第9話 理想と現実
リアネは、はっと我に返った。
目の前では、ソフィアが心配そうに覗き込んでいる。
「リアネ様?」
「何かございましたか?」
しまった。
思わず記憶の中へ入り込んでしまっていた。
「あっ!」
「い、いえ!」
「ちょっと感激しすぎちゃって」
「初代エリアネ様のお名前を、つい口に出してしまいました」
ソフィアは優しく微笑む。
「お気持ちはよく分かります」
どうにか誤魔化せた。
その夜。
自室へ戻ったリアネは、一冊の本を取り出した。
幼い頃から何度も読み返した、
『初代大聖女伝』。
ゆっくりとページをめくる。
そこには、こう記されていた。
『初代大聖女エリアネは、人族、竜族、エルフ族、ドワーフ族。
未だかつて誰一人として成し得なかった四種族融和を実現し、
世界で初めて真の友好を築き上げた聖女である』
『その慈悲はあらゆる生命へ注がれ、
生涯を人々の救済へ捧げた』
『その清らかな祈りは、
神々すら心を動かしたという』
リアネは静かに本を閉じる。
「…………」
「いや」
「全然違くない?」
思わず一人で突っ込んだ。
「私に」
「本に書かれてるような立派な初代大聖女様なんて務まるわけないじゃん!」
頭を抱える。
「本当の私は」
「友達作って」
「お酒飲んで」
「旅してただけだよ!」
「三千年で尾ひれ付きすぎ!」
さらに。
あることに気付いてしまう。
「ていうか」
「私、初代様のこと尊敬してたんだけど」
「本人だったの!?」
恥ずかしい。
ものすごく恥ずかしい。
「毎年エリアネ大祭行ってたし!」
「初代様みたいな人になりたいって思ってたし!」
「教会で何度もお祈りしたし!」
「全部、自分じゃん!」
リアネは勢いよく枕へ顔を埋めた。
「うわぁぁぁぁ!」
「恥ずかしいぃぃぃ!」
足をばたばたさせながら、
しばらく一人で悶え続ける。
ようやく落ち着きを取り戻した頃には、
すっかり夜も更けていた。
「……いや」
「冷静になろう」
「誰にもバレてない」
「うん」
「今まで通り普通に生活すれば大丈夫」
そう自分に言い聞かせる。
そして、
一番大事なことを思い出した。
「光魔法が使えるって知られたら」
「教会に入れられるかもしれないし」
「ベル商会の娘だから縁談だって来るかもしれない」
「政略結婚とか絶対やだ!」
リアネは布団の上でぶんぶんと首を振る。
「よし!」
「絶対に正体は隠そう!」
「前世と同じように」
「友達作って」
「好き勝手生きる!」
そう固く決意する。
しかし。
リアネはまだ知らなかった。
翌日から、
最も正体を知られたくない相手と、
数週間にわたって行動を共にすることになることを。




