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DAY4 ベコ、カムバック!

 午前八時四十七分。


 国立天晴大学の旧校舎裏で、千堂俊雄(せんどう ただお)は、地面に一本の杭を打ち込んだ。


「ここから先は畑。排水溝を挟んで、こっちが動物区画だ」


 杭から伸びた黄色い紐は、草ぼうぼうの空き地をきれいに二分していた。


「……昨日まで何もなかったよね、ここ」


 「ヘルシー」と呼ばれる優居減子(やさい へるし)が呟く。


「なかった。昨日の夕方、学長に相談して、施設管理の先生に連絡して、今朝から区画の整備だ」


「今朝から!?」


「図面は夜のうちに引いた」


 千堂は目の下にくっきりと隈を作っていた。


「睡眠は?」


「設計に使った」


「寝て!」


 「ほの」と呼ばれる稲森穂乃(いなもり ほの)が、図面の隅を指さした。


「これ、ちゃんと許可出たの?」


「大学の管理担当から、教育目的の短期試験区画として、畑だけ条件付きで認められた。原状回復が前提。動物区画は――」


 千堂はそこで言葉を切った。


「動物区画は?」


「まだ図面上だ」


「ですよね」


 背後で、熊田牛男(くまだ うしお)が、両手を空に突き上げた。


「でも区画があれば、べこが帰って来られるべぇ!」


「帰って来られません!」


 ヘルシーとほのの声が重なった。


「牛はダメって言われただけだべ。羊なら――」


「昨日、学長に『それは別の話』って言われたでしょ!」


「じゃあ、べこは?」


「牛も同じ話!」


 牛男は深刻な顔で頷いた。


「……難しいべな、大学って」


 千堂は動物区画予定地の紐を引っ張り、杭をもう一本打ち込んだ。


「飼うなら飼養場所、衛生、餌、排せつ物、獣医、搬入経路まで全部確認する。許可なしに動物を入れたら、せっかく認められた畑までなくなるぞ」


「……分かったべ」


 牛男は肩を落とした。


 だが三秒後、目を輝かせた。


「じゃあ、許可取ればべこカムバックだべ!」


「そういう話ではあるけど、今日ではない!」


 千堂の声が、朝の空き地に響いた。


* * *

午前九時〇二分 収穫間近の野菜が引っ越してきた


 旧校舎裏に、台車が三台並んだ。


 上には、土ごと掘り上げられた葉物野菜や、鉢に植えられたミニトマト。まだ青い実のついた株もあれば、もう収穫できそうな小松菜もある。


「……えっ、昨日植えたばっかりなのに、もう収穫?」


 様子を見に来た神谷莉央(かみや りお)が目を丸くした。


「昨日の種が一晩で育つわけないでしょ」


 ヘルシーが笑う。


「これは研究会の別の実習場所で育ててた株。管理の先生と相談して、移せる分だけ持ってきたの」


「移植は根を傷めるから、全部が無事とは限らないけどね」


 ほのがノートに記録する。


「それでも、ここで育つかどうかの比較にはなるよ」


「すごい……」


 莉央は小松菜を見つめた。


「三十日後に食べるって話、冗談じゃなかったんだ」


「食べるのは、ちゃんと育って安全を確認してからね」


 ヘルシーが念を押した。


 そこへ筋力トレーニング研究会の「まっする」と呼ばれる田中真摺(たなか まっする)が現れた。


「運搬なら任せろ! 筋肉は重いものを持つためにある!」


「じゃあ、この培養土をお願い」


「任された!」


 まっするは大袋を二つ抱え上げた。


「ぐおぉおお! 上腕二頭筋が泣いてるぞぉ!!」


「泣かせずに運んで!」


 莉央が叫ぶ。


 まっするは袋を下ろし、畑を見回した。


「ところで……」


「何?」


「この小松菜、タンパク質は?」


「少しはあるけど」


「少し……」


 まっするの顔が曇った。


 その視線が、空っぽの動物区画に移る。


「……牛は?」


「いないよ!」


「そうか……」


 なぜか残念そうだった。


 牛男がまっするの肩に手を置いた。


「心配するな。べこは帰ってくるべ」


「牛は食べ物じゃないからね!?」


 莉央は先回りして叫んだ。


* * *

午前九時三十分 宣戦布告は体育会系から


 旧校舎正面の広場に、黒い服の一団が現れた。


 先頭に立つのはサバイバルゲーム研究会部長、「ロワ」と呼ばれる狼羽いやる(ろわ いやる)。


「ふっ……時は満ちた。旧校舎を守る結界は、我らが張る」


 隣に立つ「シノブ」と呼ばれる影山忍(かげやま しのぶ)が、小声で言った。


「ロワ、結界じゃなくて警戒線」


「同じことだ」


「違うよ」


 ロワたちは、広場に立て札を並べた。


『旧校舎防衛訓練・立入注意』


 そこへ、学生自治会書記の剛田つよし(ごうだ つよし)がやって来た。


 後ろには、体育会の運動部部長たちが数人いる。


「おいおい、何だこの物々しい看板は」


「剛田……貴様か。大学側の尖兵め」


「オレ様は自治会だ。今日は文化祭の会場調整で来た」


「言い訳は無用!」


「人の話を聞け!」


 剛田の後ろで、運動部の部長が呆れたように腕を組んだ。


「この広場、文化祭の準備で使うんだよ。勝手に占有されると困る」


「旧校舎防衛のためだ!」


「文化祭の準備も学生の活動だろ?」


「……む」


 ロワが詰まった。


 剛田はニヤリと笑った。


「だったら、どっちが広場を上手く使えるか、勝負して決めようぜ」


「勝負だと?」


「安心しろ。危ないものは使わねえ。文化祭用の障害物コースを設営して、運搬と誘導の速さを競う。それでどうだ」


 シノブがロワの袖を引いた。


「ロワ、これ普通に準備の手伝いだよ」


「ふっ……敵の策に乗るのも、また戦略」


「だから手伝いだって」


 こうして、サバゲー研究会と剛田率いる運動部の、何とも平和な対決が始まった。


* * *

午前十時十五分 第一回・広場奪還戦


「ルールは簡単だ!」


 剛田が手を叩いた。


「倉庫から机を運び、指定位置に並べ、最後に案内看板を立てる。速さだけじゃなく安全確認も採点する!」


「よかろう。闇の機動力を見せてやる」


 ロワはマントの裾を翻した。


「そのマント、机に引っかかるぞ」


「これは封印具だ!」


「じゃあ封印しとけ」


 合図と同時に、両チームが走り出した。


 運動部側はさすがに速かった。机を二人一組で持ち、無駄なく配置していく。


 一方、ロワは腕を組んで指示を出す。


「シノブ! 左翼から回り込め!」


「普通に正面が近いよ」


「敵の予測を裏切るのだ!」


「距離が倍になる!」


 その隙に、剛田が机を三つ並べ終えた。


「はっはっは! どうした、混沌の継承者!」


「ぐぬぬ……」


 だが、看板の設置で逆転が起きた。


 運動部側は案内図を読み違え、看板を反対向きに立ててしまったのだ。


「おい剛田! これだと来場者が旧校舎の裏に行くぞ!」


「何っ!?」


 シノブが素早く気づき、正しい位置を示した。


「こっち。人の流れを分けないと危ない」


「……お前、よく見てるな」


 剛田が感心する。


「サバゲーは周りを見るのが大事だから」


「なるほどな」


 結局、勝負は引き分けになった。


 机も看板も、文化祭のためにきれいに設置された。


 ロワは腕を組み、満足げに頷く。


「ふっ……我らの完全勝利だ」


「引き分けだろ!」


「だが広場は整った」


「……それはそうだな」


 剛田は大きく笑った。


「お前ら、案外やるじゃねえか。今度も頼むぜ!」


「敵に情けをかけられるとは……!」


「いや、普通に感謝してるんだが?」


 旧校舎の窓からその様子を見ていた莉央は、首を傾げた。


「……あの人たち、何と戦ってたの?」


 隣の夜乃さとみ(よの さとみ)が答えた。


「文化祭の準備じゃない?」


「だよね」


* * *

午前十一時四十分 立てこもりと文化祭と


 旧校舎の共用部室には、大きな模造紙が貼られていた。


『天晴大学文化祭・旧校舎組 出し物会議』


「ちょっと待って!」


 莉央が声を上げた。


「ぼくたち、立てこもってるんだよね?」


「うん」


 さとみが頷く。


「なのに文化祭もやるの?」


「だって文化祭は近いし」


「近いけど!」


 アニメーション研究会の「ラブ」と呼ばれる込家羅武(こみけ らぶ)が眼鏡を押し上げた。


「デュフフ……文化祭とは、我ら文化系サークルの晴れ舞台でござる」


「昨日のコスプレ事件、まだ許してないからね」


「ひっ」


 映像制作研究会の「アキ」と呼ばれる白澤秋(しろさわ あき)がカメラを構える。


「むしろ、立てこもりながら文化祭をやるドキュメンタリーは面白い。二つの時間が並走するんだ」


「勝手に撮らないで!」


「カット。今の怒り、もう一回」


「やらない!」


 机の端で、学生自治会副会長で、皆に「三重様」と呼ばれる三重晴美(みえ はるみ)が鉄扇を開いた。


「大学の公式行事と、施設の使用を巡る抗議活動は別問題ですわ。文化祭に参加するなら、会場や安全面の手続きは守っていただきます」


「三重様、いつから会議に?」


「先ほどからですわ!」


 その横では、学生自治会執行部長の御坊千也真(おぼう ちやま)が莉央を見つめていた。


「り、莉央さんの歌……文化祭で聴けるのでしょうか……」


「御坊、議事録!」


「は、はいっ!」


 三重様の一喝で、御坊が背筋を伸ばした。


 莉央は模造紙にペンを走らせた。


「じゃあ、何を出すか、順番に決めよう!」


 最初に手を挙げたのはまっするだった。


「筋肉研究会は、公開トレーニングと体力測定!」


「安全第一でね」


「もちろんだ! プロテイン試飲会も――」


「食品の出店許可が必要ですわ」


 三重様が即座に言う。


「ぐおぉ……!」


 次はラブ。


「アニ研は自主制作アニメ上映と、可憐たん研究展示!」


「版権物の展示方法は確認してね」


「現実は厳しいでござる……」


 アキが手を挙げる。


「映研は短編映画上映。昨日の素材もある」


「昨日の素材は使わないで!」


「カット」


「何をカットしたの!?」


 「ハジメ」と呼ばれる理科野発(りかの はじめ)が、紙袋から小さな装置を出した。


「でゅふふ……科学研究会は『触るとしゃべる案内ロボット』を展示するのである!」


「触ると爆発しない?」


「しないのである!」


「前のシャッターも『安心』って言ってたよね」


「……展示前に試験するのである」


 牛男が両手を挙げる。


「農業・畜産研究会は野菜の展示と、べこのふれあい広場だべ!」


「牛は許可が出てから!」


「じゃあ、野菜と、べこの写真展だべ」


「それならいいと思う!」


 千堂が図面を掲げた。


「土木研究会は旧校舎の補修模型と、建物の安全を考える展示だ。手抜きは爆発だぁああ!!」


「展示は爆発させないで!」


 ロワが立ち上がる。


「サバゲー研究会は、暗黒迷宮・戦術体験!」


 シノブが訂正した。


「安全な的当てと障害物体験。危ない道具は使わないよ」


「我が名を奪うな……!」


 煎論益子(いろん ますこ)は満面の笑みで言った。


「投資研究会は仮想株式ゲーム! 参加者に架空のお金を配って、最後に資産を競ってもらうの!」


「本物のお金は使わないでね」


「もちろん! ……出資者は募れるけど」


「募らないで!」


 テニスサークルの「チャラ男」と呼ばれる藤澤千荒(ふじさわ ちあら)は、ラケットを肩に担いで笑った。


「うちはミニテニス体験かな。誰でも参加できるやつ。あと、優勝者にはオレのスマイルを――」


「景品を変えて」


「ひどっ!」


 最後に、莉央がペンを持ち直した。


「軽音楽部はライブ。さとみと二人で、ちゃんと新曲をやる」


 さとみが微笑んだ。


「うん。今度こそ、最後まで歌おうね」


「……うん」


 模造紙には、十のサークルの出し物が並んだ。


 莉央はそれを見つめ、ふと笑った。


「なんだ。みんな、やりたいこと、ちゃんとあるんじゃん」


「最初からあるべ!」


 牛男が胸を張る。


「べこも出たいって言ってるべ!」


「それは牛男の希望でしょ!」


* * *

午後一時十分 誰も使わない土地の、誰かの仕事


 昼休み。


 ヘルシーとほのは旧校舎裏に戻っていた。


 移植した小松菜の葉が、風に揺れている。


「根、落ち着くかな」


「少し萎れてる株もあるね。日差しを調整しよう」


 ほのが記録ノートを開く。


 畑はまだ小さい。


 けれど、一昨日まで雑草しかなかった場所に、まっすぐな畝が三本できていた。


「誰も使ってなかった土地なのにね」


 ヘルシーが言った。


「使われてないからって、勝手に使っていいわけじゃないけど」


「うん。だから、ちゃんと相談した」


 ほのは移植した苗に水をやった。


「……ここで育ってくれるといいな」


 少し離れた場所で、千堂が動物区画予定地の図面を見直していた。


 地面にはまだ、杭と紐しかない。


 牛男が横にしゃがみ込む。


「千堂。べこはいつ帰って来るべ?」


「飼育計画を提出して、担当者の確認を受けて、許可が出たらだ」


「長いべ」


「生き物だからな」


 千堂は図面を畳んだ。


「作るのは一日でも、守るのは毎日だ」


 牛男は、しばらく黙っていた。


「……そうだべな」


 そして立ち上がった。


「じゃあ、ちゃんとやるべ。べこが帰ってきても困らねぇように」


 千堂が頷いた。


 旧校舎の窓から、莉央が二人を見ていた。


 いつも騒がしい牛男が、今日は妙に真面目に見えた。


「……ああいう顔もするんだ」


 隣にいたさとみが言った。


「好きなものを守るときは、みんな真剣なんだよ」


「……そうだね」


* * *

午後三時四十分 文化祭のポスター


 旧校舎の入口に、文化祭のポスターが貼られた。


 剛田が広場の片付けを終え、汗を拭いながらやって来た。


「おう、莉央。お前らも文化祭に出るんだってな」


「出るよ。立てこもりながらだけど」


「忙しい連中だな!」


 剛田は大笑いした。


「でも、いいじゃねえか。部室を守りたいなら、まず何をしてる連中なのか、みんなに見てもらえ」


「……剛田って、意外とまともなこと言うんだね」


「意外は余計だ!」


 その背後で、ロワが壁にもたれていた。


「ふっ……祭りとは、光と闇が交差する儀式……」


「お前は明日も広場の準備な」


「なぜだ!?」


「今日、役に立ったからだ」


「……役に立った?」


 ロワが、少しだけ目を丸くした。


 剛田は当然のように言った。


「そうだろ。心の友よ!」


「こ、心の友……!?」


 ロワの頬がわずかに赤くなった。


「勘違いするな。俺は貴様を認めたわけでは――」


「はいはい。じゃあ明日な!」


 剛田は手を振って去った。


 シノブが小さく笑った。


「よかったね、ロワ」


「何がだ!」


「友達できて」


「……我が盟友が一人増えただけだ」


「それ、友達って言うんだよ」


* * *

午後四時五十九分 今日も定時です


 午後四時五十九分。


 莉央は壁の時計を見上げた。


「はい! 今日の立てこもり、終了!」


「お疲れー!」


 旧校舎のあちこちから返事が上がった。


 ラブはアニメの資料を抱え、アキはカメラを片付ける。


 まっするはプロテインを飲み、ロワは意味ありげにマントを翻した。


 ヘルシーとほのは、畑の水やり記録を確認する。


 千堂は動物区画の図面を鞄にしまった。


 牛男だけが、空っぽの区画を名残惜しそうに眺めていた。


「……明日こそ、べこカムバックだべ」


「まだ許可出てないからね!」


 莉央が念を押す。


 午後五時。


 全員が、いつものように帰っていった。


 旧校舎前では、学生に「うおっまぶし!」と呼ばれる禿山光(はげやま ひかる)副学長が、その様子を睨んでいた。


「……文化祭だと?」


 手元の書類には、旧校舎の再整備計画が記されている。


「立てこもりながら、文化祭までやるつもりか……!」


 副学長は、模造紙に書かれた十の出し物を見上げた。


「まったく、ふざけた連中め」


 だが、旧校舎の裏手に小さな畑ができていることには、まだ気づいていなかった。


* * *

午後五時二十分 御来光と、すみれさん


 日が傾いたころ。


 「御来光」の通称を持つ照日富士夫(てるひ ふじお)学長が、旧校舎の裏手に立っていた。


 隣には雨宮すみれ(あまみや すみれ)。


「ほっほほ……畑ができたのぉ」


「ええ。管理の先生も、教育用の試験区画ならと条件を出してくださったそうです」


「若い者は、何もない場所にも何かを育てるものじゃ」


 すみれは動物区画予定地を見た。


「こちらは、まだ空っぽですね」


「ほっほほ。生き物を迎えるには、準備と責任が要るからのぉ」


「でも、熊田くんなら本気で準備しそう」


「そうじゃのぉ」


 学長は微笑んだ。


 すみれが一枚の紙を差し出す。


「それと、文化祭の会場申請です。旧校舎の子たち、十サークル全部から出ています」


「ほう」


「立てこもりながら、文化祭もやるそうですよ」


「ほっほほ……忙しい青春じゃのぉ」


 学長は紙を受け取り、ゆっくりと目を通した。


「安全の確認は怠れん。じゃが、学ぶ場所をなくす話と、学ぶ機会を奪う話は、同じではないからのぉ」


 すみれが静かに頷く。


「……副学長先生は、きっと面白くないでしょうね」


「ほっほほ。それもまた、大学というものじゃ」


 夕暮れの旧校舎。


 窓には、今日貼られたばかりの文化祭のポスターが揺れていた。


 その下で、まだ小さな野菜の葉が、風にそよいだ。


 明日も午前九時になれば、学生たちは戻ってくる。


 部室を守るために。


 文化祭を成功させるために。


 そして、牛を連れ戻すために。


 ……最後の一つだけは、まだ誰も許可していなかった。


* * *

DAY4 おわり


次回 DAY5へ続く


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