第29話 昔の聖者
夜風が心地よく吹き抜ける。
二人は王城の中庭をゆっくりと歩きながら、穏やかな時間を過ごしていた。
話題は自然と、教会の歴史へ移っていく。
ソフィアは夜空を見上げながら、静かに口を開いた。
「約百五十年前――」
「大聖女ミュゲ・ジプソフィル様が魔王ニコラスを討ち滅ぼしてくださいました」
「そのおかげで、千年続いた魔王時代は終わりを迎えたのです」
リアネは静かに頷く。
「はい」
ソフィアは続ける。
「そして現在では、竜族の中でも、人族との不可侵・不干渉を見直そうという動きが少しずつ広がっているそうです」
「本当に、少しずつではありますが」
その言葉を聞き、リアネは安堵したように息をついた。
「……よかった」
ソフィアも優しく微笑む。
「きっとミュゲ様も、そのような未来を望まれていたのでしょうね」
二人はしばらく無言で歩く。
やがてソフィアが、ふと思い出したように尋ねた。
「ところで、リアネさん」
「ご存じかもしれませんが、初代大聖女エリアネ様以前には、『聖女』という呼び方は存在しなかったそうですね」
「ご存じでしたか?」
リアネは何気なく答える。
「知ってるよ」
「昔は男も女も、みんな『聖者』で一括りだったんだよね」
ソフィアは嬉しそうに頷いた。
「はい。教会最古の文献にも、そのように記されています」
リアネはどこか懐かしそうな笑みを浮かべる。
「女性の聖職者も一応いたけどね」
「でも、今ほど発言権は強くなかったかな」
「だから男も女もまとめて『聖者』って呼ばれてたんだと思う」
そして、何気なく続けた。
「まあ、そもそも私は教会に入って――」
言葉が止まる。
「……え?」
ソフィアが小さく首を傾げた。
「あ。」
(しまった)
(また前世目線で喋っちゃった!)
リアネは慌てて両手を振る。
「あ、あはは!」
「違います違います!」
「私じゃなくて!」
「『エリアネ様は』ですよ!」
「本で読んだんです!」
「『エリアネ様は教会へ所属されていなかった』って!」
「だから、当時の教会制度については詳しくなかったんじゃないかなぁって!」
ソフィアは一瞬驚いたような表情を浮かべた。
しかし、すぐに静かに頷く。
「なるほど……」
「確かに、そのような解釈もできますね」
「エリアネ様は四種族融和のため各地を巡られており、教会へ留まる時間は決して長くありませんでした」
「そのため、教会制度について詳しく語られた記録も、ほとんど残っていないのです」
どうやら納得してくれたらしい。
リアネは愛想笑いを浮かべながら、胸を撫で下ろした。
(よかったぁ……)
(また勝手に解釈してくれた)
そして、ふと前世を思い返す。
(まあ……)
(そもそも教会に入ってなかったんだけどね)
(お酒ばっかり飲んでたし)
(旅をしてた理由だって――)
(「まだ見ぬ銘酒を探そう!」だったし)
旅先では、その土地の酒を土産に持って行く。
すると皆が喜び、そのまま宴会が始まる。
人族も。
エルフも。
ドワーフも。
竜族も。
種族なんて関係なく酒を酌み交わし、大笑いしていた。
(あれ、最高だったなぁ)
思い出すだけで自然と頬が緩む。
しかし。
(でも……)
(なんで私、『初代大聖女』なんて呼ばれるようになったんだろ?)
記憶を辿る。
すると、一つだけ思い当たる出来事があった。
(……あ)
(そうだ)
(あれだ)
四種族友好が成った、あの日。
白竜皇オルド・アルカ=ヴェル。
黒竜王ゼノン・ノワール=ヴェル。
紅竜王ヴォルカン・フラム=ヴェル。
碧竜王レヴィアス・アズール=ヴェル。
翠竜王アルヴェイン・シルヴァ=ヴェル。
精霊王アルディオン・エルヴェシア。
鍛冶王ガンドール・アイゼンハルト。
皆が笑顔で言った。
『友達の証だ』
そう言って、世界に一つだけのロザリオを贈ってくれた。
(嬉しかったなぁ)
(友達からのプレゼントだもん)
(世界で一つだけの記念品だったし)
そこからさらに記憶が続く。
(そういえば)
(あのロザリオを首から下げて帰国した時だったかな)
街中が大騒ぎになっていた。
『大聖女様!』
『ありがとうございます!』
『万歳!』
そんな歓声が飛び交っていた気がする。
(あの辺りからだったのかなぁ)
(『大聖女』って呼ばれ始めたの)
さらに、ぼんやりとした記憶が蘇る。
『どうか教会の象徴となってください』
『初代大聖女として、お力添えをお願いいたします』
教会の偉い人たちが、そんなことを言っていた気がする。
(……でも)
(あの時、ちょうど二日酔いだったんだよね)
前夜。
オルドたちと朝まで酒を飲み交わしていた。
頭はがんがん。
記憶もところどころ曖昧だ。
(確か……)
(「聖職者になったら、お酒飲めなくなるじゃん!」って)
(断ったはずなんだけどなぁ)
リアネは腕を組み、首を傾げる。
(なのに)
(三千年後には『初代大聖女』になってるんだよね)
(どういうこと?)
どうやら本人の知らないところで、話は勝手に進んでいたらしい。
リアネは苦笑した。
(まあ)
(今さら三千年前の教会に文句も言えないし)
(いっか)
本人は、どこまでも気楽だった。
しかし。
後の世。
この出来事は『初代大聖女エリアネの誕生』として語り継がれ、教会史における最も重要な出来事の一つとなる。
もちろん――
当の本人だけは最後まで、自分が初代大聖女として歴史に刻まれていることを、本当の意味では理解していなかった。




