29.深紅
ドルヤガの町に街灯の明かりがぽつぽつと灯りだした頃。
町から少し離れた山を目指して、一匹の竜が雲を引き裂いて飛んでいた。
その竜の体は暗闇に紛れ込むような暗い色合いをしており、月の光が時おり鱗に反射して煌めく。竜の後方へ千切れ飛んでいく雲は薄れ消え、まるで軌跡を描くように曇りがちだった空が開いていく。
弾丸のように高速で飛び去る竜はやがて、目指していた山の頂上へと降り立った。
「―――我々ノ準備は整ったぞ、ウィルクスカチュア」
その山の頂上は、まるで何者かの手によって造られたように平坦だ。岩も、石粒ひとつすらも無く、緑も存在しない不毛の台地。何かの儀式を行う場所に見えるその山の頂上に、深紅の鱗で体を覆った竜は横たわっていた。
深紅の竜は自らの名を呼ばれ、閉じていた瞼をゆっくりと開いていく。喉を鳴らして息を吐き、現れた暗色の竜を睨みつける。
「……カロスタフティ」
ウィルクスカチュアと呼ばれた深紅の竜は横たわったままで動こうとしない。ゆっくりと背中を膨らまし、息を吐く。姿勢のせいで喉が狭まっているのか、か細い喘鳴が風の音のように鳴っている。
「またぞろ誘いに来たの? 言った筈よカロスタフティ……私はあなた達の争いに手を貸すつもりは無いと」
「なゼ貴様には解らんのだウィルクスカチュア。我々にとってこの戦いは、主のための重要なモノなのだぞ」
「主……か。私はあの方のしもべになったつもりは無いわ」
「何ヲ言っている。我々この地に棲む竜は、皆すべからく主のしもべなのだ」
「……あなたも魂を売ったのね」
棘のある言葉で拒絶的な反応を示す深紅の竜に、カロスタフティは大きな瞳を見開き威圧するように翼を広げる。
その動きに風が応え、渦を巻いて山の頂上を吹きすさぶ。風は鋭い刃のようになって雲や山の岩肌を斬り裂いていく。
「忘れたか。我々の命は主が掌握してイる。そして主の命は我々に力を与えてくれる。従わなければその盟約は解かれ、貴様の力もその多くを禁じられるのだぞ」
「私にはこれ以上の力は必要ないわ。あなた達の様な魂を売り渡した竜に協力するのも、王に従うのも嫌なのよ」
「……反目するというのか。同胞よ」
「あなた達の紛糾動乱にかかずらう気が無いだけよ。……早くここから消えなさい」
ウィルクスカチュアは全身の鱗を逆立て始める。渦巻く鋭利な風の中、肌がやすりにかけられるような壮絶たる闘気が二匹の竜の間に充満していく。
竜同士で争うことを良しとしなかったのか、それともウィルクスカチュアと戦うことを避けたかったのか、カロスタフティは闘気を収めていく。それはこれ以上この場所で問答を続ける気が無いという意思表示であった。
「……いいだろう。サウスガルム侵攻は我々だけで行う」
「最初からそうしなさい。無駄足だったわね」
「遺憾だが仕方が無い。……同胞として、一つだけ忠告しておこう」
「なによ?」
「『竜殺し』の男はどうやらイスターに……それもこの近くにいるようだ。既に多くの同胞が殺されてイる」
「たかが人間一人がどうしたというのよ。私が殺されてしまうとでも思っているのかしら、侮辱しないでほしいものね」
「勘違いするなウィルクスカチュア。竜殺しと出会ったら必ず殺せと言い伝えておきたかったのだ。これ以上、人間如きに我々竜が殺されるわけにはいかン」
カロスタフティは背を向け、空へ向けて飛翔する。空高く飛びあがり、夜空を落ちる流星の如き速さで飛び去って行くその姿を見送り、ウィルクスカチュアは闘気を失くしまた目を伏せた。
「……竜殺し、ね」
閉じた瞼の裏に、姿も知らぬ男の影を思い浮かべる。
竜を殺し続ける男。その話は竜の間にも広まっていた。竜獣如きならば何匹殺されてもそう騒ぎ立てることも無い。しかし竜殺しの男に殺された竜の中には、上位種つまり圧倒的な強さを持っていた者もいたのだ。
(すでに殲光竜アヴィス、星刻竜アステル、幻竜イルシオン……上位種の竜が何匹も殺されている)
カロスタフティがいなくなったことで、山の頂上付近はまた静かに風が凪ぎ始めた。
自らの呼吸音と心臓の鼓動音しか聞こえぬこの静寂。ウィルクスカチュアがその心地の良い静けさに意識を預け、眠りにつこうとする。
しかし、心に直接語り掛けてくる声があった。
『いいのですかカチュア様。仮にも竜の王である、奴に背いてしまって』
今少しというところで眠りにつけたところだったが、その眠気は声の主に妨害されてしまった。だがウィルクスカチュアは苛立つ様子も怒る様子もなく、心の中で返事を返す。
『カロスタフティはあんなことを言っていたけれど、大丈夫よ。私の様な上位種の竜をわざわざ裁きに来たりはしないから』
『それもそうですね……私たちの力は王に注がれるもの。自ら力を断つほど、王も愚かではないでしょうね』
『……それより、一つ頼みがあるのだけれどいいかしら』
『はっ。何なりと申付け下さい。私にとっての王はアナタだけです、カチュア様』
声の主はこの場にいない。遠く離れたどこかから会話をしている。なので姿は見えないが、その声からはウィルクスカチュアへの忠誠の心が大いに感じられた。言葉のひとつひとつはどれもが畏まっており、一聴堅苦しさすら感じる話し方は従順さの表れだろう。
『竜殺しの男がこの近くに来ているようなの。その姿、そしてどれほどの力を持っているかをその【眼】で視てきなさい』
『承知しましたカチュア様。……私はいついかなる時もアナタと共に。』
心の会話はそこで終了した。
ウィルクスカチュアは今度こそ、静かな闇の中で眠りにつく。深紅の竜は滅多なことではこの山の頂上から離れない。ほとんどの日々をこの場所で過ごしている。
年に一度訪れる贄の暦の日以外は、いつもこの場所で。
その日の夜が明け、時代の歯車は回り時を刻んだ。
世界は動きを見せ始め、竜殺しの男もその流れに自らの意志で身を投げ入れる。
ひとまずはこの東の地で、新たな戦いを繰り広げることになるだろう。竜殺しの男が試されるは、復讐の意志の強さ。
ドルヤガの町は、波乱の日を迎える。




