行かなきゃ
いつものように、授業が始まって。
退屈で、面倒で、気がつけば眠くなる……
……はずなのに、今日はそんな事が全く無い。
ずっと、後ろから見られているから。
教育実習は、まずは授業の見学から。
岩佐先生は教室の後ろに座り、時々メモを取りながら、熱心に授業を見ている。
先生が見ているんだ、俺も頑張らないと。
自分は優等生じゃないけれど、せめて、恥ずかしくない姿を見せたい、がっかりされたくない。
岩佐先生の表情は、真剣そのもの。
当たり前だ、先生は遊びに来たわけじゃない。
実習先のクラスに俺がいたら、かえって邪魔になったりしないだろうか? そんな考えが、ふと頭をよぎる。
教育実習中は、そちらに集中しなければならないし、変に気を遣わせるような事があっても、良くない気がする。
でも、そもそも岩佐先生は、俺の事など気にしていないかもしれない。自意識過剰になって、余計な心配をしているだけなのかもしれない。
そんな事ばかり、考えていたせいだろうか。
結局、俺の頭に授業の内容は、ほとんど入ってこなかった。
あぁ…… 何をやってるんだか……
授業が終わり、休憩時間。
教室の誰もが、岩佐先生に興味津々でありつつも、遠巻きに眺めている。
あちらこちらで、「お前行けよ!」といったやり取りがされているけれど、誰も動こうとしない。先生も、初めて来た教室で、どこか手持ち無沙汰な感じだ。
ここは、俺が行くべきなんじゃないか?
俺は一応、岩佐先生とは初対面ではないし、空手部の先輩後輩という繋がりもある。それに、誰かが一歩踏み出せば、一気に全てが動き出しそうな気がする。
でも、一度会った事があるというだけだし、特別仲良くなったわけでもない。俺は、先生にまた会えて嬉しかったけれど、先生がどう思っているのかは分からないし。
そんな考えを、俺は必死で打ち消した。
こんな風に再会できたのは、本当に奇跡だと思う。クラスの奴らだって、縁があって出会う事ができたわけだし。ならば、お互いに打ち解けて、楽しんだ方が良いに決まっている。
そうだ、俺が行かなきゃ!
勇気を出して、岩佐先生に向かって、歩を進める。
話題は、空手部の事で良いだろうか? それより、一言目は何と声をかけよう? 頭をフル回転させながら、気がついたら先生の目の前まで来ていて。
「あ、あの!」
必死に絞り出した声。先生が、少しだけびっくりしたような目になったのが分かった。一瞬たじろぎかけた俺は、自分の背中を必死で押す。
止まるな! このまま行け!
「今日は、空手部の練習にも来てくれるんですか?」
「うん、顔を出すつもり」
「じゃあ、楽しみにしてます。先輩が来てくれたら、みんな盛り上がりそうですし」
それは、本当に他愛もない会話だったかもしれない。
でも俺にとっては、まさに大勝負で。
先生が柔らかい表情に変わった時、勝負に勝ったと思った。
見えない壁を壊せた、そんな気がする。
「おい想空、何だよ『先輩』って?」
「先生、うちの空手部の先輩なんだわ」
「え、先生って空手やってたんすか!?」
それをきっかけに、クラスのみんなが一斉に、岩佐先生の周りに集まり始めた。
「本当ですか? 全然そう見えないです!」
「こんな美人に殴られるなんて、最高じゃん」
「アホか! 先生、こいつ本当に殴っちゃって下さい」
先生を中心に、会話の輪が広がっていく。
それはやがて、教室全体にまで広がって……
そうだ、こうしちゃいられない。
俺も、参加しないと。
「想空、お前は部活で先生に会えるんだろ?」
「え…… まぁ、そうだけど」
「じゃあ、今は遠慮しとけ」
「はぁ!? 何だよそれ!」
「あ、あと後輩だからって、抜け駆け厳禁な!」
気がつくと俺は、輪の外に押し出されてしまっていた。
「ま、いいじゃん。俺らは後でもさ」
慧介が、俺の肩にポンと手を置きながら言った。
確かに、その通りかもしれない。今はみんなとたくさん話して、早く馴染んでもらいたい。
俺は、その後で良い。
「でも、よく知ってたな?」
「ん? 何が?」
「先生が、空手部の先輩だって」
「え…… あぁ、ちょっとな……」
曖昧な返事で、ごまかした。
実は、土曜日に先生と出会っていて、それからずっと先生の事が気になっていて。そんな事は、さすがに、こいつにも話せるわけがない。
それ以上は、慧介は俺に、何も聞いてこなかった。
こいつは妙に鋭いところがあるから、そのうち、いろいろと勘付かれてしまうかもしれない。それとも、もう勘付いているからこそ、敢えて黙っているのだろうか? 少しだけ、ハラハラもして。
でも、今はそんな事は、どうでもいい事だ。
勇気を出して、話しかけて良かった。
岩佐先生の楽しそうな笑顔を見て、素直にそう思った。




