抜け駆け
「おい想空! 抜け駆け禁止って言っただろ!」
「は? 何の話?」
「しらばっくれんなよ!」
しらばっくれてなんかない。
抜け駆けするだけの勇気、むしろ欲しいくらいだ。
朝から、クラスの奴に詰め寄られている。
岩佐先生は、男子の間では早くも大人気。誰かが抜け駆けでもしようものなら、当然こうなるだろうけれど……
「マジで、何の話だよ。心当たりないんだけど」
「お前さ、今朝しっかり見られてたぞ。岩佐先生に、手紙渡してただろ」
今朝…… 手紙……
そういう事か。ようやく理解できた。
でも、あれはそういうのじゃない。
「分かった! ちゃんと説明するから、聞けって」
あれから考えた。
何か、岩佐先生を手伝える事が無いか。
「おはようございます」
「おはよ。藤澤くん」
学校で岩佐先生を見かけたら、何でもいいから話しかけるようにしている。もし自分が先生の立場だったら、そんな風に接してもらった方が、嬉しいと思うから。
「岩佐先生、おはようございます」
「おはようございます」
クラスのみんなも、先生に話しかけるようになった。こうやって、少しずつクラスに馴染んでいってほしいと思う。
「……ごめん、今の子、名前何だっけ?」
「島本です。島本夏来」
「そっか、ありがと」
その為には、クラスの奴らの顔と名前を、覚えなければならない。でも、いろいろと忙しい中で、全員の顔と名前を一致させるのは、大変だと思う。
だから、考えた。
「あの、もし良かったら、これ使ってください」
俺は、バッグから取り出した紙を、先生に手渡した。
「え、何?」
「うちのクラスの座席表です。全員のフルネームの漢字と、読み仮名も書いてますんで」
一晩考えて、そして思いついたのが、これだった。
慌てて作ったので、手書きで、字も綺麗ではないけれど。
「わざわざ作ってくれたの? ありがとう!」
「あ、いえ、全然……」
「実はね。名前の漢字の読み方が分からなかった子もいるから、助かるよ」
「僕らだって、似たようなもんですしね」
「フフフ…… 本当だ」
先生に喜んでもらえて、素直に嬉しい。
自分にできる事なんて、大した事じゃないかもしれない。でも今回は、下心抜きで、少しでも役に立ちたかったから。
「だーかーら! それを『抜け駆け』っつうんだよ。自分ばっか、点数稼いでんじゃんよ!」
全然、納得してもらえなかった。
でもこうなる事も、実は想定内だったりする。
「いや、だってほら、俺の部活の先輩だし。体育会系なんだからさ、先輩を手伝うの当然だと思わね?」
「ん…… まあ、それはそうなんだろうけどよ……」
「だろ? それだけだって!」
もし、先生との事で何か言われたら、「先輩後輩の関係」を言い訳にする。
あらかじめ考えておいた作戦だ。これなら、周りの奴らもそれほど文句は言えないはずだし。それに、いろんな場面で使えそうだし。
我ながら、いい作戦だ。
……なんて思っていたら、また聞き覚えのある声が。
「ちょっと想空! なんか聞いたんだけど、岩佐先生にラブレター渡したってマジ!?」
実夢、そんな大声で言うなって!
みんながこっち見てるだろ!
あぁ…… また最初から説明しないと……
「……なんだって。慧介くんどう思う?」
「ん…… 想空らしいっちゃ、らしい」
結局、実夢にもいろいろと言われてしまった。
岩佐先生と仲良くなるには、越えなければならないハードルが、予想以上にたくさんある。
そんな事を考えながら、部活に向かう放課後。
「あれ? 見て見て想空、どうしたんだろ?」
「なんか、ざわついてるな」
何やら、武道場の中が騒がしい。先輩方は、どこか怯えたような表情で、ただ事ではないことが俺にも分かった。
「あ、藤澤くん。実は、ちょっと大変な事になっちゃってさ」
そんな中、この人だけは自分のペースを崩さない。
笹本先輩が、穏やかな笑みを浮かべながら近づいてきた。どうしてこの人は、いつもこんなに落ち着いていられるのだろう。
「大変って、何かあったんですか?」
「それがね。明日、卒業した先輩が来ることになったんだけど、みんな怖がっちゃって」
「え…… 誰が来るんですか?」
先輩方が、そこまで恐れるOB。
とても厳しい人なのだろうか。
あるいは、とても気難しい人とか。
「赤井先輩。岩佐先輩が来てるって聞いて、じゃあ自分も顔出すって」
赤井先輩。
「赤」
それが何を意味するか、すぐに分かった。
にわかに、俺の心にも不安が渦巻き始める。
「赤鬼」が来る、ということだ……




