閉所
ぼくは、閉所恐怖症です。
狭い場所が苦手で、扉が開いていないと不安で仕方がなくなってしまいます。
酸素がすぐになくなってしまうような気がして、すぐに息苦しくなってしまうんです。
過呼吸にも、何度かなったことがあります。
原因ははっきりしていて、小学生三年生の頃です。
エレベーターに閉じ込められたことがあるんです。
親戚のお兄さんが結婚するので、式は挙げずに、親族だけでお食事会をすることになったんです。
会場はホテルの11階にありました。
小規模のパーティーとか、会食ができるような場所ですね。
ぼくは途中でトイレに行きたくなって、同じ階のトイレに行けばよかったんですが、1階まで降りたんです。
同じ11階にもトイレはあったんですが、その時はどこにあるのかわからなくて……
それで、来た時に1階のロビーでトイレの位置を案内する看板を見たことを思い出して、一人でエレベーターに乗りました。
問題は、1階から11階に戻ろうとした時です。
そのホテルは、1階にもレストランがあって、そこでバイキングをしていたみたいなんです。
1階でエレベーターが来るのを待っていたら、そのバイキングが終わって、たくさん人が出て来た所でした。
観光客の中国人がたくさん、大きな声で話しながら歩いて来て、ぼくの周りが一気に騒がしくなったんです。
なんだかぼくだけが場違いなような気がして、とても居心地が悪くて……早くエレベーターが来ないかなぁと思っていたんです。
そうしたら、エレベーターのドアが開いた瞬間、ぼくはその中国人たちに押されるようにエレベーターの中に……
人の波にもまれるって、こういうことをいうのかと思ったくらいです。
行きは一人だったけれど、十人くらいが乗って――しかも、その中に日本人はぼくだけだったんです。
怖かったけれど、11階のボタンを押して、エレベーターがつくのを回数が表示されるパネルを見ながら待っていました。
ところが、9階まで行ったところで、急に停電になって。
エレベーター内の照明は消えて、エレベーター自体もガコンっと変な揺れ方をして急停止しました。
その上、地震も起きたんです。
地震に慣れている日本人と違って、一緒に乗っていた中国人たちはパニックを起こして。
何を言っているのかさっぱりわからなかったし、暗くて、何も見えなくて……
ぼくだって、こんなことは初めてで、誰にも頼れなくて。
何より、なんだかとても息苦しい。
その時、ぼくは前に見たドラマのことを思い出しました。
落石があって、洞窟の中に閉じ込められる話です。
空気穴が開いていなくて、「このままじゃ、酸素が足りなくなって死ぬ」って。
ぼくはそれまで、妹や友達とかくれんぼをするときは、いつも狭い場所に入っていました。
押し入れの上の段にいるだけじゃすぐに見つかるので、その中にある大きな段ボールや衣装ケースの中に隠れてみたり。
酸素の事なんて考えたこともありませんでした。
結局、すぐに見つかってしまうから。
いつも、苦しくなる前に鬼に見つかってしまうから。
けれど、その日はどんなに待っても、誰もぼくを見つけに来てはくれませんでした。
エレベーターが停止し、さらには故障していることに、誰も気づいていなかったんです。
乗っていた中国人の誰かが何処かに電話をして、助けが来たのは何時間も経った後でした。
地震の影響で、ホテルの近くで火事が起きて、渋滞ができてしまったらしくて――
ぼくは怖くて、不安で、その時、初めて過呼吸になっていたみたいで……
中国人たちがぼくを助けようとしてくれたんですが、何を言っているかわからなくて、ぼくはもっと不安になってしまって……
救急車で運ばれる前の記憶はあいまいです。
その日以来、ぼくはエレベーターに乗れなくなって、狭い部屋にいるのも駄目で、かくれんぼもできなくなりました。
部屋のドアや窓が開いていないと安心できないし、暗い場所も怖いです。
暗所恐怖症でもあるのですが、一番はやっぱり、閉所です。
自分の部屋で寝るときも、常に照明はつけたままで、部屋のドアも少し開けていました。
そうしないと、安心して眠れないんです。
その日以来、ぼくはすっかり怖がりになってしまって、妹はそんなぼくのことを「男なのに情けない」と言うようになりました。
「情けない兄で悪かったな」と、中学に入るまでは言い返していたんですが、あの男と同じクラスになってから、ぼくは妹にすら、何も言い返すことができない、本当に情けない男になってしまいました。
あの男は、ぼくが閉所恐怖症であることも、エレベーターに乗れないことも分かっていて――わかっていたのに、わざとぼくを狭いところに閉じ込めて、笑いものにしていました。
学校では、体育館の倉庫や視聴覚室の隣にある防音室だったり、近所の廃ビルに置いているドラム缶の中にぼくを無理やり押し込んで、怖がっているぼくをみて、笑うんです。
バカにして、蹴飛ばして、殴って、笑いものにして……
ぼくはイジメられていました。
あの日もそうです。
ぼくは、大嫌いなエレベーターの中に閉じ込められた。
あの男は、ぼくを古いビルの小さなエレベーターの中に放置して、帰ったんです。
ぼくを一人のこして、帰ったんです。
「俺が出ていいと言うまで、出てくるな。勝手に出てきたら殺す」と、脅して。
ぼくは殺されるのも、エレベーターの中に長時間居続けるのも、どちらも嫌でした。
けれど、逆らったら何をされるか。
あの男は本当に最低で、最悪で、身長も体重もぼくよりずっと大きくて、力もあって、父親が会社の社長だから、お金持ちで、何か問題が起きても、全部、お金の力でどうとでもなると思っている。
いや、実際、どうとでもなっている。
ぼくはエレベーターの中で、絶望していました。
途中までは、エレベーターの外から声が聞こえていたんです。
ぼくがまだエレベーターの中にいるかどうか確かめるために、エレベーターの前にいたんでしょう。
ぼくの鳴き声を聞きながら、あの男はいつもつるんでいる翔太と女子三人と笑っていたんです。
でも、いつからか声が聞こえなくなって……
もう何時間も経っているいることに気がついて、ぼくは外に出ました。
走りました。
屋上に向かって、走ったんです。
1階に降りるより、屋上に行った方が速いと思ったから。
解放された空間に行きたかった。
早く、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込みたかった。
階段を駆け上がり、誰もいない屋上で息を吸いました。
何度も何度も深呼吸をして、呼吸を整えて、それで、ふと思ったんです。
もしかしたら、出口のところでぼくが出てくるのをあいつらが待ち構えているかもしれないと。
それで、ぼくは上から確認しようと……
手すりにもたれかかり、下をのぞき込んだその瞬間。
ガタンと鈍い嫌な音がして、手すりは外れ、ぼくは頭から落ちたのです。
古いビルの屋上から、真っ逆さまに。
気づけば、ぼくは白い箱の中にいました。
こんな狭いところから、早く出してくれと何度も何度も叫びましたが、声が出ませんでした。
体が動きませんでした。
妹と母と父が、泣きながらぼくの名前を呼びました。
――こんな箱の中に、ぼくを閉じ込めないで!
お経も聞こえます。
おりんの音も聞こえます。
「それでは、お別れです」
――ここは嫌だ! ここから出して!
ぼくの体が、炎に焼かれている。
皮膚も肉も燃えている。
――嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
でも、不思議なことに熱くも痛くもないのです。
ぼくは、もう、死んでいました。




