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静音化  作者: なうなり
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第6章 案内人

真壁は証明に近づきすぎた。


城崎浩一の最後の言葉は、神谷誠司の頭から離れなかった。しかも真壁が消えた時期、天城修司も公の場から姿を消している。偶然か関連か、まだ分からない。だが刑事の勘が告げていた。この二つは無視してはいけない。


警視庁資料室。午前七時。


東条悠人は珍しく早く来ていた。机の上には紙資料が積まれ、モニターには膨大なグラフ。認証履歴、利用ログ、統計分析。


神谷が入ってくるなり言った。「寝てないな」


「最近それしか言わないですね」東条は苦笑した。そして真顔になる。「見えてきました」


神谷は足を止めた。「何がだ」


「長時間利用者です」東条が画面を回す。


全国匿名統計。AI対話時間が長い利用者のサンプル数は数十万人、その中から極端に利用量が多い群を抽出し、さらに長期観察データで絞り込んでいた。


「ずいぶん絞ったな」


「条件が見えてきたんです」東条が項目を出す。AI対話時間、補正ログ量、感情整理頻度、補正提案受諾率。


「利用時間だけじゃなく、使い方の深さか」


「そうです」東条が頷く。「ただ使うんじゃなくて、感情の処理を全部AIへ任せるタイプです。悩み、感情整理、対人摩擦、ストレス、全部AIとの対話で処理します。しかも補正提案をほとんど疑わずに受け入れる」


「便利すぎるな」


「しかも精度が高い」東条が続ける。「AIとの相性が良くて介入効果が高いから、感情が整いやすい。だから問題行動じゃない、積極的利用者として見える。システム側にとっては理想的な利用者です」


「でもその先が変なんです」東条が声を落とす。


神谷が画面を見る。時系列推移のグラフ、計測開始から三年、五年、七年、十年と追うと、奇妙な記録が見受けられる。人間への相談率が少しずつ、確実に減っている。家族相談、友人相談、医療相談、行政相談、全部が緩やかに低下していた。


「代わりにAI対話時間は増えます」


支援先が人からAIへ置き換わっている。しかも統計上は改善で、孤立でもない。感情安定も高く、生活満足度も高い、コミュニケーションそのものが減るわけでもない。だから異常として扱われない。


「危機時はどうなる」神谷が気づいて聞く。


「そこです」画面が切り替わる。危機イベント。生活破綻、急性ストレス、失職、介護、死別、離婚、重病。普通なら人間への相談が増え、支援要請も増える。だが長期利用者の中の一部だけは逆だった。変化しない。むしろさらに減る。


「助けを求めなくなる」神谷が静かに言う。


「正確には」東条が少し迷う。「"求める優先順位"が変わる感じです。まずAIへ行って感情を整理して落ち着く。結果として危機が見えなくなる」


神谷の頭に、美咲のメモが浮かぶ。


――苦しんでいることが見えなくなっている。


その意味が少し変わる。見えないのではない。出てこない、外へ。


だがここで神谷は止まった。


「一部だけ、と言ったな」


「はい」


「長時間利用者の中でも、この現象が出るのは一部だ。全員じゃない」


東条も頷く。「そうなんですよ。同じくらい長く使ってる人間でも、普通に家族へ相談する人もいます。AIをよく使うけど、人間にも頼る人は影響が出てない」


神谷は腕を組んだ。「何が違う」


東条が少し迷う。「まだはっきりしないんですけど……傾向はあります」


「言え」


「影響が出ている人間、なんというか……AIを信じやすいんです」


神谷の目が動く。「信じやすい?」


「補正提案を疑わない。AIが言い換えを提案したら、そのまま受け入れる。AIが"こう表現した方が伝わります"と言えば、そうなんだと思う。自分の感情より、AIの判断を優先する感じです」


神谷は黙って聞く。


「逆に影響が出ていない人間は、AIの提案を一回止まって考える。"本当にこの言い方でいいか"って。疑う、というより、自分の感覚と照らし合わせる人です」


神谷は少し考えた。利用時間の問題ではない。同じ時間使っていても、使い方が違う。AIを道具として使う人間と、AIに判断を委ねる人間。その差が、何かを分けている可能性がある。


「まだ弱い」


「分かってます」東条も頷く。「因果関係ではなく相関で、偶然とも言えるし性格差とも言える」


通知音。二人の動きが止まる。差出人不明、また匿名送信者だった。


「もう慣れてきましたね」東条が息を吐く。


神谷は無言で開く。本文は短かった。


 死者を追え


添付ファイル。十数名の一覧。名前、年齢、地域、死亡理由。


「また内部資料……」東条が顔をしかめる。


一般には見られない監査領域の資料で、しかも死亡事例だけが抽出されていた。


 三十二歳、女性、会社員、長期利用者、危険度正常、突然死。

 二十九歳、男性、長期利用者、危険度正常、原因不明。

 四十一歳、女性、長期利用者、病死推定。


共通点が多すぎる。そして最後の欄で神谷の指が止まる。


事前支援要請なし。全員、ゼロ。


「美咲さんと同じ……」東条が小さく言う。


もう偶然では説明しにくい。だがまだ決定打ではない。


一覧の最下部に小さなメモがあることに気づく。短い一文だった。


 最初の現場を見ろ


「現場? どこです」


添付先に住所があった。神奈川県郊外、古い団地。死亡事例の一人、三十二歳女性。事件性なし、病死推定、危険因子なし、長時間利用者だった。


神谷は静かに立ち上がった。「行くぞ」


「何を見に?」


「死ぬ前の言葉だ」


---

神奈川県西部、住宅街の外れ、昭和後期に建てられた古い団地。雨が降りそうな空だった。

指定された部屋は三階。住人死亡後、空室になっている。三十二歳、女性、事務職。死因は急性循環器障害の可能性。他殺所見なし、危険度評価正常。支援要請履歴なし。そして長期利用者。資料上は、それだけだった。


管理会社の立会人が出てきた。四十代の男性で、少し困った顔をしている。「警察の人ですよね?」


神谷は軽く頷いた。「少し話を聞かせてほしい」


「部屋はもう処分済みです」男は申し訳なさそうに言った。「遺族の方が来られて、荷物は全部引き取られました。今は空室で」


神谷は頷く。当然だった、死亡からすでに時間が経っている。部屋に残るものは何もない。証拠も、痕跡も、言葉も、全部消えた後だった。


「亡くなる前の様子は」


「普通でしたよ」またその言葉だ。「礼儀正しい人で、問題は何もなかった。静かな人でした。悩んでる感じもしませんでした」


「相談していた様子は」


「ないですね」管理人は少し迷ってから付け足した。「でも最後の方、変でした。何か言いたそうだったんですよ。でも言わないんです。何でも"大丈夫です"って」


その言葉が妙に重かった。


――ちゃんと伝わってるのかな。


佐伯美咲の声は、誰にも、何も伝わっていない。そして、ここでも伝わっていなかった。


「何か残っているものは」


男は首を振った。「何もないです。きれいなもんでした」


きれいなもんでした。その言葉が引っかかった。


「この人、AIをよく使う方でしたか」


管理人は少し考えた。「さあ、そこまでは。ただ、優しい人だったんですよ。傷つきやすいというか、人の言葉を真剣に受け止めすぎるというか。そういう人だったんです」

神谷の手が止まった。


傷つきやすい。人の言葉を真剣に受け止めすぎる。


七海が美咲について言った言葉と重なった。姉、感情の整理が得意じゃなくて、傷つきやすいところがあって、AIに話すのが一番楽だって言ってました。


同じだ。


「人に頼るのが得意じゃない感じでしたか」


「そうですね。頼むのが申し訳ないみたいで、なんでも自分で抱えちゃう人でした。だからAIの相談サービスとか、向いてたんじゃないかな」


神谷は団地を出た。東条が後に続く。空はいよいよ暗くなっていた。


「何もありませんでしたね」東条がぽつりと言う。


「ああ」


「でも」東条は少し迷って続ける。「何もないこと自体が、変ですよね」


神谷は足を止めた。


そうだった。本当に苦しんでいた人間の痕跡は、普通どこかに残る。乱れた部屋、溜まった薬、誰かへの未送信のメッセージ、何かが残る。だが今回は何もない、きれいに消えている。


消えたのか、それとも最初からなかったのか、それとも。


苦しみが外へ出る前に、変えられていたのか。


だが神谷の頭には、もう一つのことが残っていた。


傷つきやすい。AIに頼むのが楽。人に頼むのが申し訳ない。そういう気質の人間が、深くAIへ入り込んでいく。長く使うだけではない。そういう人間が、長く使い続けた先で、何かが変わる。


利用時間ではない。使い方でもない。使う人間の、気質そのものに何かがある。


まだ言葉にならなかった。証拠もない。だが、その感触が初めて神谷の中に生まれていた。


帰り道。車内は静かだった。東条が珍しく無口で、やがてぽつりと言う。


「神谷さん。これ、もうかなり危なくないですか」


神谷は前を見る。危ない、その言葉は正しい。だが何が危ないのか、まだ輪郭が曖昧だった。システムか、社会か、人間か。


「長く使えば影響が出るってわけでもないんですよね」東条が続ける。「同じくらい使ってても、普通な人もいる」


「ああ」


「じゃあ何が違うんですかね」


神谷は答えなかった。まだ分からない。だが少しずつ、輪郭が見え始めていた。


警視庁へ戻ると、神谷の端末に通知が届いていた。また匿名送信者だった。


 彼に会え


添付ファイル。一件の住所。長野県、山間部、小さな診療所。


「診療所?」東条が顔をしかめる。


神谷は別データを見る。利用履歴、認証記録、そこに名前があった。


真壁遼。受診履歴、七か月前。


生きている、少なくともその時点では。


神谷は静かに息を吐いた。初めて直接的な痕跡だ。匿名送信者はここまで外していない。次も当たりの可能性が高い。


「行きます?」東条が聞く。


「ああ」


真壁遼は、ただの元研究者ではない。生き残った証人だ。そして会えれば、美咲が最後に見た景色が分かる。


そして神谷には、もう一つ聞きたいことがあった。


長期利用者の中で、影響が出る人間と出ない人間。その差が何なのか。二十年前に最初に気づいた城崎は、影響が出た群を「効果が出すぎる人たち」と呼んでいた。真壁はその群を、さらに深く追っていたはずだ。


彼が何を見たのか。


それが今、一番知りたいことだった。


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