16.無力な少女の持たざる力
二匹の竜獣の巨体は、頭部を失いゆっくりと地面に倒れていく。
傷口から溢れる血液が地面に跳ね、すでに血に塗れているエイジの身体をさらに赤く染めていく。
逆光の中に立ち尽くす彼の姿を呆気にとられた表情で見つめるリーシャとレンティア。
少し間をおいて、はっと気づくようにリーシャは我に返った。
「エイジ……さん……」
「おーおー、危ない所じゃったのぉ」
エイジの背後から小さい身体のフォウがひょっこりと顔を出す。
そのままエイジとフォウは竜獣の屍体を過ぎて、リーシャ達に近づいていく。
「ようやくあの幻想空間から出られたと思ったらおぬしの姿が無くて、エイジが心配しとったぞぉ? わしがいなければどうなっていたことやら」
リーシャがレンティアと共に竜獣から逃げ、雑木林へ入っていった少しあと。
エイジは幻竜イルシオンを討ち倒し、あの天鏡の幻湖と呼ばれる空間から脱出していた。
元の場所に帰ってきた二人はリーシャの姿が見えないことに気付き、それからフォウが残った竜獣の気配を探ってここまで追いついてきたというわけだ。
「あんたら……一体……」
洞窟の奥からグルーがおもむろに歩み寄る。驚きを隠せない様子で、エイジをまじまじと見つめている。
「……グルーさん、あたしが言ってた助っ人ってのはこの二人のことよ」
「この二人が……? ……どうやら、並の人間じゃァなさそうじゃな……」
「……? レンティア、なぜお前がここにいるんだ」
バンサス村で待っているはずのレンティアがこの場にいることを疑問に思って、エイジが鋭い目つきで尋ねる。
先ほど幻竜との戦いを終えたばかりのせいか、エイジからは刺々しい殺気がいまだ残っており、レンティアもその雰囲気に少し気圧された。
「リーシャがアンタたちと一緒に出ていったでしょ。心配になって追いかけてきたのよ。……悪い?」
「……わざわざ危険な真似を」
「まぁそう言うなエイジよ。見たところここまでリーシャを連れてきたのはレンティアじゃろう? わしらが戦っておる間、残っておった竜獣から逃げたことは褒めてやるべきじゃ」
「……別に、あんたらに褒めてもらうために来たわけじゃないわよ」
フォウからやや上から目線な言葉を受けて気を悪くしたレンティアはそっぽを向いて、そのまま洞窟の奥で震えている村人たちの方へと向かった。
竜獣の恐怖から解放され、ここから脱出できることを村人に伝えるレンティア。洞窟の奥から徐々に湧き上がる喜びの声の中、リーシャはひとりエイジに近寄っていく。
「あの……エイジさん……」
「……なんだ」
「二回目、ですね。……竜から助けてもらったの」
「助けたつもりは無い。竜がいれば殺す、それが俺の道だ。それだけのことだ」
「……それでも、お礼を言わせてください」
深く頭を下げながら、リーシャは感じていた。
結局、自分は助けられっぱなしだった。幻竜イルシオンが現れたときも、戦闘に巻き込まれないようにフォウに助けられ。二匹の竜獣に見つかった時はレンティアに助けられ。そしてこの洞窟内で絶体絶命のとき、エイジに助けられた。
自分は、やはり何もできないのだろうか。力を持たねば、何かに対抗できる力が無ければ、言葉通りに無力なままで。
リーシャは頭を下げたまま、胸を手で押さえる。名状しがたい、鋭くも鈍い痛みが胸の中にある。
「……フォウは」
リーシャの頭の上から、エイジが言葉をかける。顔を上げると、エイジがなにやら口ごもる様子を見せながら、視線をリーシャの目から外してゆっくりと言葉を繋いでいく。
「あの竜は、お前の心理を理解していない。……言っていただろう、無力なのになぜ行動するのか、と」
「……はい」
「だが、意志の力は……人間が誰しも持っている、確かな力だ。……主観だが、俺の考える無力とは、意志の力すら持たない者のことだ。すべてに受け身になり、拒むことなく状況に飲み込まれ、『対応』しかしないこと……それこそが『無力』だ」
「……エイジさん」
エイジの言葉のひとつひとつが、リーシャの胸の中に響いていく。
逡巡しながら語られるエイジの話が、リーシャの胸の痛みを和らげていく。
「つまり……お前は決して無力じゃない。お前の意志の力は、確かなモノだ。……意志を持ち行動し続ければ、必ず答えは出る。……『葛藤』こそが『道』だ。意志を持ってその道を進み続けろ」
話し始めた時はリーシャの顔から視線を外していたエイジだったが、言葉の最後を語るときはしっかりと彼女の眼を見た。
そうして二人の間にわずかな静寂が流れ、エイジは背を向けて洞窟の入り口へと去っていく。
「あっ……エ、エイジさん!」
リーシャは声をかけるが、エイジは振り返ることなく離れていく。
突然エイジの口から語られた話は、抽象的な部分もあり、リーシャにとって全てが理解できるものでは無かった。だが、それでも確かに、リーシャの胸にはエイジの言葉が沁みいっている。頭でなく、心で言葉を理解できた気がした。
エイジの態度はそう見えなかったが、リーシャには確かに感じられた。
彼は自分に、励ましとも慰めとも取れる言葉を投げかけてくれたのだと。
(……エイジさん。……冷酷さすら感じさせるほど強くて……それでいて、不器用な、優しい人……)
リーシャはぼんやりとエイジの背中を見つめながら、胸のうちで彼の言葉を反芻させていた。
一方で、リーシャの視線を背に受けながら、エイジは戸惑いを覚えていた。
―――なぜ俺は、リーシャにあんなことを話したんだ?
エイジ自身、それがわからなかった。
だがあえて彼の心の内を説明するのならば、それは感傷という言葉が正しい。
今まで心を殺し、復讐だけを考えて、血濡れた孤独な道を歩んできた彼だが、その心にはいまだに人を想う弱さが残っている。
なぜ彼は、その心の弱さを殺すことが出来ないのか?
皮肉にも、彼の目的である『復讐』というものが足かせとなってしまっているからだ。
彼の復讐が、己の為だけのものならば、彼は心を殺し切り人ならざる者になることができただろう。
彼の復讐が、己の為のもので無いからこそ、彼は人であり続けてしまう。
そして無意識のうちに重ねてしまう。
非力でありながら強い意志の力を持つリーシャの姿と、過去の自分を。
そんな過去の自分に、『今の自分のように優しく言葉を紡いでくれた人』を。
なり替わろうとしていたわけではない。無意識的に過ぎない。
エイジは、自分が受けたあの慈しみを無意識にリーシャにも分け与えたかったに過ぎない。
その実、そのことを彼自身、理解することは出来ていない。




