第13話「刃こぼれの代償」
「――よし、今日の分の手入れ、終わり」
依頼から戻った夜、宿の一室で、ガレスは丁寧な手つきで、自分の剣を磨き上げていた。刃の状態を光にかざして確認し、僅かな刃こぼれも見逃さず、砥石で丁寧に整えていく。その一連の作業は、もはや彼の日課として、すっかり定着していた。
「ガレスって、本当にまめだよな。毎日欠かさずやってるだろ、それ」
隣のベッドに寝転がりながら、レオが感心したように言う。
「武器、命を預ける道具。手入れ、当然」
「まあ、理屈は分かるけどさ……」
ちらりと、レオは自分の大剣に目をやった。壁に立てかけられたそれは、刃こぼれがあちこちに見られ、柄の部分も、汗と汚れでくたびれた様子を見せていた。
「レオの剣、大丈夫? 前から気になってた」
「平気平気! こう見えて、まだまだ現役だ!」
「最後に手入れしたの、いつ」
「……えーっと」
レオは、思い出そうとして視線を宙に彷徨わせた。だが、明確な記憶は、一向に浮かんでこなかった。
「……多分、二ヶ月くらい前?」
「それ、手入れしてないのと、同じ」
「そ、そんな大袈裟な。まだ普通に斬れてるし、大丈夫だろ」
軽く受け流すレオに、ガレスは何か言いたげな視線を向けたが、それ以上は何も言わず、静かに自分の剣を鞘へと収めた。
翌日、一行が受けた依頼は、山間部に出没する大型の岩熊の討伐だった。Fランクにしては骨のある相手だが、これまでの経験からすれば、決して手に負えない難易度ではなかった。
「よし、行くぞ!」
いつも通り、レオが真っ先に前へ出た。振りかぶった大剣が、岩熊の分厚い体に、勢いよく打ち込まれる。
――しかし。
「……あれ?」
手応えが、いつもと違った。振り切った大剣の切っ先が、鈍い音とともに、宙を舞った。
「な――!?」
刃こぼれの蓄積した刀身は、岩熊の硬い体毛と骨の衝撃に耐え切れず、根元近くからぽっきりと折れてしまったのだ。
「レオ、剣が――!」
ミレイの悲鳴のような声が響く。武器を失ったレオの目の前で、怒り狂った岩熊が、大きく前脚を振りかぶった。
「くそっ――!」
咄嗟に飛び退いたレオの体を、岩熊の爪先が掠める。脇腹に、鋭い痛みが走った。
「レオ!」
「大丈夫、だ……! かすり傷だ!」
痛みを堪えながら立ち上がったレオは、素早く腰の予備武器――普段はあまり使わない短剣――に手をかけた。
「これしかないか……!」
大剣に比べれば、明らかに心許ない武装だった。だが、選んでいる余裕はない。
「ミレイ、援護頼む! ガレス、俺が隙を作る!」
「分かった――《フレイムアロー》!」
ミレイの魔法が岩熊の視界を乱す隙をつき、レオは短剣一本で、果敢に間合いを詰めた。
「くっ……大剣と勝手が全然違う……!」
慣れない武器での戦闘に、レオは何度も冷や汗をかいた。だが、これまでの実戦経験と、ガレスの的確な連携によって、なんとか岩熊の急所へと刃を届かせることに成功する。
「――そこだ!」
ガレスの一撃が決定打となり、岩熊はようやく地に伏した。
「はぁ……はぁ……。なんとか、なったか……」
肩で息をしながら、レオはその場にへたり込んだ。脇腹の傷はそれほど深くはなかったが、慣れない立ち回りによる疲労は、いつも以上に重くのしかかっていた。
討伐を終え、帰路につく道すがら、ガレスは、折れた大剣の残骸を、無言のまま拾い上げた。刃こぼれだらけの断面を、じっと見つめる。
「……この折れ方、明らかに、日頃の手入れ不足」
「……分かってる。分かってるから、今は勘弁してくれ」
「勘弁できない。今日、危うく大怪我するとこだった」
ガレスの声は、いつもより低く、鋭かった。
「刃こぼれ、蓄積してた。少し手入れしてれば、少なくとも折れることはなかった」
「わ、悪かったって。反省してる」
「反省してるなら、なぜ今まで放置してた」
「面倒だったんだよ、正直! 毎日毎日、そんな丁寧にやってられるか!」
「面倒で済む問題じゃない。武器の不備、命に関わる。今日も、下手すれば死んでた」
「分かってるって言ってるだろ! いちいちぐちぐち言うな!」
思わず声を荒げたレオに、ガレスの表情が、僅かに険しさを増した。
「ぐちぐちじゃない。当然の指摘」
「当然の指摘だとしても、こう何度も言われたら、誰だって苛立つだろ!」
「苛立つ前に、まず直せばいい話」
「お前はいつもそうやって、正論だけ振りかざして――」
言いかけたレオの言葉が、そこで、ふと止まった。ガレスの視線が、これまで見たことのないほど、冷ややかなものに変わっていたからだ。
「……正論、振りかざして、悪いか」
「……」
「今日、俺もミレイも、お前の不注意に巻き込まれるところだった。それでも、黙ってろって言うのか」
静かな、しかし確かな怒りを孕んだ声だった。ミレイが、二人の間に流れる剣呑な空気に気づき、思わず口を挟もうとする。
「ちょ、二人とも、その辺で――」
「――関係ない、口挟むな」
ガレスの鋭い一言に、ミレイも思わず息を呑んだ。
夕暮れの街道に、重い沈黙が下りる。レオは、拳を強く握りしめたまま、それでも何も言い返せずにいた。積もり積もった苛立ちが、今にも、抑えきれなくなりそうな気配だけが、その場に張り詰めていた。




