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DAY8 ボールは友達。友達は逃げた。

一 戦いは、午前九時より始まる


午前八時五十七分。


国立天晴大学、旧校舎。


築年数不明、雨漏り常習、床の軋みは環境音。大学側から取り壊しを宣告されたこの建物では、今日も学生たちによる午前九時から午後五時までの立てこもりが行われようとしていた。


ただし、今日は少し事情が違う。


玄関に、一枚の紙が貼られていた。


『本日の予定』


『九時 集合・当番確認』


『十時 フットサル対抗戦』


『十二時 昼食』


『十三時 反省会』


『十四時 通常活動』


『十七時 解散』


その下に、赤いマジックで大きく書かれている。


『絶対勝利!!』


さらに、その横には黒い文字。


『筋肉は裏切らない』


その下には紫色の文字。


『漆黒の蹴撃、解放の日』


そして一番下。


『※怪我をしないこと。施設を壊さないこと。勝手に必殺技を作らないこと。――三重様』


「……最後の注意書き、絶対守られないよね」


神谷莉央(かみや りお)は、掲示板の前で呟いた。


「おはよう、莉央ちゃん!」


振り返ると、チャラ男こと藤澤千荒(ふじさわ ちあら)が、スポーツバッグを肩に掛けて立っていた。


「おはよう。ねえ、チャラ男先輩」


「ん?」


「本当に対戦相手、見つかったの?」


「もちろん!」


チャラ男は親指を立てた。


「体育会のフットサル同好会!」


「……強くない?」


「まあ、そこそこ?」


「その『そこそこ』が信用できないんだけど」


「大丈夫だって! 俺らにも秘密兵器がいるし!」


「誰?」


チャラ男が、旧校舎の奥を指差した。


そこには。


「フンッ!」


「ハァッ!」


「筋肉ッ!」


まっすること田中真摺(たなか まっする)が、朝からスクワットをしていた。


その背中には、何故か巨大な虎の絵。


「……あれ?」


莉央が目を細めた。


「虎?」


「昨日、ラブ先輩が描いたらしいよ」


「なんで?」


「必殺シュートのイメージトレーニングだって」


「嫌な予感しかしない!」


まっするが振り返る。


「おお、莉央! 来たか!」


「おはようございます……」


「今日こそ見せてやろう! 俺の究極奥義を!」


「お願いだから普通に蹴ってください」


「フハハハハ! 安心しろ!」


まっするは胸を張った。


「ボールは絶対に壊さない!」


「心配してるの、そこだけじゃないんだけど!」


廊下の奥から、ロワこと狼羽いやる(ろわ いやる)が現れた。


黒いスポーツウェア。


腕には黒いリストバンド。


首には、意味の分からない金属製のペンダント。


「……時は来た」


「ロワ先輩、おはよう」


「今日、俺は覚醒する」


「昨日も言ってたよね?」


「昨日の俺は、まだ昨日の俺だった」


「そりゃそうだよ!」


ロワはゆっくりと右手を掲げた。


「このフィールドに立つ者は、全員が敵だ」


「味方もいるよ?」


「味方とは、俺の進化を見届ける存在に過ぎない」


「チームスポーツ向いてないよ!」


その背後から、シノブこと影山忍(かげやま しのぶ)が現れた。


「……ロワ」


「何だ?」


「靴紐、ほどけてる」


「……!」


ロワは無言でしゃがみ込んだ。


「覚醒する前に転ぶところだったね」


莉央が呟いた。


* * *

二 十七人と、三人の戦術会議


午前九時。


旧校舎の会議室には、十七人の旧校舎組に自治会の三人を加えた、二十人が集まっていた。


机の上には、手書きのコート図。


その周囲には、丸い駒が並べられている。


「では、作戦会議を始めますわ!」


皆から三重様と呼ばれる副会長、三重晴美(みえ はるみ)が鉄扇を鳴らした。


「まず確認します。フットサルは五人制です。全員が一度に出場できるわけではありません」


「えええええ!」


ラブこと込家羅武(こみけ らぶ)が叫んだ。


「二十人で総攻撃するのではないのでござるか!?」


「何の競技だと思っておりますの!」


「デュフフ……大規模殲滅戦でござる」


「サッカーですわ!」


「フットサルだよ、三重様」


莉央が小声で訂正した。


「……細かいことはよろしい!」


三重様が咳払いする。


「交代は適宜行います。経験者を中心にしつつ、希望者にも出番を作りますわ」


「オレ様がキャプテンをやろう!」


学生自治会書記の剛田つよし(ごうだ つよし)が立ち上がった。


「心の友よ! オレ様についてこい!」


「剛田さん、サッカー経験は?」


「ない!」


「じゃあ座って!」


「うむ!」


剛田は素直に座った。


「では、戦術面はチャラ男さんにお願いしますわ」


「了解!」


チャラ男はホワイトボードに五つの丸を描いた。


「まずは俺と莉央ちゃんが前でボールを動かす。守備はシノブ。あとは状況見ながら交代で」


「まっする先輩は?」


莉央が尋ねる。


「……うん」


チャラ男は少し考えた。


「ゴール前に置いとこうか」


「置物扱い!?」


まっするが叫んだ。


「俺は走れるぞ!」


「知ってるけど、ボール持ったら絶対すごいことするじゃん」


「すごいことをするために来た!」


「ほら!」


一方、煎論益子(いろん ますこ)は電卓を叩いていた。


「戦力を数値化しましょう」


「できるの?」


「できます。チャラ男さんを百とすると……」


「うん」


「莉央さんが九十四」


「おおっ!」


「シノブさんが八十七」


「……どうも」


「まっするさんが……」


電卓が止まった。


「……測定不能です」


「強すぎるということか!」


「いえ。評価項目が筋力に偏りすぎて、競技適性を算出できません」


「筋肉を信じろ!」


「統計は筋肉を信じません!」


その隣では、アキこと白澤秋(しろさわ あき)がカメラを構えていた。


「今日の試合、絶対撮るからね!」


キアリや地味キャリーの呼び名を持つ地味来有(じみ きあり)が三脚を運んでくる。


「監督、普通のスポーツ記録でいいんですよね?」


「もちろん!」


「……本当ですか?」


「タイトルは『十一人いない!』」


「最初から不安しかないんですが!」


「スポーツドキュメンタリーだよ!」


「ドキュメンタリーのタイトルにしては切実すぎます!」


ヘルシーこと優居減子(やさい へるし)は、大きな水筒を並べていた。


「水分補給、忘れないでくださいね」


稲森穂乃(いなもり ほの)が、その横にタオルを置く。


「……あと、無理しないこと」


仁藤均(にとう ひとし)も頷いた。


「準備運動をしっかりしよう。特にまっする、力任せに蹴るなよ」


「分かっている!」


「本当に?」


「全力の七割に抑える!」


「三割にしてくれ」


「それでは筋肉に申し訳が立たん!」


「誰に謝るんだよ」


千堂俊雄(せんどう ただお)は、会議室の床を見つめていた。


「体育館の床は大丈夫なのか?」


「何が?」


「まっするの踏み込みだ」


「そんなに!?」


「手抜きは爆発だぁああ!!」


「今日は爆発しないから!」


夜乃さとみ(よの さとみ)が、莉央の肩をつついた。


「ねえ、莉央」


「ん?」


「莉央、サッカー上手いんだ?」


「うーん。ちょっとだけ」


「どのくらい?」


「昔、よくボール蹴ってたくらいだよ」


「へえ」


チャラ男が笑った。


「その『ちょっと』、俺と同じタイプじゃない?」


「どういう意味?」


「あとで分かるよ」


莉央は首を傾げた。


その隣で、学生自治会執行部長の御坊千也真(おぼう ちやま)が静かに拳を握っていた。


「り、莉央さん……!」


「御坊さん?」


「きょ、今日は……ぼ、僕も全力で応援します!」


「ありがとう!」


「も、もちろん、出場することになったら……!」


「うん!」


「命を懸けて守ります!」


「命は懸けなくていいからね!?」


三重様が鉄扇を閉じた。


「では、出発しますわ!」


二十人が立ち上がる。


こうして、旧校舎の威信を懸けた戦いが始まった。


なお、この時点で全員が忘れていた。


そもそも、旧校舎の威信とフットサルの勝敗には、何の関係もないということを。


* * *

三 相手が普通に強い


午前十時。


大学の体育施設。


コートの向こう側には、フットサル同好会の五人が並んでいた。


揃いのユニフォーム。


引き締まった身体。


無駄のないウォーミングアップ。


誰が見ても、ちゃんとしたチームである。


一方、旧校舎組。


「我が右脚の封印を解く時が……」


「ロワ、準備運動」


「……了解」


「筋肉ッ!」


「まっする、ストレッチ!」


「了解ッ!」


「きゃー、ボールが転がってきたぁぁ!」


「まだ試合始まってないよ!」


莉央は、すでに疲れていた。


相手チームのキャプテンが、チャラ男に歩み寄る。


「今日はよろしく」


「よろしくー!」


「そっち、人数多いね」


「まあね。全員出たいって言うから」


「……大丈夫?」


「たぶん!」


「たぶん?」


相手キャプテンは、旧校舎組を見渡した。


ラブが謎のポーズを取っている。


ロワが空を睨んでいる。


まっするが筋肉を触っている。


御坊が莉央を見て赤くなっている。


益子が電卓を叩いている。


千堂が床を調べている。


「……本当に大丈夫?」


「たぶん!」


チャラ男の笑顔は、どこまでも爽やかだった。


やがて、試合開始の笛が鳴った。


ピィッ!


最初にボールを持ったのは、チャラ男だった。


「じゃ、行こっか」


軽く右足で触れる。


相手が一人、寄せてくる。


チャラ男は、身体を少し傾けた。


相手が右へ動く。


その瞬間、ボールは左へ。


「……え?」


するり。


二人目が来る。


今度は足裏でボールを引き、くるりと方向転換。


「ちょっ……!」


三人目。


チャラ男は、ほとんど速度を変えない。


細かなタッチ。


自然な重心移動。


気づけば、相手の守備網を抜けていた。


「莉央ちゃん!」


「うん!」


チャラ男が、横へパスを出す。


莉央はボールを受ける前に、ちらりと顔を上げた。


相手の位置。


味方の位置。


空いているスペース。


ほんの一瞬で確認する。


そして。


トン。


小さくボールを動かした。


相手が詰める。


莉央は身体を半回転させ、相手の重心を外す。


トン、トン。


狭い隙間を抜けた。


「えっ!?」


「今、どうやって!?」


莉央は答えない。


視線だけでチャラ男の走る方向を確認する。


次の瞬間。


すっ。


相手二人の間を通る、絶妙なパス。


「ナイス!」


チャラ男が走り込む。


軽く蹴る。


コロコロ……。


ゴール。


ピィッ!


「「「おおおおおお!」」」


旧校舎組が沸いた。


「莉央ちゃん、上手すぎない!?」


さとみが叫ぶ。


「えへへ。ちょっとだけね!」


「その『ちょっと』、絶対嘘でしょ!」


チャラ男が笑う。


「いやー、いいパスだった!」


「チャラ男先輩こそ!」


二人が軽く手を合わせる。


その姿を見た相手キャプテンは、静かに呟いた。


「……あの二人、何者?」


アキはカメラを握りしめた。


「撮れた……! すごい画が撮れた!」


キアリが頷く。


「監督、これは本当にスポーツドキュメンタリーになりますね!」


「うん!」


「珍しく!」


「珍しくって何!?」


しかし。


旧校舎組の栄光は、長くは続かなかった。


* * *

四 ボールが来る。それだけで事件。


交代の時間。


三重様の指示で、未経験者たちが順番にコートへ入ることになった。


「皆さん、落ち着いてくださいまし! ボールをよく見て!」


「分かりました!」


ヘルシーが元気よく返事をする。


その直後。


ころころころ。


ボールが転がってきた。


「きゃああああああ!」


ヘルシーは逃げた。


「なんでぇぇぇ!?」


莉央が叫ぶ。


「だって急に来たから!」


「ボールは来るものだよ!」


次に、ラブ。


「デュフフ……我が守備結界を突破できるかな?」


ボールが来た。


「きゃー! こっち来たぁぁぁ!」


ラブは逃げた。


「結界は!?」


「緊急回避でござる!」


「守ってよ!」


ほのがボールを追いかける。


「あ、あの……待って……!」


ころころ。


「待って……!」


ころころ。


「……速い」


「普通に転がってるだけだよ!」


益子は、コートの端で電卓を叩いていた。


「この角度なら、ボールがこちらへ来る確率は……」


ゴンッ。


「ぶふっ!」


ボールが足に当たった。


「計算外です!」


「計算してたよね!?」


千堂は、ボールより床を見ていた。


「ここ、少し滑りやすいな」


「千堂先輩、ボール!」


「待て! 床の摩擦係数が――」


ころんっ。


「うおおおお!」


「先輩ぃぃぃ!」


剛田は、味方に向かって叫んだ。


「心の友よ! オレ様に任せろ!」


ボールを受ける。


蹴る。


真横へ飛ぶ。


「……あれ?」


味方のいない方向だった。


「心の友、どこだぁぁぁ!」


「剛田さんが反対に蹴ったんだよ!」


御坊は、ゴール前で固まっていた。


「よ、よし……!」


相手が近づく。


「ぼ、僕が……莉央さんを……!」


莉央が叫ぶ。


「御坊さん、ボール!」


「は、はいっ!」


振り向く。


ゴンッ。


顔面直撃。


「ぶふぉっ!」


「御坊さぁぁぁん!」


三重様が鉄扇を開いた。


「何をしているのですか! 全員、もっと落ち着きなさい!」


その足元に、ボールが転がってきた。


「ひゃっ!」


三重様が飛び上がった。


「三重様も!?」


「い、今のは不意打ちですわ!」


「ボールに不意打ちとかないから!」


コートの外では、熊田牛男(くまだ うしお)が頭を抱えていた。


「ベコぉぉぉ! 助けてくれぇぇぇ!」


「ベコはここにいないよ!」


「夢の中なら助けてくれたべ!」


「昨日の夢、まだ引きずってるの!?」


相手チームのキャプテンは、しばらくその光景を見つめていた。


そして、ぽつり。


「……あいつら、何しに来たんだ?」


誰も答えられなかった。


* * *

五 漆黒のエゴイスト


試合は、相手チームのリードで進んでいた。


旧校舎組は交代を繰り返し、経験者と初心者を混ぜながら戦っている。


その中で、ひときわ異彩を放つ男がいた。


ロワである。


「……見えた」


彼は、コートの中央で立ち止まった。


「この試合の、勝利への方程式が」


「ロワ、動いて」


シノブが言った。


「俺の中のエゴが、覚醒を求めている」


「……ボール、右」


「俺は誰の指示も受けない」


「……相手、来る」


「このフィールドの主役は――」


するっ。


相手がボールを奪った。


「――俺だ!」


「……取られた」


「何ィィィ!?」


ロワは膝をついた。


「馬鹿な……俺の計算を超えたというのか……!」


「計算する前にボール見て!」


莉央が叫ぶ。


ロワは立ち上がった。


「ふっ……面白い」


「面白がらないで守備して!」


「ならば、俺の真の力を見せよう」


ロワの脳内で、コートが漆黒に染まった。


足元から黒い炎が噴き上がる。


巨大な鎖が、空中に浮かぶ。


背後には、謎の魔眼。


――もちろん、全部本人の想像である。


「俺のエゴが……世界を喰らう!」


「ロワ先輩!」


莉央が叫ぶ。


「今度こそ……!」


「靴紐!」


「…………!」


ロワは足元を見た。


またほどけていた。


「……くっ!」


シノブが、静かに呟く。


「……結び方、教えようか」


「不要だ!」


「……三回目」


「…………教えてくれ」


その間に、シノブは相手のシュートをきっちり防いでいた。


動きは地味。


無駄がない。


相手の足元を見て、コースを読む。


必要なところに、必要なだけ身体を動かす。


「……ナイス、シノブ先輩!」


莉央が声を掛ける。


「……どうも」


「すごいね! 経験あるの?」


「……少し」


「また『少し』!?」


シノブは、それ以上何も言わなかった。


一方、ロワは靴紐を結び直しながら呟く。


「……俺はまだ、真の覚醒に至っていない」


「まずは蝶々結びを覚醒させて」


莉央のツッコミが、コートに響いた。


* * *

六 筋肉の世界では、コートが長い


後半。


残り時間が少なくなってきた。


旧校舎組は、二点差を追っていた。


「そろそろ、俺の出番だな」


まっするが立ち上がった。


「……来た」


ラブが眼鏡を押し上げる。


「ついに、あの男が……!」


絵巻千景(えまき ちかげ)が尋ねる。


「何かあるの?」


「デュフフ……昨日、必殺技の構想を聞かされたのでござる」


「必殺技?」


「そう。伝説の猛獣を宿した、究極のシュート……!」


ラブの声が震えた。


「まさか……あの技を、本当に……!」


まっするがコートへ入る。


その瞬間。


彼の視界が変わった。


体育館の壁が、遠ざかっていく。


コートが伸びる。


どこまでも伸びる。


地平線の向こうに、ゴールが見えた。


「……遠い」


まっするが呟く。


「遠すぎる!」


走る。


走る。


走る。


しかし、ゴールは一向に近づかない。


「何故だ! 俺の脚力をもってしても、届かないというのか!」


現実。


まっするは、コートの中央で足踏みしていた。


「……何してるの?」


莉央が聞く。


「地平線の向こうへ走っている!」


「体育館の中だよ!?」


「俺には見える!」


「何が!?」


「果てしないピッチが!」


「見えなくていいから!」


チャラ男が、笑いながらボールを渡した。


「まっする先輩、ほら!」


「おお!」


まっするが受ける。


相手が寄せてくる。


「来たな!」


まっするは、右脚を大きく振りかぶった。


「筋肉は……!」


「待って、そこから撃つの!?」


「裏切らないッ!」


ドゴンッ!


ボールは猛烈な勢いで飛んだ。


ただし。


真上へ。


ゴォォォン!


体育館の天井近くの防球ネットに当たり、ボールが落ちてきた。


「…………」


まっするは空を見上げた。


「……筋肉が、空を求めた」


「求めないで!」


千堂が叫ぶ。


「施設を壊すなぁぁぁ!」


三重様が鉄扇を振り上げる。


「田中さん! 次に同じことをしたら交代ですわ!」


「了解ッ!」


まっするは真剣な顔で頷いた。


「次は地上を狙う!」


「最初からそうして!」


ラブが、静かに呟いた。


「……まだ、真の技ではないのでござる」


千景が首を傾げる。


「本当にあるの?」


「ある」


「見たの?」


「……昨日、技名だけ聞いた」


「じゃあ、まだ何も分からないじゃん」


「デュフフ……だが、我が魂が震えているのでござる!」


その予感だけは、間違っていなかった。


* * *

七 残り三十秒


試合終了まで、残り三十秒。


スコアは、旧校舎組が一点差で負けていた。


最後の攻撃。


チャラ男がボールを持つ。


「莉央ちゃん!」


「うん!」


莉央が走る。


相手が一人、寄せてくる。


莉央は、細かなタッチで相手を外す。


二人目。


身体をくるりと回し、逆方向へ。


「うわっ!」


三人目。


莉央は、ちらりと顔を上げた。


チャラ男が走っている。


その後ろには、まっする。


さらに、ロワ。


「……見えた!」


莉央が呟く。


足元から、鋭いパス。


チャラ男が受ける。


相手を一人抜く。


二人抜く。


三人目の足が伸びる。


しかし、チャラ男は慌てない。


ボールを足裏で引き、身体を反転。


「おっと」


相手が空振りする。


「ごめんね」


「うわぁぁぁ!」


チャラ男は、ゴール前へ抜けた。


だが、キーパーが飛び出してくる。


「まっする先輩!」


チャラ男が叫んだ。


「任せろぉぉぉ!!」


まっするが走り込む。


その瞬間。


空気が変わった。


まっするの右脚が、異様なほど大きく見えた。


筋肉が隆起する。


全身の血管が浮かび上がる。


床が、低く唸った。


――ような気がした。


「……来る!」


ロワが叫ぶ。


「何かが……来る!」


ラブが、眼鏡を押し上げた。


「デュフフ……まさか……!」


まっするの背後に、巨大な影が現れた。


鋭い牙。


恐ろしい咆哮。


大地を震わせる、猛獣の気配。


「……虎?」


莉央が呟く。


「虎だ……!」


ラブが震える。


「ついに、伝説の……!」


まっするが、右脚を振り抜いた。


「喰らえぇぇぇぇ!!」


全身の筋肉が、一点に集中する。


「ポメラニアァァァァン・ショットォォォォ!!!」


ぽふんっ。


現れた。


巨大な。


真っ白で。


ふわっふわの。


ポメラニアン。


くりくりの瞳。


小さな鼻。


ふさふさの尻尾。


首には赤いリボン。


「キャンッ♡」


「…………」


一瞬、世界が止まった。


ラブの眼鏡が、ずり落ちた。


「そこはタイガーじゃないのでござるかぁぁぁぁ!!?」


その絶叫と同時に。


ドッッッゴォォォォン!!


ボールが飛んだ。


ものすごい勢いだった。


ゴールキーパーの目には、巨大なポメラニアンがこちらへ駆けてくるように見えた。


「えっ……?」


ふわふわ。


もふもふ。


「か……」


もふもふもふ。


「かわいいぃぃぃ!」


キーパーは、思わず両手を広げた。


「おいでぇぇぇ!」


ズドンッ!


ボールが、ゴールネットを揺らした。


ピィィィィッ!


「「「入ったぁぁぁぁぁ!!!」」」


旧校舎組が、一斉に飛び上がった。


「やったぁぁぁ!」


「すごい!」


「まっする先輩!」


「筋肉は裏切らなかったぁぁぁ!」


まっするが両腕を突き上げる。


「見たか! これぞ我が究極奥義!」


莉央が駆け寄った。


「まっする先輩! 今の何!?」


「ポメラニアンショットだ!」


「それは聞いた!」


「我が家の愛犬、ポメ吉の魂を込めた!」


「実家の犬なの!?」


ラブが絶叫する。


「実家の犬なのでござるかぁぁぁ!!」


「そうだ!」


まっするは誇らしげに頷いた。


「体重三・二キロ! 小さな身体に無限の闘志を宿す、最強の戦士だ!」


「ただの可愛いワンちゃんじゃん!」


「違う!」


まっするが拳を握る。


「ポメ吉は、俺の筋肉の師匠だ!」


「犬が!?」


「毎朝、俺より早く起きる!」


「それ筋トレ関係ないよ!」


「そして、俺が腕立て伏せをしていると、背中に乗る!」


「ただ遊んでほしいだけじゃない!?」


「ポメ吉の負荷が、俺をここまで鍛えた!」


「三・二キロだよね!?」


その横で、ロワが膝をついていた。


「……俺には見えた」


シノブが尋ねる。


「……何が?」


「白き獣の、真の姿が」


「……犬だったね」


「違う! あれは……!」


ロワが震える指を掲げる。


「深淵より現れし、白銀の魔獣……!」


「ポメラニアンだよ!」


莉央のツッコミが炸裂した。


* * *

八 勝ったのか、負けたのか


試合は、まだ終わっていなかった。


残り数秒。


スコアは同点。


相手チームは、すぐにボールを動かした。


「集中!」


チャラ男が叫ぶ。


莉央が走る。


シノブが守る。


ロワが叫ぶ。


「俺のエゴが――」


「ロワ、守備!」


「了解!」


まっするは、まだポーズを決めていた。


「筋肉ッ!」


「まっする先輩も戻って!」


相手がシュートを放つ。


シノブが身体を伸ばす。


ボールに触れた。


弾かれたボールが、コートの端へ転がる。


ピィィィッ!


試合終了。


同点。


引き分けだった。


「…………」


旧校舎組は、しばらく黙っていた。


やがて。


「……引き分け?」


莉央が呟く。


チャラ男が笑った。


「うん。引き分けだね」


「勝ってないんだ」


「勝ってないね」


「……でも」


莉央は、周囲を見渡した。


まっするは筋肉を見せびらかしている。


ロワは地面を見つめている。


シノブは靴紐を結び直している。


ラブは、まだ「そこはタイガーでは」と呟いている。


千景は、ポメラニアンの絵を描き始めている。


さとみは笑っている。


アキは撮影映像を確認している。


キアリは、その横で頭を抱えている。


益子は、引き分けの経済的価値を計算している。


ヘルシーは水筒を配っている。


ほのは、タオルを差し出している。


仁藤は、まっするの脚を心配している。


千堂は、体育館の床を確認している。


牛男は、なぜかベコの写真を見せている。


御坊は、莉央に声を掛けようとして固まっている。


剛田は、全員に向かって叫んでいる。


「心の友よ! よく戦ったぁぁぁ!」


そして三重様が、鉄扇を閉じた。


「……まあ、悪くない試合でしたわ」


莉央は、笑った。


「うん!」


勝ってはいない。


でも、負けてもいない。


何より。


「……楽しかった!」


その一言に、みんなが頷いた。


相手チームのキャプテンが歩み寄る。


「いやー、面白い試合だったよ」


チャラ男が握手する。


「ありがと! またやろうぜ!」


「ぜひ。……ただ」


「ん?」


「次は、あの筋肉の人のシュート、もう少し普通にしてもらえる?」


「……うん」


チャラ男は、まっするを見た。


「たぶん無理!」


「だよね!」


二人は笑った。


* * *

九 映像には、何が映っていたのか


午後一時。


旧校舎。


昼食を終えた二十人は、会議室に集まっていた。


アキが、今日の試合映像を再生している。


「さあ、問題のシーンです!」


画面には、まっするが映っていた。


大きく振りかぶる。


筋肉が隆起する。


右脚を振り抜く。


「ポメラニアァァァァン・ショットォォォォ!!!」


ドゴンッ!


ボールが飛ぶ。


ゴールネットが揺れる。


「…………」


莉央が首を傾げた。


「……あれ?」


さとみも画面を覗き込む。


「ポメラニアン、いないね」


「……うん」


映像には、犬の姿など映っていなかった。


当たり前である。


しかし。


「待って」


キアリが、映像を巻き戻した。


「ここ、見てください」


スロー再生。


まっするが蹴る直前。


相手チームのキーパーが、突然両手を広げていた。


まるで、何かを抱きしめようとするように。


「……何これ?」


莉央が呟く。


「しかも、こっち」


アキが別の映像を再生する。


コートの外。


ラブが、眼鏡をずり落として叫んでいる。


『そこはタイガーじゃないのでござるかぁぁぁぁ!!?』


「…………」


全員がラブを見た。


「デュフフ……」


ラブは、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。


「……見えたのでござる」


「何が?」


「白き魔獣が」


「ポメラニアンでしょ!」


「そうでござる!」


「認めた!」


そのとき、ハジメこと理科野発(りかの はじめ)が立ち上がった。


「でゅふふ……これは興味深いのである!」


「嫌な予感」


莉央が呟く。


「集団幻覚! あるいは筋肉による認知干渉!」


「筋肉でそんなことできるの!?」


「研究する価値があるのである!」


「やめて!」


「早速、次世代ロボットに搭載するのである!」


「もっとやめて!」


ハジメは、懐から設計図を取り出した。


そこには、大きな文字。


『旧校舎防衛ロボ最終型EX2』


その下。


『新機能:ポメラニアン威嚇モード』


「…………」


莉央が、ゆっくりと顔を上げた。


「……ハジメ先輩」


「何であるか?」


「昨日のロボット、まだ直してないよね?」


「でゅふふ! もちろんである!」


「じゃあ、なんで新機能増えてるの!?」


「科学は常に進化するのである!」


「まず電話をやめさせて!」


ハジメは、真剣な顔で答えた。


「それは無理なのである」


「なんで!?」


「最大の防衛装備なのである!」


「最大の弱点だよぉぉぉ!!」


* * *

十 午後五時、ボールは友達


午後四時五十分。


旧校舎では、今日も帰り支度が始まっていた。


フットサル対抗戦は、引き分け。


怪我人はなし。


施設の破損もなし。


ただし、まっするのポメラニアンショットについては、体育施設の担当者から「次回はもう少し穏やかにお願いします」と言われてしまった。


「……穏やかなポメラニアンショットって何?」


莉央が呟く。


「優しく蹴るのである!」


ハジメが答えた。


「ハジメ先輩に聞いてない!」


チャラ男が、スポーツバッグを肩に掛ける。


「いやー、楽しかったね!」


「うん!」


「莉央ちゃん、また一緒にやろうぜ!」


「もちろん!」


さとみが笑う。


「次は私も、もうちょっと練習してから出たいな」


「いいね!」


「ボールが来ても逃げないようにしないと」


「そこから!?」


三重様が、手帳を閉じた。


「次の行事を考えるのは構いませんが、旧校舎の当番を疎かにしないこと!」


「はーい!」


「返事だけはよろしいんですから!」


御坊が、莉央の前に立った。


「り、莉央さん……!」


「御坊さん?」


「きょ、今日のプレー……本当に素敵でした!」


「ありがとう!」


「ぼ、僕も……もっと練習します!」


「うん。一緒にやろうね!」


「は、はいっ!」


御坊は、真っ赤になって走り去った。


剛田が、その背中を追いかける。


「心の友よ! 待てぇぇぇ!」


「剛田さん、何で追いかけるの!?」


「友情だぁぁぁ!」


「意味分かんない!」


その横で、まっするが静かに拳を握っていた。


「……次は、もっと強い技を完成させる」


ラブが、ぴくりと反応した。


「デュフフ……次こそ、虎でござるか?」


「いや」


まっするは、真剣な顔で答えた。


「ポメ吉には、弟がいる」


「…………」


「名前は、チワ太だ」


「次はチワワなのでござるかぁぁぁぁ!!」


旧校舎に、ラブの絶叫が響き渡った。


莉央は、とうとう膝をついた。


「もう……誰か……普通の人はいないの……?」


さとみが、ぽんと肩を叩く。


「莉央」


「……何?」


「普通の人は、そもそも旧校舎に立てこもらないと思う」


「…………」


莉央は、しばらく考えた。


そして。


「……それもそうだね」


二人は笑った。


午後五時。


今日も、十七人の旧校舎組と自治会の三人は、旧校舎を後にした。


取り壊し問題は、何も解決していない。


明日も、きっと何かが起こる。


それでも。


彼らは今日、ボール一つで、思いきり笑った。


勝ったわけでもない。


負けたわけでもない。


ただ、みんなで走って、転んで、叫んで。


それだけで、十分だった。


――少なくとも。


旧校舎のどこかで、ハジメが「ポメラニアン威嚇モード」を完成させるまでは。


――DAY8・終――


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