DAY11 旧校舎、MeTubeXデビュー!
午前九時。国立天晴大学の旧校舎に、いつもと違う緊張が走っていた。
映像制作研究会のアキこと白澤秋が、三脚を立てた。
「今日こそ、この建物の良さを世界に発信する!」
「世界って大きく出たね」
神谷莉央はギターケースを下ろした。旧校舎の保存活動は相変わらず難航している。ならば、まずは知ってもらう。動画投稿サイト《MeTubeX》に公式チャンネルを開設し、古い部室の魅力を伝えるのだ。
「チャンネル名は『天晴大学・旧校舎を残そう!』。今日は撮影日。皆、協力してくれ」
「うおおお! 動画なら筋肉が伝わる!」
まっすること田中真摺が上腕二頭筋を震わせた。
「いや、伝えるのは建物だから」
「建物を支えるのは筋肉だ!」
「柱だよ!」
土木研究会の千堂俊雄が即答した。
「柱の確認もせずに重いものを置くな! 手抜きは爆発だぁああ!!」
「今日、爆発する予定はないよね?」
莉央の確認に、ハジメこと理科野発だけが目を逸らした。
その隅で、キアリと呼ばれる地味来有が眼鏡をかけて静かに予備バッテリーを並べていた。アキが「助かる」と声を掛けると、小さく頷く。いつもどおりの控えめな青年だった。
この日、アキは知らなかった。
公式チャンネルを作ることと、十七人の思いつきを全部撮影することは、まったく別の仕事だということを。
* * *
午前九時四十分 帰れま千、一人目
「アキ、ちょっと裏に来てくれ。極秘企画だ」
まっするに手招きされ、アキはカメラを持って中庭へ出た。そこには紙の横断幕があった。
《スクワット1000回するまで帰りま千!》
「千回……?」
「安心しろ! 撮影はお前に任せる!」
「そうか。じゃあ僕はここから――」
「二人で千回だ!」
「撮影は!?」
「三脚がある!」
まっするはすでにスクワットを始めていた。アキが抵抗すると、まっするは胸を張る。
「動画には友情が必要だ!」
「友情って同意を取ってから始まるものじゃないの!?」
通りかかった仁藤均が、回数表示用のホワイトボードを見た。
「おい、これ二人合計で千回にしろ。無理して怪我するな。フォームが崩れたら終了だ」
「仁藤! 筋肉の夢を奪うな!」
「関節を守ってるんだよ」
結局、撮影は途中で打ち切りになった。まっするは「続きは次回!」と爽やかに締めたが、アキはベンチに沈み、立ち上がるたびに小さな悲鳴を上げた。
「映像制作研究会って……脚、使うんだっけ……」
* * *
午前十一時 チャラ男、無言になる
「次は俺の番っしょ! 女の子たちに旧校舎の魅力を伝えるってわけ!」
テニスサークルのチャラ男こと藤澤千荒は、カメラの前で前髪を整えた。普段なら初対面の相手とも三秒で打ち解ける男である。
「はい、回すよ。三、二、一」
「……こ、こんにちは」
アキはファインダーから目を離した。
「……誰?」
「ふ、藤澤、千荒と、申します」
「急に面接?」
「本日は、このような……貴重な機会を……頂戴いたしまして……」
後ろで夜乃さとみ(よの さとみ)が吹き出した。
「チャラ男、なんで敬語なの!」
「カメラが……こちらを……見ているので……」
「見てるのはレンズだよ!」
「れ、レンズ様……」
アキは録画を止めようとした。しかし、その前にチャラ男が直立したまま九十度のお辞儀をし、マイクに額をぶつけた。
ごん。
「し、失礼いたしました!」
「謝る相手、マイクじゃないから!」
笑いを堪えきれなくなったさとみの声まで、綺麗に録音された。
* * *
正午 牛一頭分という単位
「アキさ、次は農畜研究会の取材だべ」
熊田牛男に連れられ、アキは近郊の酪農家を訪れた。到着すると、牛男が得意げに段ボールの看板を掲げた。
《乳牛1頭分の牛乳を飲むまで帰れま千!》
「……一頭分?」
「一日で三十リットルくらい出る牛もいるべ!」
「僕の身体のどこに入れるつもり!?」
農場のスタッフが即座に看板を取り上げた。
「そんな無茶はさせません。牛乳を大量に飲む企画は中止。うちの牛にも迷惑です」
「んだな。じゃあ企画変更だべ」
変更後の内容は、搾乳量を記録し、牛舎の掃除を手伝い、最後に少量の牛乳を味わうという健全な農場体験だった。
「これなら旧校舎の農畜研究会の活動も紹介できるね」
アキはようやく微笑んだ。
「んだ。でも題名は変えねえ」
「変えようよ!」
帰り際、牛男は農場の牛に向かって深々と頭を下げた。
「今日はありがとうございました、先輩方」
「牛が先輩なの?」
「牛乳の世界では大先輩だべ」
アキには反論する体力が残っていなかった。
* * *
午後一時半 動画企画会議、崩壊
旧校舎に戻ると、企画書が机の上に山を作っていた。
「我がサバイバルゲーム研究会は、廊下を使った『誰にも見つからずにお昼ご飯を届けられるか』作戦を提案する!」
ロワと呼ばれる狼羽いやる(ろわ いやる)がマントのように上着を翻す。
シノブと呼ばれる影山忍は黙って、弁当箱に迷彩柄の布を掛けた。
「弁当まで隠したら届け先が見つけられないよ!」
投資研究会の煎論益子は百円玉を机に置く。
「元手百円で街を一周し、最後に何円の価値を生み出せるか。交通費は徒歩でゼロ円。利益率は無限大だ」
「それ、ただの散歩じゃない?」
「歩数は資産だ!」
ラブと呼ばれる込家羅武は、絵巻千景の描いた巨大な段ボールの怪獣を指さした。
「デュフフ! 旧校舎の階段を守るラスボスでござる!」
「避難経路を塞ぐな!」
千堂が一瞬で段ボールを脇へ移した。
ヘルシーと呼ばれる優居減子は『健康な間食だけで一日過ごせるか』という企画を持ち込み、
ほのこと稲森穂乃が手作りのおやつを配った。
試食係にされたアキは、口いっぱいに頬張ったまま、次の撮影時刻を確認する。
「アキ、今なら空いてる?」
「空いてない。人間としての空き容量がない」
ハジメが手を挙げた。
「でゅふふ。ならば案内ロボ改に撮影を代行させるのである」
「本当に?」
「ただし、撮影対象を自動追尾する機能は未実装なのである」
「何を撮るの?」
「固定されたものなら得意なのである」
「三脚でいいじゃん!」
その日の午後、アキの魂は三脚の高さまで削られていた。
* * *
午後三時 莉央の一曲
「アキ、少しだけ時間をもらっていい?」
莉央が声を掛けたとき、アキは椅子に座ったまま動かなかった。
「ぼくの歌、撮ってほしいんだ。旧校舎で練習してきた曲。ここで歌ったら、きっと伝わると思う」
アキはゆっくり顔を上げた。
「……それだ」
窓から秋の光が入る。古びた壁。傷のついた床。誰かが何度も弾いたピアノ。莉央が歌い出すと、さっきまで騒いでいた学生たちも自然に静かになった。
さとみがそっと伴奏を合わせる。キアリが窓の反射を避けてカーテンを整える。アキは三脚の前に立ち、今日初めて、疲れを忘れてカメラを回した。
歌い終わると、誰からともなく拍手が起きた。
「……いいね」
アキが言った。
「これなら、ここを残したい理由が伝わる」
莉央は少し照れくさそうに笑った。
「うん。そうだといいな」
その横でまっするが小声で囁いた。
「次は筋肉で感動を――」
「今日はもう撮らない」
アキの返事は、驚くほど速かった。
* * *
午後四時五十分 数字は正直、なのか?
閉館前。公式チャンネルに公開した動画の数字を、皆で囲んだ。
「スクワット……二十三回再生」
「二十三人の筋肉に届いた!」
「牛乳のやつ、十七回」
「牛が見てくれたべか」
「牛はスマホ持ってないよ」
ロワたちの弁当潜入作戦は四十一回。段ボール怪獣の動画は、千堂の「避難経路を塞ぐな!」という怒号だけが切り抜かれて百回を少し超えた。
「じゃあ、ぼくの歌は?」
莉央が身を乗り出す。
「八万千二百七十六回!」
「えっ!?」
歓声が上がった。さとみが莉央に抱きつき、アキもようやく報われたように笑った。
「すごいよ、莉央!」
「うん……! 嬉しい!」
そのとき、仁藤が別の数字を指さした。
「待て。チャラ男の動画……十二万八千四百九十三回?」
沈黙。
画面の中では、チャラ男がマイクに頭をぶつけ、直立不動で「失礼いたしました」と謝っていた。
「なんで!?」
莉央が思わず叫んだ。
「ぼく、ちゃんと歌ったのに!?」
「俺だってちゃんと挨拶したかったんだよ!」
チャラ男は真っ赤になって頭を抱えた。
「消して! あれだけは消してくれって!」
「もうコメントがついてるよ。『緊張しすぎて礼儀正しい』『レンズ様で腹筋が終わった』……」
「読まないでぇぇ!」
笑い声が古い廊下まで響いた。
旧校舎を残したい。その思いがどこまで届いたかは、まだ分からない。それでも、今日だけで何万人もの人がこの建物の中を見た。
「……明日は、ちゃんと紹介動画を作ろう」
アキが静かに言った。
「今日はちゃんとしてなかったの?」
「莉央の歌以外は、だいたい事故だった」
誰も反論できなかった。
そして午後五時。いつもどおり、十七人は旧校舎をあとにした。
誰も気づかなかった。
画面の右下。小さなおすすめ動画の枠に、見慣れた案内ロボと、牛と豚の姿が並んでいたことに。
《【ドッキリ】心霊スポットの花子さんに誕生日サプライズしてみた》
再生回数――1,827,413回。
サムネイルの隅で、花束だけが不自然に宙に浮いていた。
もちろん、その理由を知る者は誰もいない。
少なくとも、人間の十七人の中には。
* * *




