下剋上 〜慧介vs赤井〜
武道場の真ん中にテープで貼られた、8メートル四方の四角形。それが2人の戦いの舞台。
ルールは先取り一本、先に有効打を決めた方の勝ちだ。
「押忍、2年の的場慧介です。よろしくお願いします」
「いいねぇ、活きが良くて。そう来なくちゃなぁ」
自分に向かってくる後輩を見て、赤井先輩は嬉しそうだ。慧介も、「赤鬼」を前にして気圧されている様子はない。堂々とした姿は、同級生とは思えないくらいだ。
「慧介! ファイト!」
入部直後から試合に出ていた慧介と違い、俺は外から試合を見守る事も多かった。そんな時は、目一杯の声を出す。少しでも後押しできるように。
俺の声を皮切りに、武道場の中に声援が飛び交い始める。
「押忍!」
「押忍!」
2人が向かい合って一礼。ほんの僅かな沈黙の後、審判役の笹本先輩の声が響いた。
「始め!」
2人とも、構えたまま動かない。
まずは、静かな立ち上がり。
お互いにリズムを取りながら、間合いを測っている。
2人の間に満ちた、とてつもない緊張感。俺だったら、圧力に負けて、先に動いてしまうかもしれない。
そう思った、次の瞬間。
赤井先輩が、猛然と前に出た。凄まじい踏み込みからの上段突きを、慧介は咄嗟に身体を捻って躱す。
俺にはあんな突きは打てないし、反応もできない。2人のレベルの高さは分かっていたけれど、改めて驚かされる。
赤井先輩の攻勢は、止まらない。
次々と繰り出される攻撃に、慧介は防戦一方。間合いを取ろうと下がっても、赤井先輩が即座に距離を詰めてくる。
これが、「赤鬼」の戦い方。
有無を言わさず、相手を飲み込んで圧倒してしまう。
「慧介! 回り込め!」
このままでは、隅に追い込まれる。
俺の声が聞こえたのか、慧介は駆け足で回り込むように素早く移動すると、大きく距離を取った。赤井先輩が追いかけるように前に出た、その瞬間。
空気を切り裂くように、慧介の右足が跳ね上がった。
目の覚めるような前蹴り。顔色一つ変えずに、慧介は「赤鬼」の顔面を狙った。その大胆さに、俺は思わず息を呑んだ。
でも、決まらない。浅い。
赤井先輩が寸前で踏み込みを止めた為、有効打にはならなかった。あの蹴りに反応できるなんて、赤井先輩はやはり、とんでもない。
でも、一瞬体制を崩した隙を、慧介は見逃さなかった。ここがチャンスとばかりに、次々と攻撃を繰り出していく。
「慧介! 押し切れ!」
声援に力が入る。
行ける!
このまま行けば、大金星も夢じゃない!
「止め!」
笹本先輩の声に、2人の動きが止まった。
いや、2人だけじゃない。
それを見ていた俺たちも、呆然として動けなかった。
凄まじい攻撃の合間を縫って、赤井先輩が放った裏回し蹴りが、見事に慧介の顔面を捉えていた。
赤井先輩の勝ちだ。
「お疲れ。凄かったな」
戻ってきた慧介に、俺は声をかけた。慧介は涼しい顔で、とてもさっきまで「赤鬼」と戦っていたようには見えない。
「あぁ…… こっそり狙ってたんだけどな、下剋上。やっぱ、赤井先輩は強いわ」
下剋上?
そんな事を考えていたのか、こいつは?
俺が怖気づいていた時に、そんな事を……
「よぉ、的場だっけ? お前強いじゃん」
練習後、赤井先輩が慧介に声をかけてきた。
「押忍、ありがとうございます」
「まさか、いきなり顔面蹴られるとは思ってなかったわ。でもそれくらいじゃねぇとよ、面白くねぇわな」
「組手では、先輩も後輩も無いと思ってますんで」
赤井先輩の目は、慧介の方だけを見ている。すぐ側にいる俺には、まるで関心が無いように。
当たり前だ。
だって、俺はただ怖がっていただけだ。
「お前なんだろ? 次の主将。だったら安心だな」
「あ、いえ。違います」
「はぁ? なんで? だってお前が一番強ぇんだろ? 本当かよ…… おい笹本ぉ!」
そんな風に思われても、仕方がない。
俺は、不甲斐なかったんだから。
自分でも、分かっていた事だ。
でも、やはり堪えた。
気がつくと、俺は慧介たちから離れた場所にいた。
まるで、「現実」から逃げるように。
今、「どんな主将になりたい?」と聞かれたら、俺は何と答えるだろう。「現実」とはかけ離れた「空想」を、恥ずかしげもなく答えるだろうか?
「空想」は、どこまで行っても「空想」。
「現実」とは違って……




