青鬼の気持ち
昨日は、本当に惜しい事をしてしまった。
一夜明けた今でも、まだ考えてしまう。
チャンスというものは、いつ巡ってくるのか分からない。だから、いつその時が来てもいいように、常に身構えているくらいでちょうど良いのだと思う。
「次」があるかなんて、誰にも分からないから。
「今日のホームルームでは、岩佐先生からみんなに向けて、スピーチをしてもらいます」
岩佐先生がこのクラスに来てから、気がつけば、もう5日経った。今日は金曜日。教育実習は2週間だから、半分近くが過ぎてしまった事になる。
時間が経つのは本当に早いと、改めて実感する。
「どんな素晴らしい話が聞けるか、楽しみにしていてください。岩佐先生、よろしくお願いしますね」
「はい。でもあの…… あまりハードル上げないでください……」
「ハハハ…… まぁ、いいじゃないですか。私も楽しみにしてますんで」
森村先生が、少し意地悪な笑みを浮かべながら、みんなの期待を煽っている。岩佐先生も、少し困り顔だ。
「想空は、どんな話だと思う?」
「実夢、また偵察?」
「だって、うちのクラスは話聞けないし、興味あるじゃん!」
ホームルームは時間割の最後なのに、もう実夢が探りを入れに来ている。
「先生の高校時代の話とか、聞けるのかな?」
「あ、それいいね想空!」
「いっそ、恋バナとか?」
「慧介くん! それ、めっちゃ聞きたい!」
いや、さすがにホームルームで恋バナは無いと思う。
ってか、マジでやめてくれ慧介。
そんなの、想像したくない……
時間はあっという間に過ぎていき、気がつけば6限目も終了。ホームルームが始まった。
岩佐先生が、少し緊張した様子で教壇に立つ。
この前は、まだ話す内容は決めていないと言っていた。個人的には、空手部時代の話は聞いてみたいと思う。でもそうなると、「青鬼」についても話す事になるのだろうか?
女の人が「青鬼」なんて呼ばれても、あまり嬉しくないだろうし、そんな話はしたくないだろうな。
「それでは岩佐先生、お願いします」
「はい」
みんなの目と耳が、一斉に岩佐先生に向けられる。緊張をほぐすように、先生が小さく深呼吸した。
「今日、皆さんに何を話すか、ずっと考えていたんですが、やはり、私の高校時代の話が良いかなと思いました」
期待のこもったどよめきが、教室に巻き起こる。
その話は、俺も聞きたい。
「私が空手部に所属していた事は、もう皆さんも知っていると思います。実はその当時、私は『青鬼』というニックネームで呼ばれていました。」
今度は、戸惑いの混ざったざわめき。
無理も無い。先生のような人が「鬼」と呼ばれていたなんて、にわかには信じ難い。
「別にそれ、言わなくても……」
俺の気持ちを代弁するように、後ろから慧介の呟く声。
「フフフ…… 怖そうなニックネームですよね。あ、私、そこまで怖くはなかったですよ」
でも、先生の笑顔は、まるで何も気にしていない様子だ。先生の中では、「青鬼」と呼ばれていた事も、今では「いい思い出」になっているのだろうか?
「本当は、このニックネームは、あまり好きではありませんでした。と言っても、『鬼』という言葉が嫌だった、というわけではありません。『強い選手』という意味でそう呼ばれているなら、それは私にとって、むしろ嬉しい事でしたし」
強さを称える意味での「鬼」
そういう受け止め方もあるのか。
でも、それならどうして、このニックネームがあまり好きではなかったのだろう。
「当時、空手部にはもう1人、『鬼』と呼ばれている人がいました。私の同級生で、主将だった人なんですが、『赤鬼』と呼ばれていた彼は、本当にすごい選手でした。あ、彼は赤井くんという名前で、だから『赤鬼』です」
赤井先輩の凄さは、俺も身に染みて知っている。あの人は「鬼」と呼ばれても、全く違和感がない。
昨日の恐怖が蘇ってくる。
同時に、あの時の悔しさや、情けなさも……
「その当時、『赤鬼』と『青鬼』とで、それぞれ男子と女子のまとめ役を期待されていました。私は、赤井くんのように凄い選手にならなければならないと思い、必死で練習しました。それまでの人生の中で、一番頑張ったかもしれません」
「でも、いくら頑張っても、彼のような選手にはなれませんでした。あの頃の私は、自分と彼とを事ある毎に比べては、劣等感のようなものを感じていました。『青鬼』というニックネームを、重荷に感じていたのかもしれません」
気がつけば、先生の話に聞き入っている自分がいた。
初めて聞いた「青鬼の気持ち」
そして、話を聞きながら、何となく感じていた事。
それが少しずつ、確信へと変わっていく。
似ている気がする。今の俺に。
岩佐先生は、何を伝えようとしてくれているのだろう。もしかしてそれは、俺にとっても大きな意味を持つのかもしれない。
そんな気がした。




