貴方に会いかった。
俺の名前を一文字間違えただけだった。
担任が用意したプリントに「三神」そう書いてあっただけ。
そこから、名前で弄られるようになった。
最初は平気だった。だが、次第にエスカレートしていった。
弄りは、精神を抉る言葉に。スキンシップは暴力に近くなった。
学校にいるのが辛くなり、授業もまともに聞き取れなくなっていた。
成績が悪くなり、母さんにも怒られた。
「……ここは?」
それにたえられなくなって、気が付けば知らない場所にいた。
さっきまでは通学路にいたはずだった。
「ッ⁉」
手に持っていた物を思わず投げ捨てた。
工作用のカッターだ。それを俺は、手首に当てていた。
自分のしようとしたことの恐ろしさに、吐き気を催した。
「ごめっ……ごめん、なさいっ……!」
知っていたはずだった。
母さんたちが努君を眺めるその姿。
今やろうとしたことが、どれだけの悲しみを生むのか。
それだけはやっちゃ駄目だった。
人生を諦めることだけは、やっちゃ駄目だった。
「ごめんなさい……!」
生きたくても生きられない人がいたのに、俺は。
一杯一杯叫んだ。悲鳴をあげるように泣きじゃくった。
そうして、空っぽになって家に戻った。
学校とか、病院とかで詳しいことを聞かれたらしいが、よく覚えていない。
母さんはいつの間にかいなくなっていた。
……努君だったらこうはならなかった。
生きているのが俺ではなく、兄だったらよかった。
そうすれば、父さんから、努君から母さんを奪わなくて済んだ。
俺が悪い子だから、母さんはいなくなったんだ、と。
……成人という名前には「立派な大人になりますように」と、そんな意味が込められているらしい。
「先輩っ!」
走っても走っても、二階堂が追いかけてくる。
何度も何度も呼んでくる。耳を塞いでも呼んでくる。
まるで、自分の声が届くと信じているかのように。
「先輩っ!」
「やめてくれ!」
耐えられなくなって、怒鳴った。
「俺は、お前が思っているような人間じゃないんだ!」
互いに足が止まる。二階堂はそれ以上近づいてこない。
「お前たちを言い訳に使った!」
心美の言う通りだ。自分の肯定に使った。
二階堂たちへ向けた甘言は全て、自分を許すためでしかない。
自分が向き合わないために利用したんだ。
「俺は情けない男なんだよ……!」
だから、放っておいてほしい。見捨てほしい。
尊敬に値しない先輩だ。友達に値しない人間だ。
「そんなことない! 先輩はカッコいいよ!」
「こんな逃げ出す男がか!」
「だってそれは、本気で頑張ってるからでしょ?」
……否定できない。してはいけない。
してしまえば、二階堂を否定することになる。
「それは、本気の人の特権だから」
二階堂はこんな俺に怒りの一つも向けこない。
ただ、俺を慈しむような思いだけが伝わってきた。
「ただ利用するだけなら、あたしたちの心には響かなかった」
「やめろ……!」
「同じ苦しみを知ってる、優しい先輩の言葉だから届いたんだよ」
いつの間にか側に来ていて、またそっと抱きしめられた。
情けないことに、拒むことができない。
拒みたくなかった。
「……俺、情けないんだ。図星突かれて、心美に酷いこと言った」
「仕方ないよ。あたしだって、親に酷いこと言ったもん」
だから大丈夫だよ、と強く抱きしめられる。
親とでさえ、上手くいかないんだからって。
「後輩に甘えて、慰められている」
「あたしたちも、先輩に沢山甘えたからお相子」
心配しなくていいと、頭を撫でられる。
「もし先輩が怖くて逃げたいなら。一緒に駆け落ちしよっか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「どこか、誰もあたしたちの知らない遠くまで」
瞳だけは噓をついていなかった。
その言葉にゆっくりと首を振る。
……ああ、本当に情けない。
一緒にいてくれる人がいたのに、頼れる人がいたのに。
俺はずっと、一人のつもりでいてしまっていた。
「一緒に戻ろう? あたしも謝るから」
俺を離して、必死に視線を合わせようとする。
「怖いなら、手握ろっか?」
「ああ、頼む」
「え? ほ、ほんとに?」
「ああ」
「そ、そっか……はい」
差し出された手を握って歩く。
そしたら途端に静かになってしまった。
二階堂は耳を赤くしていた。
それでも随分と時間がかかった。
何度も立ち止まって、怖くなって。
その間、二階堂はずっと一緒に待ってくれた。
家に辿り着く頃には辺りも暗くなっていた。
深呼吸をする。随分と時間がかかってしまった。
時間をかけた分だけ不安になる。
「――か、あ、さん」
目を疑って何度も瞬きをしてしまった。
確かに、そこには母さんがいた。
昔と比べて少し瘦せこけているが、間違いない。
俺の姿を見た瞬間、涙を溢れさせていた。
不安で何度も目を逸らそうとして、それでも俺の姿を視界に収めようとしていた。
「……頑張ったんだ、俺」
ちょっとでも褒められるように、良い子でいられるようにって。
「けど、駄目だった……また、色んな人に心配かけた」
二階堂たちに、沢山迷惑をかけた。
「努君だったらっ……こんなことにならなかったのかなぁ……」
「成人!」
抱きしめられた。背中が折れるくらい強く。
痛いのに、絶対にもう離さないでいてくれる安心感があった。
「ごめんね! お母さんずっと見ないフリしてた!」
「俺の方こそごめん……良い子じゃなくて」
「違う! 違うの! 努君のことは本当に辛かったけれど!」
体を離し、確かに俺を見る。
「けれど――私たちは貴方に会いたかったのよ?」
「ああ……」
その言葉に嗚咽が漏れる。
みんなが見ているとわかっているのに、声が止まらなかった。
「うわぁぁぁぁあぁぁ‼」
みっともない号泣を晒した。
そんな俺を、父さんも混じって抱きしめてくれた。
子供のように、泣き喚いて謝り倒していた。




