赤鬼見参
「赤井先輩って、どんな人なんですか?」
「んっと…… 何ていうか、本当に鬼みたいな人……」
赤井先輩について岩佐先輩に聞いてみたら、返ってきた答えがこれだった。
聞かない方が良かった、かもしれない。
木曜日、外は土砂降り。
激しい雨が、武道場の屋根に打ち付ける音が響く。
先輩方の表情は一様に硬く、練習の雰囲気が、明らかにいつもと違っていた。岩佐先輩も、この前より緊張しているように見える。
3年生の先輩方にとって、赤井先輩は入部当時の主将。
先輩方がここまで恐れるなんて、一体どんな主将だったのだろう。周りに厳しく檄を飛ばす、鬼軍曹のような人だったのだろうか。
自分には、そんなやり方は絶対に無理だろう。
主将として、タイプが違いすぎる。
「押忍!」
突然、武道場に野太い声が響く。全員の視線が、一斉に武道場の入り口に向いた。
そこに立っていたのは、無精髭を蓄えた見るからに無骨な人物。その眼光は目を合わせるのが怖くなる程に鋭く、いかにも武道家という雰囲気を纏っている。
「赤井先輩に礼!」
「押忍!」
笹本先輩の掛け声に、全員が一斉に礼をする。
「笹本ぉ、先輩に先に礼させんじゃねえぞ」
「押忍! すいませんでした!」
「次から気ぃつけろ」
そう言うと、赤井先輩はゆっくりと武道場の中に歩を進める。ただ歩いているだけなのに、強者のオーラが凄い。
赤鬼見参。
俺はただ、呆気にとられていた。
でも、赤井先輩が「鬼」であることを思い知らされるのは、ここからだった。
「あぁ!? もう終わりかぁ!? 正拳突きあと100本!」
「赤鬼」から見れば、今の空手部の練習はまだまだ甘い、という事らしい。早速、正拳突きが100本追加。そんな調子で、蹴りや受けといった基本練習が、全て100本ずつ追加されていく。
「はぁ…… ちょっと、これ…… キツい……」
「半端ねぇな……」
実夢も慧介も、肩で息をしている。俺も呼吸を整えるのに必死で、喋る事ができなかった。
「赤井くん、ちょっとやり過ぎじゃ……」
「甘やかしてどうすんだよ岩佐。本気で全国行きてぇなら、これくらいやんねぇとよ」
岩佐先輩がやんわり止めようとしたけれど、赤井先輩の勢いは止まる気配すらない。このまま行くと、組手練習はどんな恐ろしい事になるのだろうか?
でも予想に反し、赤井先輩は組手練習に入って来ない。あちこちで説教、……ではなく、アドバイスをしているだけだ。
「赤井先輩は、とにかく強い相手と戦うのが好きな人だからね。僕らじゃ、ちょっと物足りないのかもね」
そう言いながら、笹本先輩は苦笑い。
物足りないと思われるのは、少し悔しい気もする。
でもこのまま、今日の練習は無事に終わるかもしれない。
その希望は、あっさりと崩れ去った。
「やっぱ、俺も組手やんねぇと物足りねぇわ! よっしゃ! 誰か、俺の相手したい奴いるか!?」
練習も終わりに差し掛かった頃、赤井先輩が突然、組手をすると言い出した。
先輩たちのの顔色が、一気に真っ青になる。赤井先輩と戦えば、一体どんな目に遭わされるか。そんな不安が顔に描かれているようだ
「誰でもいいぞぉ! 立候補いないかぁ!?」
赤井先輩の声だけが、武道場に響く。
それに応える声は無い。
誰もが、「赤鬼」と目を合わせないように俯いている。笹本先輩ですら、黙ったままだ。
ここは、俺が行くべきなんじゃないか?
次期主将として、ここで逃げずに立ち向かう姿を見せなければいけないんじゃないか。それくらいできなければ、チームを引っ張って行く事などできないんじゃないか。
頭ではそう考えているのに、身体が動かない。
手も足も、俺の全てが「赤鬼」を怖がってしまっている。
土砂降りの雨の音が、激しさを増していく。
このままじゃダメだ。
勇気を出せ! 勇気を……
「押忍、手合わせお願いします」
俺のすぐ後ろから聞こえた声。みんなの視線が一斉にこちらに、俺のすぐ後ろにいる奴に向けられる。
「慧介! 行くのか!?」
「あぁ、他に立候補がいれば譲ろうと思ってたけど、誰も行かないみたいだしさ」
そう言うと、慧介はゆっくりと、武道場の真ん中へと歩を進める。まるで、「赤鬼」との対戦を楽しみにしていたかのように。
ずっと分からなかった。
そして、今でもよく分からない。
どうして俺なんかが、次期主将に選ばれたのだろう。
なぜなら、俺たちの学年にはもっと凄い奴がいる。そいつは俺より強い。それどころか、先輩方ですら歯が立たない。2年生にして、間違いなくチーム最強の選手だ。
そいつの名は、的場慧介。




