赤鬼・青鬼
「お久しぶりです、岩佐先輩」
「久しぶり! 今、笹本くんが主将なんだね」
岩佐先輩は、笹本先輩の2年上だそうだ。だから3年生の先輩方は、岩佐先輩と面識がある。
つまり、俺とは3歳差という事。
年の差としては、全然おかしくない。
……本当にさっきから、何を考えているんだ俺は。
練習が再開された。岩佐先輩も一緒に身体を動かしながら、時々後輩たちにアドバイスもしている。
教室でもそうだったけれど、先輩に見られているだけで、いつもより意気込んでしまう自分がいる。気になる人の前では、格好をつけたくなる。男なんて、そんなものだ。
それにしても、さっきまで「次期主将として頑張る」と思っていたはずなのに。気がつけば、動機がまた不純なものに変わってしまっている。
いいのだろうか? こんな事で。
その時。
ポン、と俺の両肩に誰かの手が触れた。
横目で確認すると、そこにいるのは岩佐先輩。俺のすぐ後ろ、息がかかりそうなほどの距離に、先輩の顔がある。しかも、ボディタッチまで。
先輩……?
心拍数が、一気に急上昇する。
……と思った、次の瞬間。
「もっと腰を、落として!」
先輩の両手が、俺の両肩をグッと下に押し下げた。危うくバランスを崩しそうになるのを、必死に堪える。
そのまま先輩は、何事も無かったように離れて行く。
後ろ姿を見送りながら、俺は一瞬でも不埒な考えを抱いた事を恥じていた。練習中だというのに、俺は一体何を期待していたのだろうか。
でも同時に、今まで抱いていた先輩のイメージとのギャップに、驚きもした。その細い腕からは、想像できない程の力強さ。いや、細く見えるだけで、本当はしっかり筋肉がついているのだろうか。
俺の驚きは、組手練習でも続いた。
女子選手たちの中で、岩佐先輩だけ明らかにレベルが違う。打ち込みの速さは群を抜いているし、それでいて常に安定している。動きにも無駄が無い。
その動きに、思わず見惚れてしまいそうだ。
さっきまでの浮わついた気持ちではなく、同じ空手の選手として、憧れにも近い気持ち。岩佐先輩を見る目が、明らかに変わってきている事に気づかされる。
「相手との間合いをしっかり意識して!」
「押忍! もう1回お願いします!」
実夢が、まるで相手にならない。負けず嫌いを剥き出しにして、何度も先輩に挑んで行くけれど、その度に跳ね返される。
実夢は、決して弱い選手じゃない。
入部時は初心者だったのに、凄まじい速さで強くなったし、俺よりずっと才能はあると思う。それでも先輩が相手だと、かなり大きな差を感じる。
今、はっきりと分かった。
岩佐先輩は、強い。
「想空! ボサッとすんな!」
慧介の声が、俺を現実に引っ張り戻した。
そうだ、他人に気を取られている場合じゃない。今は自分の練習をしっかりとやりきる事、それが大切だ。
次期主将として、恥ずかしくない姿を周りに見せられなければ、チームをまとめることなんて到底できない。俺は、改めて気合を入れなおした。
練習が終わると、岩佐先輩からは、すっかり強者のオーラが消え失せていた。女子部員と楽しそうに喋っている姿は、まるで教室での岩佐先生。
こんなにも変わるものなのか、と少し驚いてしまう。
「今日の練習、どうだった?」
笹本先輩が、また話しかけてきた。次期主将を打診されて以来、俺のことを気にかけてくれているような気がする。
「押忍、岩佐先輩、凄かったですね……」
今日の練習の感想を問われたら、やはりこれしかない。正直、あそこまで強い人だと思っていなかった。
「そりゃそうだよ。なにしろあの人は、うちの先輩方の中でもかなり『特別』だからね」
「『特別』ですか?」
岩佐先輩の強さを考えれば、「特別」と言われるのも当然かも知れない。笹本先輩が、笑みを浮かべながら続ける。
「ちょうど僕が1年だった頃に、うちの空手部が全国大会に進んだのは知ってる?」
「はい。……と言っても、詳しくは知らないんですが」
「その時の3年生に男子と女子で1人ずつ、めちゃくちゃ強い選手がいてさ。あんまり強いから、『赤鬼・青鬼』なんて呼ばれてたんだよ」
「赤鬼」と「青鬼」
「青」
「え、あの…… ひょっとして……」
俺はもう一度、岩佐先輩の方を見た。
先輩の笑顔は、とても眩しい。
さっきまで見せていた強さを、まるで感じさせないくらいに。
「そうだよ。そんな風には見えないよね」
岩佐先輩の名前は、「岩佐青晴」。
つまり、「青鬼」というのは……




