた怯えを振り払い、すぐさま歯を食いしばって立ち上がった。
ロイが何をしたのか、何が起こったのか、それはまだ理解できていない。それでも助けられ、助かったのなら、いつまでも呆けてはいられないと身体に鞭を打つ。
「あ、ありがとっロイ……! もう、大丈夫!」
「いや。君はもう動かなくていい、そのまま休んでいてくれ」
ロイは何故かリボルバーをレンティアの足元に置き、彼女に背を向けた。
自分の武器を捨てるなんて何を考えているのかと一瞬考えたレンティアだったが、そんな考えは目の前の小さなロイの背中を見てすぐに消えた。
自分よりも小さな身体をしているのに、どうしてか、エイジの背中のように大きく見えた。
その背中を見ていると、自然にレンティアの肩から力が抜けていく。
「ダーティな状況だ。この数じゃさっさとケリをつけなきゃいけないからね……三つまでいく」
「三つまで……リミッターを外す」
両手の指の間に剥きだしの銃弾を握りこんだロイは、また一瞬にしてその場から消え去った。
そのあまりの速さに、金色の髪の残像を残して。




