28.一日の終わり
「―――駄目じゃな。これはわしにも読むことはできん」
エイジたちがドルヤガの町を訪れたその日の夜。この日は多くのトラブルに見舞われた日だった。
路地裏に住み、盗みで生活している子供たちフーリガン・ガールズに早々に目を付けられ、フォウとレンティアはそれぞれ荷物を一度盗まれてしまったものの、フーリガン・ガールズのまとめ役であるロイという少年―――少女にも見える不思議な子供だ―――に出会い、なんとか三人分の荷物は取り返すことが出来た。
その後、三人は集まって町の定食屋で夕食を取った。その定食屋は昼間にフォウが一人で訪れたのと同じ店。フォウは随分とこの店の料理の味が気に入ったようだった。
食事を摂りながら三人は今日あったことをそれぞれ話した。フォウはフーリガン・ガールズという子供たちのことを。そしてレンティアは、日中に町の人間に色々聞き込みをしたが、騎士に関する情報はこれといって得られなかったことを。
そしてエイジは話の途中で一冊の本を取り出して二人に見せていた。
その本は古めかしい印象があるが、決して状態が悪いというわけでもない。表紙に描かれた凶悪な竜の絵、そして見たことも無い文字で表記されたタイトル。この本は骨董品を取り扱う商人にエイジが譲ってもらったものだった。
『どうせ店に置いていても買う人はいない。興味があるんだったらタダでもいい』。そう言われてエイジはこの本を受け取った。その理由は何よりも、表紙に描かれた竜が気になったからだった。
しかしエイジが読んでみても中の文章はおろか、タイトルすら全く理解できなかった。
レンティアはともかく、人間の何十倍と生きているフォウなら読めるかもしれないとエイジは思ったのだが、フォウは本の表紙を見ただけできっぱりとそれを否定した。
「お前なら読めるかもしれないと思ったんだがな」
「なにこの文字……? っていうか、文字って言うのかしらこれ。すっごい細かい図形が密集してるようにしか見えないわ」
「その本の文字は、『古代フィスタ文字』と呼ばれるモノじゃ。何千年も前に、ある一部の者達の間で使われておった文字じゃよ」
レンティアの言ったように、古代フィスタ文字というのは一見しても『文字』と認識できないくらいに複雑なものだった。
フォウ・ク・ピードには他にも遥か昔に使われていた古代言語というものがあるが、それらは規則性を持った形の文字であり、意味はわからずとも少なからず『文字』だと認識できる程度のものだ。しかし古代フィスタ文字はそうとすら見えない。
どこまでが一文字かすらわからないほどに行間は詰まっており、ページを開いてみても意味不明な大きい図形が描かれているようにしか見えない。
「挿絵……じゃないわよね。これのどこが文字だって言うのよ?」
「古代フィスタ文字はとびっきり特殊なモノじゃ。そもそも一つの文字に一つの表記という決まりが無い。丸を一つ書いて『あ』とも読めば『い』とも読める。普通に解読しようとしても無駄じゃぞ」
「……ならば、どうやって解読するんだ?」
「『原版』と呼ばれる大きな石板が10近くあるそうじゃ。その石板は特殊なモノらしく、『最初に見た者しか理解できない伝わり方』をすると言われておる」
「はぁ? なによそれ」
「わかりやすく言えば、『古代フィスタ文字は読む者によって意味合いが異なる』ということじゃな。古代フィスタ人は何を考えておったのか知らんが、一つの文字に対して多様な解釈が出来るように作ったらしい」
エイジもレンティアもそれだけでは全く理解が及ばないといった表情で、訝し気な目線をフォウに送る。
フォウは目を伏せ、少し唸ってからまた口を開いた。
「まず、古代フィスタ文字を読むには原版を見つけねばならん。原版を見れば古代フィスタ文字が理解できるようになるのじゃ。ここまでは良いな?」
「……まぁ、なんとなく。原版ってのが辞書みたいなものってことでしょ?」
「有り体に言えばそうじゃ。例を示しながら説明した方がわかりやすいじゃろうな」
フォウはペンを取り出し、テーブルの上に置いてあった伝票の裏側に絵を描き始めた。
丸を一つ描き、その中に三角を描く。三角と丸の間に縦に並んだ点を三つ描いて、フォウはそれを二人に見せた。
「この図形が古代フィスタ文字だとするじゃろ? ここで仮に、わしとエイジの二人が別々の原版を既に見たことがあるとする。するとどういうことか、この図形がわしには『太陽』と読め、エイジには『光』と読めるのじゃ」
「はぁぁ? なによそれ、そんなんじゃ正解が無いじゃない! どうとでも読めるってこの文字作った人たちは何考えてたのよ!」
「意味合い的には大体同じように読めるらしいが、わしも詳しい事は知らん。今までさほど興味も無かったからの」
エイジは本をフォウから返してもらい、読めない表紙をじっと見つめる。何が書いてあるか想像もできないが、その表紙に描かれた竜の姿はどうしても気がかりだった。
もしかしたら竜について、自分の知らない何かの情報が得られるかもしれない。
「しかしエイジ、それを譲ってくれた商人とやらは読めなかったのか?」
「……ああ。タイトルが『災厄の者』だと言っていたから俺もてっきり読めるのかと思ったんだが。どうやら適当にそう呼んでいただけらしい。あの女も意味はまったくわからないと言っていた」
「ふむ……まぁどちらにせよ、わしらには解読できん代物じゃ」
エイジが本を荷物の中にしまっていると、フォウが追加で注文していた料理が運ばれてきた。
エイジは既に量は少ないがカロリーの高い料理を食べ終えており、レンティアはデザートのアイスを食べ始めているところだ。
小さな身体のフォウがまだ食べるということに、レンティアはあきれ果てていた。
これ以上ないほど満面の笑みを浮かべながら幸せそうにハンバーグを頬張っていくフォウ。すると店の扉が鈴の音を鳴らして開かれる。新しく客が入ってきたようだ。
その客は店内を見回すと、特に目立っているエイジたちの姿を見つけた。フォウの髪色は発光しているようにも見える透き通った白色で、エイジは体格がかなり大きい。座っていてもその二人はかなり目立っていた。
その客はエイジたちの座っているテーブルへと近づいていき、声をかけた。
「よぉ。今日はお互い災難だったな。フォウって言ったか?」
「ん? おぉ、おぬしか」
「あっ……路地裏に居た……」
路地裏でロイと揉めていた赤髪の女。声をかけたのはヴェインだった。
二人は彼女のことを知っているが、エイジは初めて会う。
「……誰だ?」
「ほれ、わしらと同じフーリガン・ガールズを追いかけておった者じゃ。名はなんと言ったかの」
「ヴェインだ。ヴェイン・ロジャー・マクレイン。そっちの男はてめぇらの連れか?」
「エイジじゃ。こっちのがレンティアと言う」
「ちょっと、こっちのとか言わないでよね」
自分のことを指差して紹介したフォウに、レンティアは声色を鋭くした。
ヴェインは腰に提げていた剣をテーブルに立て掛けて、空いている四つ目の椅子にどかっ、と座り込む。
「せっかくだ。一緒に食ってもいいだろ?」
「わしは別に構わんぞ」
エイジも我関せずといったふうに、目を伏せて少し頷いた。
ヴェインは店員に手早く注文を済ませて、運ばれてきたコップを手に取り水をぐいぐいと胸を反らして飲み干していく。喉が渇いていたのだろうか、いい飲みぶりだ。
そんな彼女の胸元を見て、レンティアは少し圧倒される。
(……すごい迫力ね)
ヴェインの風貌からして、レンティアより年上であろうことが窺える。それにしても、平均的な女性の胸の大きさを逸脱したヴェインの身体つきは、同じ女性としてレンティアに敗北感を感じさせた。
自分の胸とヴェインの胸を交互に見比べて、虚しい気持ちが彼女を襲う。
「……気に病むなレンティアよ。まだ成長するやもしれんぞぉ?」
「なっ……!! う、うっさいわよ!!」
窘めるような微笑みを浮かべるフォウに、レンティアは顔を赤らめる。余計なお世話だと言わんばかりにレンティアは顔を背け、スプーンでアイスを口に運んでいく。
コップの水を飲み干したヴェインは大きく息をつき、椅子の背もたれが軋むほどにぐっと背中を預けた。
「そういやお前らも旅してんだろ? こんなご時世に珍しい、変わりモンだなぁ」
「……あんただって一人で旅してるんでしょ? そっくり返すわよ」
「俺のは旅なんて大層なもんじゃねぇよ。それに、もうサウスガルムに帰るところだしな」
「なによ、あんたの目的地もサウスガルムなの?」
奇遇であった。エイジ達が目指しているのもサウスガルム地方、ゲティスローツという町だ。ヴェインはその話に興味を示し、話を掘り下げようとする。
「お前らもサウスガルムに行こうとしてんのか? どこ目指してんだよ」
「地別線を越えてすぐの所にあるっていう、ゲティスローツの町よ」
「ゲティスローツぅ? そりゃ俺と同じじゃねぇか」
「へぇ、すごい偶然ね」
レンティアは目指している町がヴェインと同じことに驚きながら微笑んだ。たまたま目的地が一緒で、そしてたまたまこの町で出会った。それには奇妙な偶然を感じえない。
ヴェインもその偶然が面白く感じたようで、口角を上げて笑った。しかしそこへ険しい顔をしながらエイジが口を挟む。
「レンティア。サウスガルムへ行く話だが……どうやら地別線の辺りに竜がいるらしい。それも数匹じゃなく、百以上だと」
「ひゃ、百ぅ!? ちょっとエイジ、どういうことよそれ?」
「商人から聞いた話だ。実際に行ってみないと本当かどうかはわからないが……」
「あぁ、それなら間違いねぇ情報だぜ。俺もこの町に来る前に見てきたからな……ありゃあ一筋縄じゃどうにもならねぇな。あんだけ竜が集まってんのも初めて見たしよ―――」
それからヴェインを含めて四人で食事を終えた一行は、店を出て宿屋へと向かった。
ヴェインが泊まる宿屋はどうやら違う場所らしく、店を出てすぐに別れた。エイジらもヴェインもドルヤガには何日か滞在する予定だ。また明日、町で見かけたら声をかけると約束をして。
宿に着き、エイジたちはそれぞれの部屋に行く前にロビーでこれからのことを相談し始めた。
「―――で、どうするのよ。何日か後にドルヤガを出発しても、地別線のところの竜をどうするつもりなの?」
「何か問題あるか? エイジよ」
「……いいや、特に無いな」
あっけらかんと言うフォウに、淡々と答えるエイジ。二人の様子を見てレンティアはつくづく彼らはどこかおかしいと思った。
竜獣が数匹程度ならたしかにエイジもフォウも問題なく倒せるだろう。それはワゴール丘陵での一件でレンティアも知っている。二人の強さは確かに人並み外れたものなのだから。
しかし、百近い竜の群れを突破できるなどと考えるのは、いささか頭のネジが飛んでいるようにも思えてくる。
「……どうすんのよ、竜の群れの中にすんごい強いのがいたりしたら」
「かっかっかっ。心配するなレンティアよ、四王でも出てこん限りわしらが苦戦などしようはずがない」
「ああ。たとえ竜が何百といようが問題はない。……お前は心配しなくてもいい」
三年前に終結した、人と竜との戦争のことをレンティアは思い出していた。
ゲオルク騎士団の騎士たちでさえ、数百の竜を相手に苦戦していたというのに。なぜエイジたちはたった二人で百近い竜たちを相手に出来ると豪語できるのか。
そのときレンティアは、エイジが異界者であるということから何となく納得はしていたが、その分、フォウに対する猜疑心が強く残った。
フォウのような年端もいかない子供が、どうしてここまで自信ありげになれるのだろうかと。この子はただの子供じゃない、そんな気持ちをレンティアは抱えていた。
彼女にはわかるはずもない。実はその通り、フォウはただの人間どころか、人間ですらないのだから。
「じゃあの。ゆっくり身体を休めるといい」
「おやすみ、エイジ」
「……ああ」
フォウとレンティアは同じ部屋に、そしてエイジは一人別の部屋へと入っていく。
バンサス村を出発してから六日。さすがに疲れがたまっていたのか、その日は珍しくエイジもほんの少しだけ眠ることが出来た。
しかし、夢に出てくるのは『あの日』のことばかり。
過去に竜に蹂躙された記憶が、眠っているあいだもエイジを苛む。
結局眠れたところで身体の疲労は取れても、心の疲れは取れなかった。




