第40話 新しい装いの気配
侯爵家の広間に、午後の光が差し込んでいた。
クラリスは紅茶の配置を整えながら、廊下の気配に意識を向ける。
規則正しい足音が、まっすぐこちらへ向かってくる。
「お客様がお見えです」
扉が開く。
現れたのは、公爵令嬢ミレーユ。
深い青のドレスが光を抑え、動くたびに輪郭だけを際立たせる。
飾りは多くない。
それでも視線が集まる。
(……目立とうとしていないのに、目立ちますね)
クラリスは一瞬だけ言葉を失った。
「ご無沙汰しておりますね、クラリス」
「は、はい。お久しぶりでございます」
声を整えて応じるが、わずかに硬い。
ミレーユは気にした様子もなく、室内へ進む。
「フェリシア様はいらっしゃるかしら」
「はい。すぐにお呼びいたします」
「いいえ、そのままで結構です」
即答だった。
クラリスが顔を上げるより先に、ミレーユは奥へ視線を向けている。
「ここでお会いしましょう」
その一言で、場の主導権が移った。
「ミレーユ様」
フェリシアが姿を見せる。
「突然の訪問、失礼いたします」
「構いません。……ただ、少し意外でした」
フェリシアは一歩近づき、視線を合わせる。
「今日はどのようなご用件で来られたのですか?」
ミレーユの口元がわずかに緩む。
間を置かず、続けた。
「お願いがあります」
クラリスは息を止める。
これまでの来訪とは違う。
言葉に迷いがない。
フェリシアもそれを感じ取っていた。
「どのようなお願いでしょう」
「新しいドレスを、作っていただきたいのです」
即答に、空気がわずかに張る。
だがフェリシアは首を傾げた。
「それだけでしたら、すでにいくつも――」
「いいえ」
言葉を遮る。
強くはない。だが、はっきりと否定した。
「今までのものでは足りません」
その一言で、空気が変わる。
クラリスは思わず顔を上げた。
(足りない……?)
フェリシアの表情からも、わずかに笑みが消える。
ミレーユは続ける。
「可愛さも、美しさも、すでに形になっている」
視線はまっすぐフェリシアへ向けられている。
「ですが——」
一拍。
「“憧れ”が、まだ足りない」
沈黙が落ちた。
フェリシアは答えない。
すぐには、答えられない。
クラリスはその横顔を見る。
(否定……ではない。でも、簡単な話でもない)
ミレーユは静かに一歩近づいた。
「誰もが一度は思うものです」
声は穏やかだった。
「自分が“特別になれる姿”を」
フェリシアの指先がわずかに動く。
「そのためのドレスを——あなたに作ってほしい」
はっきりと言い切った。
逃げ道は残さない言い方だった。
クラリスの胸が強く打つ。
(これは……)
ただの依頼ではない。
これまで積み上げてきたものの、その先を問われている。
フェリシアは、ゆっくりと息を吐いた。
そして顔を上げる。
「……難しいお願いですね」
否定ではない。
だが、すぐに受け入れもしない。
ミレーユは微笑む。
「ええ。ですから、あなたに頼んでいるのです」
短い沈黙。
その中で、フェリシアの目がわずかに細められる。
やがて、口を開いた。
「面白いです」
クラリスが小さく息を呑む。
「やってみます、ミレーユ様」
その言葉に、ミレーユは満足げに頷いた。
「ありがとうございます」
広間に差し込む光は変わらない。
だが、空気だけが確かに変わっていた。
新しい“何か”が動き出している。
それはまだ形を持たない。
だが、確実に——これまでとは違うものになる。




