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 ミモザの黄色い花が満開を迎える頃に、この国の社交シーズンは幕を開ける。領地で長い冬を過ごした後、再会の喜びを分かち合う――春の夜会には概ね明るく、少し浮かれた雰囲気が漂っている。


「サンクタ伯爵令嬢、(わし)に何ぞ良からぬモノは()いていないかな?」


 何度目かの夜会で、シルヴィアは貫禄のある紳士から尋ねられた。微笑んで紳士の周りに目を凝らす――サンクタ伯爵家の始祖は大聖女アリステアであったとされ、今でも時折不思議な能力を持った者が生まれる。シルヴィアもその一人で、彼女の片眼は悪しき思念や呪いを見分ける魔眼なのだ。


「悪いモノは何もございませんわ。ご安心なさいませ」




 大聖女の末裔(まつえい)で魔眼持ちであることから、シルヴィアが夜会や茶会に姿を見せると、主に年配の紳士淑女が「悪いモノが()いていないか見てくれ」と集まってくる。もちろん、無償でだ。



(……疲れましたわ)


 ソファに座ってシルヴィアはため息をついた。黒髪を彩るエメラルドをあしらった髪飾りや首元を飾るネックレスがやけに重たく感じる。


 魔眼を使うのは地味に体力を消耗する。そもそも大聖女アリステアと比べたらミジンコ程度の聖力しかないシルヴィアが、長時間魔眼を使い続けるなんて無理も無理なのだ。けれど「視てくれ」という御仁(ごじん)は引きも切らない。


(……はぁ。夜会ってこんなに疲れるものだったかしら?)


 否、去年は駄犬(コンラート)が派手にドジを踏んで……具体的には入場と同時にすっ転んでズボンの尻が裂けたり、手を滑らせてグラスの赤ワインを四方に飛び散らせたり、落とし穴よろしく床板を踏み抜いて落下したり、開始早々に退場していたっけ。誰かを「視る」にせよ、夜会ではなく個々に屋敷に呼ばれてだったので大した負担ではなかったのだ。


「……呪いって役に立つのね」


 変な感慨を呟いたところで、誰もそれを拾いはしまい……と思ったのだが。


「それは光栄だねぇ」


 求めてもいない嬉しそうな声にムッとしてシルヴィアは顔をあげた。


「やぁ、僕の可愛いシルヴィア」


 いつからいたのか……そいつはソファの背に片手をつき、少し身を屈めてシルヴィアを見下ろしていた。黒地に銀糸を刺繍した華やかなジュストコール、すらりと高い細身の体躯。人ならざるサラサラした銀の髪に気取ったシルクハット。そして目許を覆い隠す黒のレースリボン。ムカつくほど整った容姿の人外――夢魔は、シルヴィアが目を向けると愉しげな笑みを浮かべた。


「おやおやぁ? お疲れのようだね、レディ。冷たい飲み物はいかがかな?」


 白手袋の手が給仕よろしく水滴の浮いたグラスを差し出してきたが、シルヴィアは「結構よ」押し返した。水滴がひんやりと指先を濡らす。小洒落た彫刻を施した銀のマドラーがきらりとシャンデリアの光を反射する。


「そんなことより、コンラートにかけたドジの呪いを解きなさい。もちろん、無償でね!」


 シルヴィアがキッと睨みつけると、


「それは無理な話だね」


 夢魔は大げさに肩をすくめた。


「だって君にはあの男より僕の方が相応しいんだから。それをわからせてあげるための魔法だよ?」 


「放して頂戴!」


 馴れ馴れしく(あご)をすくい上げようとした指先を叩く。本当にウザい夢魔である。


「何度も言っているでしょう? 私はただの『末裔(まつえい)』であって貴方の愛する『始祖』じゃないわ。人格だって違うの!」


 このウザい夢魔は、始祖たる大聖女アリステアの「真実の愛」らしい。本当かどうかは知らない。が、シルヴィアにつきまとい、挙げ句婚約者のコンラートにドジの呪いをかけた時点で、シルヴィアから見ればただのクソ野郎でしかない。


「けど、君はアリステアの魔眼を持ってる。僕はアリステアのモノならたとえ爪のひと欠片でも手に入れたいと思っていてね」


 それに、と歌うように夢魔は続ける。


「君、ときどき聞いてるんでしょう? アリステアの声を、さ」


「知らないわね。それより、末裔の若い女の子にちょっかいを出すのは「浮気」には入らないのかしら?」


 にべもなく真顔で否定して、代わりに嫌みを返してやった。


「浮気じゃない。君はアリステアの一部だ。大切にするよ? ……浮気性のあの男と違ってね」


 まるで何か知っているような、甘やかな毒を含んだ仄めかし。


「ねぇ、一人ぼっちの社交はもう何度目かい?」


 次の瞬間、不意に気配が近づいて、ぞわりと背が粟立(あわだ)った。間近でヤツの喉がくつくつと震える。 

 思わせぶりな嘲笑は、時に明確な断言より雄弁に疑惑を(かた)れるのかもしれない――。


(まさか駄犬(コンラート)が浮気をしている、と……?)


 囁きにわずかでも揺らいだのがいけなかった。


 ひとりぼっちで惨めね……

 みんな私を嗤ってるんだ……

 どうして私だけ……


 普段は目を逸らしている負の感情が急速に胸に広がって、冷や水を浴びせられたみたいな寒気がする。夜会の色や音が遠のき、立っていた足場が突然なくなったような錯覚を覚える。くらくらと眩暈がして、誰でもいいから手を伸ばしたい衝動が――


(ダメ! 夢魔の術中に嵌まったら……)


 夢魔は人の心の弱みにつけ込んで悪夢を見せ、意思を捻り曲げようとする。なんとかしてふり払わなければ……!


(そう、思い出すのよ……コンラートと初めて会った日を……)


 婚約を結んだその日、呪いが発動してコンラートはアクロバティックにすっ転び、向かい合って立っていたシルヴィアを押し倒して無駄に秀麗な顔がアップに


(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!!!)


 思い出した途端、シルヴィアの顔は一瞬で茹で上がった。羞恥で心臓がバクンバクンとうるさいが、おかげで夜会の色彩と音が戻ってきた。悪夢をふり払うには、それを打ち消すほどの強い刺激が必要なのだ。


「大聖女アリステアの名に誓って、彼には事故チューの責任を取らせるもの。婚約は絶対破棄しないわよ」


「君、そういうところが可愛くないよ」 


 夢魔はシルヴィアが思い通りにならなかったことが気に入らなかったらしい。不機嫌そうに呟いたが、すぐに唇をふてぶてしい笑みで歪めた。


「コンラートの行き先は彼の幼馴染み。もちろんとっても可愛い女の子だよ?」


 僕の言葉は真実だからね、と気味の悪い囁きを残して黒ずくめの裾が翻る。次の瞬間には夢魔の姿は忽然と消えていて、代わりに黒い羽根が一枚はらはらとからかうようにシルヴィアの顔の前を舞った。


(なるほど。つまり、駄犬(コンラート)のドタキャンを仕組んだのアンタなのね)


 ならばシルヴィアは、企みの真相を暴いてやるのみだ。

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