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なぜ、グラトニー侯爵令嬢は狙われたのだろうか?
(あの夢魔のことはさておき、「願う人間」は私とコンラートの破局を願っているわけじゃなさそう……よね)
シルヴィアとコンラートを別れさせたいだけなら、ウェンディ様を巻き込む意味が薄い。逆に言えば、呪いの標的はウェンディ様でなければならなかったのだ。
(ウェンディ様と婚約者様のハロルド様を別れさせたいのかしら?)
さすがに安直過ぎるだろうか。けれど、婚約者としての交流を邪魔されていることは間違いないし、そう考えるのが最もしっくりくるような気がする。
(クラトール伯爵家のハロルド様……お二人はどんな理由で婚約したのかしら?)
貴族の婚姻には何らかの政略なり利害が絡むものだ。あくまでも一般論だが。グラトニー侯爵家とクラトール伯爵家の婚約の背景にある政略はいったいどんなものだろうか。
◆◆◆
「えっ? お二人の婚約は政略ではない?」
しかし、後日。家を通じてグラトニー侯爵家へ送った呪い調査のための質問状から明らかになったのは、そんな事実で。
「ああ。ハロルド殿はその優秀さを買われてウェンディ嬢の婚約者になったらしい。家同士で何か契約があるわけではないそうだよ」
と、手紙を読んだサンクタ伯爵――シルヴィアの父が言った――ここはサンクタ伯爵の執務室である。
聞けば、その頭脳明晰さから婚約者候補になり、実際にウェンディ嬢との相性も良かったために決まった婚約だという。
「ちなみに、ハロルド様を狙っていた他家のご令嬢はおられなかったのかしら?」
ハロルド様は三男である。それほど優秀なら、彼を婿に欲する家は他にもあったのではないだろうか?
「それはわからないけどね。でも、婚約者候補に立候補したのはハロルド殿ご自身だったようだよ」
「ちなみにハロルド様は見目麗しい方なのかしら?」
もしそうなら、行き過ぎた嫉妬の可能性もある。ウェンディ様は可愛らしい方だが、食をプロデュースするだけあってぽっちゃりまろやかな体型――容姿で侮る者はいると思う。
「さあねぇ……。別に不細工じゃないと思うけど……コンラート君みたいにキラキラはしていないよ」
絶世の美青年と比較されても、あまり参考にならない。
「ああ、そうだった。ウェンディ嬢がおまえに会いたいそうだよ」
◆◆◆
「療養……ですか?」
招待を受けて訪れたのは、グラトニー家タウンハウスではなく、郊外にある別荘だった。来訪を告げると、さっそくウェンディ様の私室に通された。前に会った時よりもウェンディ様の顔色が良い。そういえば、先日の夜会をコンラートはドタキャンしなかった。
「ええ。足を骨折したことにして、しばらくは社交をお休みすると父が公表しましたの」
小さなリボンをたくさん縫い付けたふんわりと可愛らしいシルエットのドレスで、ウェンディ様は困ったように微笑んだ。
「コンラート様が、呪いの発動条件はわたくしが何らかの招待を受けることなんじゃないかって。だから、思いきって療養という扱いにしてもらいましたの」
療養を発表して以来、呪いは発動していないという。
「ハロルド様からもお見舞いをいただいたの。ただ……騙しているみたいで、少し申し訳ないわ」
ウェンディ様の視線の先には車椅子が鎮座していた。頑丈そうな鉄の骨組みで、椅子の横幅が広い。おそらく特注品だろう。
なお、ハロルド様は車椅子を贈った際に見舞いを申し出たというが、そちらは丁重にお断りしたらしい。ウェンディ様が別荘にいることも伝えていないそうだ。距離が近づくことで呪いが発動する可能性もあるから。
しばし無言で車椅子を眺めていると。
「ニャウゥ……」
どこかからか細い猫の鳴き声が聞こえてきた。
「あら、レディ? いらっしゃい」
ウェンディ様が柔らかく呼びかけると。
「ニィ……ニャウゥ……」
ドアの隙間からひょこっと真っ黒な子猫が顔を出した。
「わたくしと最初に入れ替わった子ですの。親がいないみたいで」
短い爪で懸命にドレスをよじ登った黒猫を、ウェンディ様は愛おしげに撫でた。
「レディ、お腹がすいたの?」
猫の名前は「レディ」というらしい。「レディ」――つまりお嬢様。
「万が一、呪いが発動してもこの子を捜すためだったら、『お嬢様』を連呼しても言い訳ができますもの」
「ッ」
ウェンディ様が穏やかに微笑んでおられるから危うく忘れるところだった。まだ、彼女を苛む呪いは依然と存在していて。侯爵令嬢である彼女に不便を強いているのだ。
「お呼び立てしたのは、思い出したことがあるからですの。それから、ハロルド様のこともお伝えしておいた方が良いと思って」
居住まいを正したウェンディ様に、シルヴィアも背筋を伸ばす。
「実は……呪いが発動する前――去年の秋口のことですわ、ちょっとした会にハロルド様と出席しましたの」
ごく内輪の、小さな……会というほどではないのです。ですからすっかり失念しておりました、とウェンディ様。
「クラトール伯爵邸であちらの親族の方々とご挨拶会、と申しましょうか。そこでどんぐり豚のステーキをいただきましたの。脂の甘味がジュワッと口に広がって……とても美味しゅうございましたわ」
味を思い出したのか、ウェンディ様の顔が幸せそうに綻ぶ。
「それで……ハロルド様がその会でのわたくしの発言を受けて、どんぐり豚育成を事業化を進めておられたのです。お見舞いでいただいたお手紙に、そう書いてありました」
それから……、とウェンディ様は少し言葉を探すように視線を彷徨わせた。
ふと、前回の訪問で不用意な発言から彼女を泣かせてしまったことを思い出す。
「ウェンディ様、言いにくいことを無理に伺おうとは」
「いいえ」
シルヴィアの制止を押しとどめて、ウェンディ様は言った。
「わたくし、ハロルド様とのご縁がなくなるなんて耐え切れません。あの方はこんなわたくしでも大切にしてくださるんです。ですから、呪いに打ち勝つって、婚約を守るって決めたのです」
「!」
目を見開くシルヴィアを前に、ウェンディ様は唇を震わせた。彼女の膝の上で、主人の不安を感じ取ったのか、黒猫が「ニャウゥ」と声を上げた。
「呪いが発動する、少し前のことです。我が家でごく短期間だけ働いて、辞めた下女がおります。……下女には、湯殿の掃除をさせていました。当初は、仕事がキツかったのだろうと考えておりましたが……」
下女のその後は足取りを掴めていないという。もし、その下女がウェンディ様の髪の毛を持ち去るために潜入したのだとしたら――。




