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 なぜ、グラトニー侯爵令嬢は狙われたのだろうか?



「それが……困ったことに特に思い当たることがないのですわ」


 シルヴィアの前でおっとりと首を傾げるのは、グラトニー侯爵令嬢ウェンディ様その人である。呪いが発動しない日中に、改めて彼女を訪問したのだ。なお、駄犬はいろいろ邪魔になるので連れてきていない。


(性格的に、人から恨みを買いそうな感じはしないのよね)


 顔立ちだって優しげで、垂れ目には愛嬌がある。色白でもっちりした頬は思わず触れたくなってしまうくらいだ。明るいピンクブロンドの巻き毛も柔らかな印象の彼女に合っている。そして印象を裏切らない、穏やかで優しい性格をなさっている。暗い黒髪に猫みたいなつり目のシルヴィアとは正反対の、春の日差しのような少女。ただ、先日猫と入れ替わった時に傷つけたのか、左手首を覆う包帯が痛々しい。


「ああ、こちらを。もしかしたら役に立つかもと、コンラート様から」


 彼女が白蝶貝を散りばめた文箱から取り出したのは、数枚の紙束。見れば、呪いの発動したタイミングと参加できなかった夜会や観劇、元に戻った時間、入れ替わった猫の見た目やどこにいたかの場所までもが、見やすいように一覧になっていた。


(駄犬……)


 少し角張った、粒の揃った律儀な字は確かにコンラートのものだ。それをこうして彼の愛らしい幼馴染みから受け取るのは、なんとも複雑な心地がした。


(呪いさえなければ、優秀なのよね……)


 ドジの呪いが発動するのは、あくまでもシルヴィアとの物理的な距離が近づいたとき。つまり、そうでなければ、コンラートは美しく優秀有能な青年なのである。


「あの……わたくしのことで、シルヴィア様には大変ご迷惑を」


 俯いたシルヴィアに引っ張られたのか、ウェンディ様が悲しげに目を伏せた。かすかな動きに合わせて、小粒のアメジストを嵌めた金のピアスが揺れた。


「ウェンディ様は何も悪くありませんわ」


 そう、彼女に罪はない。悪いのはこんな呪いをかけたウザい夢魔なのだ。


(アイツの動機の根本に私がいるのが腹立たしいわ)


 つまり、ウェンディ様は巻き込まれただけであって。


「呪いには「願う人間」と「核」……具体的には標的の身体の一部が必要です。そうですね……髪の毛とか爪あたりでしょうか。失礼ですが、お部屋に不審者が入ったり、もしくは屋敷の外でお着替えや髪結いを頼まれたことは?」


「……いいえ。ありませんわ」


 ウェンディ様は力なく首を横にふる。


(まあ、そうでしょうね)


 社交界でのウェンディ様といえば、食材や料理に並々ならぬ関心を寄せるご令嬢として知られ、そのセンスと舌でプロデュースした料理が食の流行を作っていると言っても過言ではない。そんな今をときめく令嬢が、赤の他人に御身を任せること自体が考えにくい。彼女には常に、髪結いや着付けに堪能な侍女がついて回っているはずだ。

 今一度、コンラートお手製の一覧表に目を落とす。


(クローネ公爵家の夜会に王城の春告げの宴、ベサニ枢機卿の音楽会、デ・ランツァ歌劇場の初日公演……)


 どれもこれもコンラートにドタキャンされた催しである。グラトニー侯爵家とは派閥が同じだから「そりゃそうだ」なのだが。


(まさか、私とコンラートを引き離すためにウェンディ様をダシにしたのかしら)


 シルヴィアに執着する夢魔なら充分あり得る話だ。自然、シルヴィアの眉間にしわが寄った。一覧にされると改めて実感する。これだけの回数、シルヴィアもコンラートとの逢瀬を邪魔されたのだ。もちろん、ウェンディ様も。


「婚約者様に呪いのことは?」


 口に出して後悔した。言えるわけがない。呪い付なんて瑕疵(かし)以外の何物でもないのだから。シルヴィアとコンラートのように、呪いがあっても続く方が特殊なのだ。


「ハロルド様にはお伝えしておりませんわ。だってこんなことが知れたら、ハロルド様はきっとわたくしを嫌いになってしまわれるわっ!」


 感情が高ぶったのだろう、さめざめと涙を流し始めたウェンディ様の背を、年嵩(としかさ)の侍女が抱きしめてさすりだした。


「うっ……わ、わたくし、皆様みたいに美人じゃないし……こ、こんなに太っているしッ、ウウッ」


「お嬢様は可愛らしゅうございますよ。それにたいへん聡明でいらっしゃいます。クラトール様はお嬢様の聡明さを認めて後押しなさろうとしておられるではないですか」


 慰めながら、侍女はちらりとシルヴィアを振り向く。モノクルの奥の目は部屋の扉に――帰ってくれ、ということだろう。


(配慮が足りなかったわ。他の誰よりも恐ろしい思いをなさって、不安でいらっしゃるのはウェンディ様なのに……)


 謝罪の気持ちを込めてカーテシーをして、静かに部屋を辞した。呪いがなくてもダメダメな自分に嫌気がさした。 

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