35.白と緋
謎の男の襲撃により多くの血が流れたドルヤガ。
しかしこの事件をきっかけに、町の大人たちを縛り付けていた呪いは解けた。
子供たちの純粋で正直な心と行動を目の当たりにした大人たちは目を覚まし、路地裏の子供たちはようやく受け入れられたのだ。
大人も子供も一丸となり丸一日をかけて負傷者の救助に当たったおかげで、日が暮れる頃には大通りの様子も普段通りを取り戻した。とはいえ、地面に染みついた血の匂いはいまだかすかに残るまま。
大通りには悲しみの匂いが後を引く。悲しむ町の大人たちを励ますのも、子供たちの役目だった。
町を襲った謎の男は、気のおかしくなった盗賊という扱いに落ち着いた。あくまでも町の人間たちがそう思っただけだ。
実際にはただの盗賊とは思えない。町に帰ってきたエイジを含めた三人が、宿屋のロビーに集まってそう話し合っていた。
「―――あの男、あんたを探してるみたいだったのよ。なんか心当たりないの?」
「……無いな」
「エイジのことを憎んでおる竜ならごまんと居るじゃろうがのぉ」
「うーん……なんだったのかしら、一体」
「問題は、なぜ竜殺しを探しておったのかということじゃな」
フォウは少し神妙な顔つきで二人に話す。
エイジもレンティアもその言葉にぴんと来ていない様子だった。
「人間は人探しをする時に、無差別に武器を振り回すものかの?」
「そんなわけないでしょ」
「じゃろうな。そこまでして探そうとしたという事は、ちょっとやそっとの理由じゃなかろう」
「……まぁいい。俺の事よりももっと大事なことがある」
「なんじゃ?」
「竜だ」
宿屋の開いた窓から冷たい風が入り込む。
ドルヤガで何があったのかをあらかた聞き終わったエイジは、地別線近くでの出来事を話し始める。
百匹近くいたはずの竜が忽然と消え、そして同行していたヴェインの元に届いた一通の小さな手紙。彼女の言い残した『サウスガルムへ竜が向かった』という情報。
エイジは竜たちが何か行動を起こしていると考え、それを叩くつもりでいた。
「あれほど大量の竜を動かせるのは四王をおいて他に居ないだろう」
「確かにそうじゃな……それに竜は各地方に生息し、基本的に他地方に行きはせん。間違いなく何かあるな」
「……明日の朝にはゲティスローツに向けて出発する、いいな。」
「ちょ、ちょっと……」
勝手に決めつけて話をされ、レンティアは食い気味に口を挟む。
焦るエイジの気持ちもわかるが、この町に来た元々の理由の一つは情報収集のはずだ。
まだ町の全ての人に話を聞けたわけではない。レンティアは少なくとも明日一日は滞在したいと思っていた。
「情報集めはどうするのよ。いまのところ収穫はゼロよ?」
「ならお前だけ残ればいい。俺たちはゲティスローツに向かう」
「あ、あんたねぇ……」
レンティアはエイジたちの旅に勝手についてきたようなものだ。こういう言い方をされれば腹が立つが、言い返すことはできない。
口角をひきつらせながら、レンティアは仕方が無く言葉を呑み込んだ。
「なぁに、情報集めならここじゃなくてもできるのじゃ」
「まぁ……それもそうね」
「今はサウスガルムに向かった竜たちを追いかける。四王の尻尾を掴む機会かもしれないんだからな」
エイジの復讐の旅は、四王を討つことで一気に目的に近づける。
彼の目的はフォウ・ク・ピードから竜を全滅させることにあるのだ。そして竜たちの王である四体の竜、四王を討つことは他の竜の力を削ぐことに繋がる。
四王さえ討てればいい。それ以外は何も考えないようにしなければならない。
明日の朝に備えてさっさと部屋へ戻っていくエイジの姿は、どこか焦っているようにも見えた。
「さ、あたしたちも寝ましょ」
「……そうじゃな」
エイジの後ろ姿を見送り二人も部屋へと戻っていく。
誰にも気づかれることなく、フォウは薄く微笑みを浮かべた。
◆
その日の夜。町は静かに眠る。
虫の音も聞こえない中、フォウだけが瞼を開いて起きていた。
肌を無数の針で刺されるような悪寒、髪の毛が逆立つ気配に眠りに眠れなかったのだ。
フォウはベッドから身体を起こし、気持ちよさそうに眠っているレンティアの側を通り過ぎて部屋から出ていく。
宿屋の外へ出ると、外は薄ら寒く。フォウにとってはさほど気になる気温ではないが、それとは別の悪寒という寒気を感じていた。
風の流れてくる方向へつま先を向け、白い髪を街灯の明かりよりも光らせながら歩いていく。
一歩進むたびにフォウは攻撃的な気配へと近づいていく。その正体を確かめるために、気配の方へと近づいていく。
町の入り口を過ぎたところで、気配の主の姿がフォウの目に映った。
闇に溶け入るような暗い紅の髪。たった一人きり、何もない場所で立つその女性は目を伏せて腕を組んでいる。
フォウが声を発さなくとも、女性はフォウのことに気がついている様子だった。
「……おかしいわね。竜殺しを誘き出すつもりだったのだけれど」
「何者かと思えばおぬしか。変姿までして、よほど竜殺しに会いたいらしいのぉ」
「……誰?」
「久しぶりじゃのぉ、ウィルクスカチュア。山から下りているなんて珍しいじゃないか」
瞼をゆっくりと上げフォウの姿を確認する、人の姿をしたウィルクスカチュア。
自分のことに気付いていないのなら気づかせてやろうと、フォウは変姿を一部だけ解く。
今まで微塵も残らず隠されていたフォウの竜としての気配が滲み出しはじめた。
「白竜……あなたも竜殺しを探しに棲み処から出てきたの……?」
「外れじゃ。向こうからわしに会いに来てのぉ、ふふふ……面白い人間じゃぞあやつは」
「……たかが人間一人に、上位種の竜が何匹も殺されてる。私の部下もこの町で殺されたわ」
「おぬしの部下? ……あぁ、なるほど。あの男はおぬしの差し金か……殺したのは竜殺しではないぞ」
微笑みを浮かべるフォウの態度を見て、ウィルクスカチュアは鋭い眼光を向ける。
彼女が町の近くまでやってきたのは、自分の部下が殺されたことを知ったからだ。竜殺しにやられたのだと思い込んでいたため、どうしても自らで竜殺しの男を見てみたくなり山から下りてきた。
「まさか……あなたがやったんじゃないでしょうね」
「だとしたらどうする? 緋竜ウィルクスカチュア」
「……ッ」
ウィルクスカチュアの足元が赤く光りはじめる。彼女は怒りを覚え、フォウに向かって徐々に大きくなる殺意を向ける。
それを受けてもフォウは眉一つ動かさず、冷静に対応する。
「よせ。おぬしほどの力の気配……これ以上大きくすると流石に竜殺しも気づく」
「その方が都合がいいわ」
「こっちには都合が悪いんじゃ。落ち着け、何もわしが殺したとは一言もいっとらんじゃろ」
「……なら誰が?」
「別の人間じゃ。もうちっと部下を鍛えたほうがいいぞ」
事実、眼鏡の男を殺したのはロイだ。
フォウの言っていることに嘘はなさそうだと、ウィルクスカチュアはそれ以上殺意を大きくしなかった。
しかしウィルクスカチュアの敵意は消えていない。
「まぁそれはいいわ……どうして竜殺しを野放しにしているの?」
「面白い事をやっておる。わしら竜を支配しておる四王への反逆をな」
「……そのために竜殺しと?」
「あやつには利用価値がある。竜と変わらぬほどの力を持つ人間じゃ」
「だとしても、人間と協力するなんてどうかしてるわ」
竜と人は争い合う存在。
手を取り合うことなど出来るはずがない。
竜は人を見下しそして喰らう。人は竜を憎み恐れる。水と油のようにお互いは反発しあう定めなのだ。
「やり方なぞどうでもよい。おぬしも内心、四王は気に喰わんだじゃろ」
「……人間と竜じゃ目的が違いすぎるわ」
「確かにそうじゃの。聞いて驚け、竜殺しはわしすらも殺してこの世から竜を全滅させる気でおる」
「傲慢ね。やっていることは四王と変わらないわ」
四王が世を支配し続ければ、いずれ人間は全滅する。
喰われ、弄ばれ、贄にされ。エイジは立場が違うだけで、やろうとしているのは竜が人間に対して行っていることと同じ、種の根絶だ。
「おぬしは共存派じゃったの。ここで再会したのも縁じゃ、共に四王を討たんか?」
「あなた……四王を討つ最後の一手の為に人間に協力してるんでしょう? 私は人間と手を組むなんてお断りよ。それに『共存派』なんて気持ちの悪いくくりと一緒にしないで。私は自然の仕組みを守ってるだけなの」
「四王を討ちたくはないのか?」
「……あなたがそうするなら、勝手にすればいい。どっちみち人間は滅ぶわ」
つくづく白竜は変わっているとウィルクスカチュアは思った。
上位種の竜の内、さらに上位に分類される竜はそれぞれが確固たる意識を持っているが、四王に刃向かおうなどと考えるのはフォウくらいのものだ。それと、人間と協力するということも。
ウィルクスカチュアも四王の存在は目の上の瘤だが、そこまで敵意は無い。同じ竜ということもあるし、何より力の差が歴然であるからだ。
彼女が何よりも信じられないのは、フォウが竜でありながら人と協力していることについてだ。ウィルクスカチュアだけでなく、竜は人間を見下すなり蔑視しているものなのだから。
「……四王を討つなんて馬鹿げた行為、せいぜい見守ってあげるわ」
「良いのか? 竜殺し……エイジに用があったんじゃろ?」
「人間が竜に刃向かうなんて戦争以来だったから。少し気になっただけよ」
そう言い残しウィルクスカチュアは背を向ける。
町から十分に離れてから変姿を解き、棲み処に帰ろうとしていた。
足元の光も消し、完全に竜の気配を抑え込んだ彼女。フォウはまだ話していたかった。
「いずれおぬしも竜殺しと戦うやもしれんぞ、ウィルクスカチュア」
「……それがどうしたの。あなたも私も上位五竜種、人間如きに殺されるわけがないでしょう?」
「ふん。まだそんな呼び名が残っておるのか? 四王が現れて数年経ったいま、とうに破綻しとるじゃろ」
「……万が一、四王を討ったら…………白竜、あなたは竜殺しをどうするつもりなの?」
ウィルクスカチュアが足を止めて問いかけた言葉に、フォウはくつくつと笑いながら考える素振りも見せずに即答する。
その時を想像していたのか、フォウはこれ以上なく楽しそうな声で。
「殺すに決まっとるじゃろ」
「……その答えを聞いて安心したわ」
闇の中でウィルクスカチュアの姿が遠くなっていく。やがて見えなくなるまで。
一度は協力を持ち掛けたフォウだったが、断られると分かって言ったことだ。フォウはウィルクスカチュアがどんな性格かを知っていたのだから。
もし首を縦に振ってきたとしても、エイジが認めるかどうか。
フォウはその時、何気なしにふと思った。
エイジは竜に対して並々ならぬ殺意と憎悪を持っている。きっとウィルクスカチュアが協力しようと言ってきてもかぶりを振って、斬りかかるだろう。
(……よくエイジは、わしの提案をすんなり受け入れたのぉ)
出会ったあの洞窟でのことを思いだす。
エイジはなぜああも素直に協力を受け入れたのだろうか。
フォウはそのことについて、自分なりに少し考えた。
(ま、きっとわしには到底かなわんと見て承諾したんじゃろ。わしの気まぐれに救われたという事かの~)
呑気に鼻歌を歌いながらフォウは町へと戻っていく。
上位五竜種と呼ばれる、四王を除けば最大最強の竜。
そのうちの二匹がこの場で顔を合わせていたという事実は、当事者の彼女ら以外、誰も知らない。




