第39話 葡萄酒
四種族代表会談が終わった午後。
ソフィアは一人、前日の懇親会で起きた葡萄酒すり替え事件の調査を始めていた。
まず向かったのは、祭典本部に設けられた教会の執務室。
教会が保管している発注記録を確認するためだった。
机の上へ注文票の控えを広げる。
品目。
ローズフィールド王国産葡萄酒 二十樽。
発注責任者。
教会会計司祭。
教会印。
どれも正式なものだった。
ソフィアは静かに頷く。
(間違いありません)
(教会が正式に発注したのは葡萄酒です)
(変更依頼も出されていません)
帳簿を閉じると、その足で王都でも指折りの老舗――ローゼン貿易商会へ向かった。
ローゼン貿易商会は、ローズフィールド王国から葡萄酒や果実酒を輸入し、教会とも長年取引を続けている名門商会である。
応接室へ案内されると、商会長はソフィアの姿を見るや、慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「これは、大聖女ソフィア様!」
「このような場所へ、いかがなされましたか?」
ソフィアは困ったように微笑み、小さく首を横へ振る。
「どうか、そのようなお気遣いはなさらないでください」
「本日は、一つお伺いしたいことがありまして」
商会長は姿勢を正した。
「何なりとお申し付けください」
ソフィアは穏やかな口調で切り出す。
「昨日の懇親会でお出しするお酒ですが、本来は葡萄酒をお願いしておりました」
「ところが、届いたのは葡萄ジュースでした」
その瞬間、商会長の表情が曇る。
「……それは、この度は誠に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる商会長へ、ソフィアは慌てて声を掛けた。
「いえ、その件につきましては全く構いません」
「お願いですから、頭をお上げください」
「今回は責任を追及するために参ったのではありません」
「何が起きたのかを知りたいだけなのです」
商会長は安堵したように顔を上げた。
「……ありがとうございます」
ソフィアは静かに続ける。
「一つ、確認させていただきたいことがございます」
「そちらで保管されている発注票を拝見してもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます」
商会長はすぐに帳簿を取り出し、発注票を机の上へ広げた。
ソフィアは静かに目を通す。
品目。
ローズフィールド王国産葡萄ジュース 二十樽。
そして、その下には変更依頼の記録が残されていた。
依頼者。
『教会司祭 アルベルト』
ソフィアの瞳がわずかに細まる。
(……いません)
(教会に、そのような司祭は存在しません)
教会本山ルミエール。
司祭以上の聖職者であれば、ソフィアは全員の名前を把握している。
もちろん、今回の祭典へ派遣された者の中にも、その名はなかった。
「失礼ですが」
「この方のお顔は覚えておられますか?」
商会長は申し訳なさそうに首を横へ振った。
「深くフードを被っておられまして……」
「教会の法衣を身に着けておられましたので、疑いもしませんでした」
「教会とは長年お付き合いがありますから」
「まさか、偽物とは思いませんでした」
商会長は悔しそうに目を伏せる。
「私も、おかしいと思ったのです」
「祭典でお出しするお酒を、わざわざ葡萄ジュースへ変更するなど……」
「ですが、『教会のご意向です』と言われ、疑うことなく従ってしまいました」
「一度、教会へ確認を取るべきでした」
そして再び深々と頭を下げた。
「この度は、大変ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした」
ソフィアは穏やかに首を横へ振る。
「どうか、お気になさらないでください」
「今回お話を伺って、事情はよく分かりました」
「むしろ、ご協力いただき感謝しております」
商会長は安堵したように胸を撫で下ろした。
ソフィアは静かに帳簿を閉じる。
(教会の注文票は葡萄酒)
(商会の発注票は葡萄ジュース)
(変更依頼をした司祭は存在しない……)
三つの事実が、一つの結論を導き出す。
(こちらも……)
(情報操作。)
懇親会では、発注内容が書き換えられていた。
代表会談では、席順や来賓名簿そのものが改ざんされていた。
どちらも現場の担当者は、正式な資料だと信じて行動している。
(現場の失敗ではありません)
(誰かが裏で、情報を書き換えています)
偶然ではない。
祭典を混乱へ陥れようとする者が、確かに存在する。
違和感は、一つ、また一つと積み重なっていく。
ソフィアは静かに窓の外を見つめた。
(懇親会。)
(代表会談。)
(次は、何を狙うのでしょうか……)
そして脳裏に浮かぶのは、一人の少女の笑顔。
混乱した会場を、誰一人責めることなく笑顔でまとめ上げた商会の娘。
(リアネさん……)
(あなたのおかげで、大事には至りませんでした)
(ですが、このまま終わるとは思えません)
ソフィアは静かに帳簿を抱え、次の調査へ向かうのだった。




