↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/17

第9話「剥ぎ取られた証」


 その日の依頼は、森の奥に生息する岩猪の討伐だった。手強くはあったが、三人の連携はすでに板についており、これまでのような大きな失敗もなく、討伐は順調に進んでいた。


「よし、これで完了だな」


 仕留めた岩猪の証拠部位を切り取り、レオは満足げに頷いた。帰り支度を始めようとした、その時。


「……待って」


 ミレイが、ふと足を止めた。視線の先、少し離れた茂みの陰に、何かが倒れているのが見えた。


「あれは……」


 三人は警戒しながら近づいた。そこにいたのは、もう一頭の岩猪だった。だが、様子がおかしい。荒い息を吐きながら、地面に伏せたまま、力なく震えている。


「これ……」


 ガレスが、静かにその体を検分した。脇腹には、鋭い刃物で切り取られたような、生々しい傷跡が残っていた。


「証拠部位、剥ぎ取られてる。でも」


 ガレスの声が、わずかに低くなった。


「トドメ、刺されてない」


「……え?」


 ミレイが息を呑む。


 冒険者の間では、絶対的なルールがある。討伐対象の証拠部位を採取する場合、必ず息の根を止めてから行うこと。手負いのまま放置する行為は、対象を無用に苦しめるだけでなく、凶暴化した個体が町や旅人を襲う危険を生む、重大なタブーとされていた。


「……酷い」


 レオが、拳を握りしめた。声には、いつもの軽さがなかった。


「証拠だけ取って、後は知らんぷりってことか。こいつは、この状態のまま、苦しみながら死ぬのを待つしかなかったんだぞ」


「レオ……」


「こんなの、絶対に許せない」


 レオはゆっくりと膝をつき、岩猪の傷の状態を確かめた。もはや、助けられる状態ではないことは、誰の目にも明らかだった。


「……せめて、楽にしてやろう」


 静かにそう言うと、レオは剣を構えた。ミレイとガレスも、無言のまま頷いた。


 短い呼吸の後、剣が一閃した。岩猪の荒い息が、静かに止まる。


 しばしの沈黙が、その場を支配した。


「……このやり方、ラルフィードの一件と同じ」


 ガレスが、低い声で呟いた。


「ノアが襲われた時も、同じような手負いの魔獣がいた」


「……つまり、同じ奴らの仕業ってこと?」


 ミレイの問いに、ガレスは険しい表情のまま頷いた。


「可能性、高い。この森でも、同じことが繰り返されてる」


「くそ……!」


 レオが、苛立たしげに地面を蹴った。


 その時だった。


「――ガアアアアアアッ!!」


 突如、森の奥から、複数の唸り声が響き渡った。茂みを割って現れたのは、三頭の狼型の魔獣。目は血走り、体には、やはり中途半端な傷が残っている。手負いのまま逃げ延び、凶暴化した個体たちだった。


「まさか……!」


「来るぞ!」


 ガレスの警告と同時に、魔獣たちが一斉に飛びかかってきた。


「くっ――!」


 レオが真っ先に前に出て、一頭の突進を受け止める。だが、通常の個体とは明らかに違う、凶暴化した魔獣の膂力は、レオの想定を大きく上回っていた。


「うおっ、重い……!」


「レオ!」


 ミレイが詠唱を試みるが、残る二頭が同時に、ミレイとガレスへと襲いかかる。三対三――数の上では互角だが、相手の凶暴化した動きは、通常の討伐とは明らかに勝手が違った。


「厄介……! 普通の岩猪や魔狼と、動きが全然違う!」


 ガレスが一頭の攻撃を辛うじて剣で受け止めながら、歯を食いしばる。


「このままじゃ……!」


 ミレイが焦りの滲む声を上げた、その瞬間。


「――退くぞ!!」


 レオが、鋭く叫んだ。


「無理に戦うな! 相手の状態が異常すぎる、俺たちの手には負えない!」


「で、でも……!」


「今優先すべきは、生きて町に戻って、この状況をギルドに報告することだ! ここで無理して共倒れになったら、意味がない!」


 レオの判断に、ミレイとガレスは一瞬迷った様子を見せたが、すぐに頷いた。


「――《ウォーター・フラッシュ》!!」


 ミレイが放った水流が、魔獣たちの視界を一瞬塞ぐ。その隙を突き、三人は一斉に森の外へと駆け出した。


「離れろ、離れろ!!」


 背後から迫る唸り声を振り切るように、三人は全速力で走り続けた。木々の間を縫い、時に転びそうになりながらも、なんとか森の外れまで辿り着いたところで、追撃の気配が途絶えた。


「はぁっ……はぁっ……。撒いた、か……?」


 レオが、荒い息のまま振り返る。幸い、魔獣たちの姿は見えなかった。


「……危なかった」


 ミレイが、膝に手をついて息を整える。ガレスも、珍しく肩で息をしていた。


「……あんな凶暴化した魔獣、初めて見た」


「ああ。今の俺たちの実力じゃ、正面からやり合うのは無謀だ」


 三人はしばらく無言で、荒い呼吸を整えていた。怒りと恐怖、そして無力感――さまざまな感情が、その沈黙の中に滲んでいた。


---


 町へと続く街道に出たところで、三人はふと、開けた休憩所に差し掛かった。そこには、見覚えのないパーティーが、酒杯を片手に、賑やかに笑い合っていた。


「いやー、今日の討伐も楽勝だったな!」


「証拠部位さえ取れりゃ、こっちのもんだ。後始末なんて知ったこっちゃない」


 その言葉に、レオの足が、ぴたりと止まった。


「……今、なんて言った?」


 思わず声をかけたレオに、三人組のパーティーが、億劫そうに視線を向けた。装備の質、佇まいの余裕――どれをとっても、Fランクの三人とは、明らかに格が違うことが窺えた。


「あん? 何だお前ら」


 リーダー格らしき男が、レオたちを頭のてっぺんから爪先まで、値踏みするように眺めた。


「ずいぶんとみすぼらしい装備だな。どこのFランクだ?」


「今、後始末はどうでもいいって言ったな。まさか、森の岩猪や魔狼、証拠部位だけ取って、トドメも刺さずに放置してるのか?」


 レオの声には、抑えきれない怒気が滲んでいた。男は、面倒くさそうに肩をすくめた。


「ああ、それがどうした。トドメ刺すのも手間だし、時間の無駄だろ。証拠さえありゃ、報酬は変わんねえんだから」


「その手負いの魔獣が、凶暴化して、俺たちを襲ってきたんだよ! 危うく死にかけたんだぞ!」


「へぇ、そりゃ災難だったな。だが、それはお前らの実力不足だろ。凶暴化した個体一つ相手にできないとか、正直、Fランクの相手なんてしてる暇はないんでね」


 男の物言いに、ミレイの表情も険しくなった。


「実力の問題じゃない! あなたたちが後始末をちゃんとしないから、危険な状態が放置されてるんです! この森を通る一般人だって、危険に晒されてる!」


「はっ、お綺麗な正論だな。だが、それを気にしてたら、効率が落ちるんだよ。俺たちは俺たちのやり方で結果出してる。文句あるなら、お前らも早く稼げるようになってから言えよ」


 嘲るような笑みを浮かべる男に、レオは拳を強く握りしめた。今すぐにでも殴りかかりたい衝動を、必死に抑え込んでいるのが、傍目にも分かった。


「……ガレス」


 ミレイが、小さく囁いた。ガレスも、無言のまま頷き、レオの肩に、そっと手を置いた。


「今、ここでやり合っても、意味ない」


「……分かってる」


 レオは、震える声で絞り出した。


「だが、これは絶対に見過ごせない。ギルドに、正式に報告する」


「はっ、好きにしろよ」


 男は興味なさそうに手を振ると、仲間たちとの談笑に戻っていった。


 その背を睨みつけたまま、レオはしばらくその場を動けずにいた。


「……行こう、レオ」


 ミレイの声に、レオはようやく我に返り、拳をゆっくりと緩めた。


「……ああ」


 三人は、無言のまま、町へと続く道を歩き始めた。夕暮れの空は、いつもより、少しだけ赤く、重く見えた。


「ギルドに着いたら、今日見たこと、全部正直に報告しよう」


 レオが、静かに口を開いた。


「あの手負いの魔獣のことも、あいつらの言動も、全部」


「うん」


「変えられるかどうかは、分からない。でも、黙って見過ごすのだけは、絶対にしたくない」


 ミレイとガレスは、何も言わず、ただ頷いた。


 三人の足取りは重かったが、その瞳には、確かな意志が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。