雨上がり
実夢と喋るのは、楽しい。
もし話題が無くなったら、少しだけ昔を思い出せばいい。くだらなくて、でも楽しい思い出がたくさんある。
「そういや、初めてペアで柔軟やった時も、びっくりしたわ。実夢、軟体動物かって」
「あのー、想空さん? あたし、ちゃんと人間ですけど?」
「でも、180度開脚して、そこから上半身倒して床に着けられる奴なんて、初めて見たし」
実夢は、蹴り技が得意だ。柔らかい身体を最大限に活かして、頭の高さにもどんどん蹴りを繰り出すことができる。
その才能を武器に、今では女子の主力選手だ。
「でも、空手未経験で入部したのに、凄いよな。めちゃくちゃ頑張ったって事じゃん」
「エヘヘ…… だってさ」
実夢が、少しだけ遠くを見るような目をした。
「約束、したじゃん」
「約束」
思い出した事がある。
たしか、実夢の初めての試合の後。
その頃の実夢は、まだ初心者。
でも試合の相手は、そんな事はお構いなし。
全力で、叩き潰しに来る。
実夢は、ボロボロに負けた。
ほとんど何もできないまま、一方的に打たれ続けた。
試合後、実夢は明らかに元気が無かった。
本気で向かってくる相手と対峙する恐怖は、おそらく経験しなければ分からない。それで空手が怖くなってしまう事だって、あるかもしれない。
「あのさ…… 永山さん、大丈夫?」
「藤澤くん……? え、なんで……?」
「なんか、元気無さそうだったし」
その頃の俺と実夢は、まだ今のように仲良くなってはいなかった。でも、勇気を出して声をかけた。放っておけない、そんな気がして。
「なんか、悔しいっていうかさ……」
まるで自分を守るように、両腕を抱えたままで。
実夢が、下を向きながら呟いた。
「もっとできるって思ってたんだ。でも全然、何もできなかったし」
「いいじゃん、別に。今は無理でも、ちょっとずつできるようになれば」
「でも、想像してた自分と違いすぎてさ。なんか、自惚れてたみたいで情けないよ……」
「……なんか分かる」
「空想」の中の理想の自分と、「現実」の自分との差を突きつけられた時の悔しさ、情けなさ。その時、実夢の気持ちが、自分の事のように分かる気がした。
だから、伝えたいと思った。
実夢だけじゃないから。
同じような気持ちの奴が、ここにもいるからって。
だからあの時、話す事ができたのかもしれない。
いつもなら、話さないような事まで。
「なんか格好いいじゃん。『空想』の逆さまで『想空』なんてさ」
「そっちだって、『実夢』って名前だから、『夢を実現する』って意味になるんじゃね?」
「本当だ。あたしたち、同じじゃん」
嬉しい気持ちになったのは、きっと実夢の表情が明るくなったから、だけじゃない。同志を見つける事ができたような、そんな気がしたんだ。
「俺も頑張るからさ。お互い、名前負けしないように」
「うん、あたしも負けないように頑張る! 約束!」
「約束な!」
それからしばらく、練習後の自主練が俺と実夢の日課になった。たまに、慧介も巻き込んだりして。3人でよくつるむようになったのは、この頃からだ。
お互いに下の名前で呼び合うようになったのも、この頃からだったっけ。
「忘れたとは言わせない」
実夢の正拳が、俺の胸を軽く叩いた。
いつの間にか、忘れかけていた「約束」。でも、実夢は覚えていた。ずっと頑張り続けて、ここまで来たんだ。「約束」を守る為に。
俺は、どうするべきなのだろう?
このままでいいのだろうか?
そうやって、自分に問いかけて。
そして、答えは出た。
「俺、決めたわ。代替わり組手。誰と戦うか」
「え? 笹本先輩じゃなくて?」
このままじゃ駄目だと、ずっと思っていた事。
今までは、口に出すのが怖かった。
「え、嘘!? 本気!?」
「当たり前だろ」
でも、覚悟を決めた。
「約束」を守る時は、きっと今だから。
「じゃあ…… あたしも決めた! 立候補する!」
「え、何に?」
「岩佐先輩の対戦相手! 全然勝てなかったしさ。あたしだってこのまま終われないし!」
「本気かよ!?」
「当たり前じゃん! あたしも負けてらんないしさ!」
実夢の声は明るくて、それでいて、力強くて。
俺の方こそ、負けていられない。
側にいるだけで、そんな気持ちにさせてくれる。
「あ、見て見て想空! 虹!」
「めっちゃ綺麗じゃん!」
気がつくと、目の前の空には七色の虹。
今まで悩んでいた事が嘘のように、今は自分の向かうべき場所がはっきり見えている。あの時と同じように、2人で同じ方向を向いて。
「そろそろ行くか」
「うん!」
いつの間にか、雨上がり。
水溜りを飛び越えて、俺と実夢は歩き出した。




