第8話「筋肉は鎧か」
思えば、あの日から一度も欠かしていない。
筋トレを始めて早三週間。レオは毎朝欠かさず、腕立てとスクワットを続けていた。最初は三日坊主を疑っていたミレイも、最近では「意外と続くもんだね」と素直に感心するようになっていた。
だがその日の朝、レオはギルド前の待ち合わせ場所に、予想外の格好で現れた。
「……レオ? なんで上、裸なの?」
ミレイが目を丸くする。ガレスも、言葉を失ったまま固まっていた。
「いや、それが……その……」
レオは珍しく、バツが悪そうに頭を掻いた。
「胸当て、入らなくなった」
「は?」
「筋肉、ついたみたいで……。今朝、装備しようとしたら、全然入らなくて……」
ミレイは、まじまじとレオの上半身を見つめた。言われてみれば、以前よりも明らかに肩幅が広くなり、胸板も厚くなっている。地味な筋トレの成果は、確かに実を結んでいたのだ。
「いや、それはそれとして! 上半身裸でギルド前に来るのはどうなの!?」
「他に選択肢がなかったんだ! 破れかけの胸当てを無理やり着るか、いっそ潔く脱ぐか、その二択で――」
「普通、装備を買い直すって選択肢があるでしょ!」
ミレイの正論に、レオは一瞬言葉を詰まらせた。
「そ、それは金がないから……」
「じゃあ最初からそう言え!」
容赦のない一撃が、レオの脇腹に炸裂した。悶絶するレオを横目に、ガレスが深々とため息をついた。
「みっともない、その格好」
「そう言うなよ。むしろこれは――」
レオはよろよろと立ち上がると、なぜか自信満々に胸を張った。
「筋肉こそ、最古の鎧だ!」
「はい……?」
「いいか、装備なんてものは所詮、後付けの道具に過ぎない。だが筋肉は違う。鍛え上げた体そのものが、最強の防具になり得るんだ! つまり俺は今、この上なく完璧な装備状態ってわけだ!」
「その理論、どこから湧いてきたの……」
ミレイが額を押さえる横で、ガレスがぼそりと呟いた。
「筋肉痛、防御力ゼロ」
「うるさい黙れ」
押し問答を続ける三人だったが、今日はすでに依頼を受けてしまっている手前、これ以上時間を無駄にするわけにもいかなかった。仕方なく、レオは上半身裸のまま、依頼地である森へと向かうこととなった。
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依頼内容は、森に出没する中型の魔狼の討伐。難易度こそFランク相応だが、油断すればそれなりに手強い相手だ。
「よし、来たぞ!」
茂みの奥から飛び出してきた魔狼に、レオは真っ先に前へ出た。いつも通りの体当たり戦法――だが、今日はいつもと違う点が一つあった。
「食らえ――って、あれ?」
魔狼の爪が、レオの剥き出しの肩を、思い切り引っ掻いた。
「ぎゃああああっ!! 痛い!! めちゃくちゃ痛い!!」
情けない悲鳴が森に響き渡る。ミレイとガレスは、揃って白い目を向けた。
「あれ? 筋肉、最強の鎧なんじゃなかったの?」
「そんなわけあるか!! 普通に痛い!! むしろ装備なしとか正気の沙汰じゃない!!」
「今更!?」
ミレイの叫びと同時に、《フレイムアロー》が魔狼を的確に射抜く。ガレスの追撃も決まり、魔狼はほどなくして討伐された。
「はぁ……はぁ……肩、めちゃくちゃヒリヒリする……」
肩を押さえてうずくまるレオを見て、ミレイは呆れ半分、心配半分といった表情を浮かべた。
「だから最初から装備しろって言ったのに」
「反論の余地もない……」
討伐を終え、証拠部位を回収したところで、一行は森を後にしようとした。だが、町へと戻る道すがら、思わぬ事態が待ち受けていた。
「――おい、そこの男! ちょっと待て!」
街道の向こうから、見覚えのある衛兵二人が、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。
「な、なんだ……!?」
「町中を裸で歩き回る不審者がいるという通報があってな。お前だな?」
「い、いや、これは装備の都合で仕方なく――」
「問答無用、詰所まで来てもらう!」
「またかよおおおお!!」
絶望の叫びを上げるレオを尻目に、ミレイとガレスは、驚くほど冷静だった。
「……じゃ、私たちは先にギルドに報告行ってくるから」
「え、ちょっと、見捨てるのか!?」
「今回は自業自得だからね」
「早めに戻ってこい」
「薄情者おおおおお!!」
あっさりと踵を返す二人を見て、レオは絶叫した。だが、衛兵の手はすでに肩――もとい、露出した二の腕をしっかりと掴んでいた。
「事情はどうあれ、公然と上半身裸で往来を歩くのは条例違反だ。素直について来い」
「ま、待ってくれ、話せば分かる――って、痛い、そこ魔狼に引っ掻かれたとこ、痛いから!」
「言い訳は詰所で聞く」
問答無用で連行されていくレオの背中を見送りながら、ミレイとガレスは、何事もなかったかのようにギルドへの道を歩き続けた。
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結局、レオが解放されたのは、それから三時間後のことだった。装備不備という特殊な事情を丁寧に説明し、次からは必ず装備を整えることを条件に、なんとか見逃してもらえたのだ。
「はぁ……疲れた……」
詰所を出たレオは、力なく夜道を歩いていた。ミレイとガレスの姿は、当然どこにもない。
「あいつら、本当に置いていきやがって……。パーティーの絆ってやつは、どこに行ったんだ……」
ぶつぶつと文句を垂れながらも、肩の痛みと、衛兵に絞られた疲労で、レオの足取りは重かった。
「まあ、確かに自業自得ではあるんだが……」
冷静になった今なら、自分の失態を認めることもできた。だが、それはそれとして、置いていかれた理不尽さは、また別の話である。
「宿、早く戻って寝たい……」
誰もいない夜道を、レオは半分泣きそうな顔で、全力疾走していった。裸の上半身に夜風が容赦なく吹きつけ、その冷たさが、今日一日の情けなさを、いっそう際立たせるのだった。
――なお、宿に着いたレオを出迎えたのは、すでに夕食を済ませ、寛いだ様子のミレイとガレスだった。
「あ、おかえり。遅かったね」
「お前らなあああああ!!」
「まあまあ、無事なら良かったじゃない。ほら、夕飯、取っておいたよ」
差し出された温かいスープを前に、レオの怒りは、あっという間に萎んでいった。
「……ありがとう」
「今度からは、ちゃんと装備してから来ること」
「肝に銘じます」
スープをすすりながら、レオは小さく笑った。理不尽な一日ではあったが、こうして帰る場所があることの有り難さを、彼は今日も、少しだけ噛み締めるのだった。




