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第98話 撮影会(三日目)

WMO総本部、三日目の朝。

豪華なホテルの窓から差し込む朝日は、昨日D地区で見た「世界の広さ」――そして、あのスペイン支部の連中から向けられた冷淡な侮蔑を忘れさせるほどに穏やかだった。


昨夜、逃げるように戻ったホテルで、雅の鋭い追求をなんとかかわし(雅の笑顔は、半分以上察しているようだったが)、一行は早々に眠りについた。広々とした風香の部屋に、三人が固まって眠る。それは、異国の地で唯一見つけた、日本支部という名の安全圏だった。


カチリ、と洗面台の鏡の前で身だしなみを整え、刹那は自分の頬を強めに叩いた。


「(……よし。いつまでも昨日のスカした連中のこと引きずってらんねえ。あんな奴らに舐められたまま帰るわけにはいかねーからな)」


鏡の中の自分は、いつも通りの鋭い目つきを取り戻している。

自分が暗い顔をしていれば、繊細な風香はもっと沈み込み、ガキンチョ……『さいか』にまで不安が伝染する。特攻隊長として、それは一番やってはいけないことだ。


「よし、気合入れろ。……行くぞ」


リビングに戻ると、ベッドの上では二つの「塊」がまだ微睡まどろみの中にいた。


「おら! 寝坊助ども朝だぞ!! おめーら二人は今日、撮影があんだろうが!!! さっさと起きろ!」


刹那の声が静かな部屋に響き渡る。

真っ先に反応したのは、布団をミノムシのように巻き付けた風香だった。


「うへぇー……刹那ちゃん、あと五分……五分だけ夢の続きをぉ……」

「またか風香! 五分なんてねえ、さっさと起きろ! 今日は全世界にお前のツラを晒す大事な日なんだぞ!!」

「ひぇっ、その言い方、余計に起きる気が失せますぅ……地獄の処刑台スタジオが近づいてくるぅ……」


震えながら布団に潜ろうとする風香を、刹那は物理的に引っ張り出す。

そして次に、隣で丸まっている小さな背中を、今度は一転して優しく揺り動かした。


「おらガキンチョ、朝だぞ。……ほら、起きろ」

「うー……せつな。……おあよー……」


目をこすりながら起き上がる『さいか(幼女ver)』。

寝癖でツンツンと跳ねた銀髪、半分閉じた瞳、そして大きなあくび。そのあまりにも無防備な姿に、先ほどまで気合を入れていた刹那の毒気が、スッと抜けていく。


「……たく。お前は本当に呑気だな。……ほら、顔洗ってこい」


刹那は不器用ながらも『さいか』を抱き上げ、洗面所へと運んでいく。


雅の粋な計らいにより、一行はホテルの喧騒を離れ、街角のテラス席で朝食を摂ることになった日本支部一行。

テーブルに並ぶのは、厚切りのフレンチトーストに、彩り豊かなサラダ。そして香ばしいコーヒーとミルク。魔法と科学が融合した街の朝は、驚くほど静かで穏やかだった。


「今日は忙しくなりそうやさかい、朝くらいはのんびりしよなぁ。……風香はん、そんなに暗い顔してたら、せっかくのトーストが冷めてしまいますえ?」

「うぅ……そうですね。わかってるんですけど、今から気が重いですぅ。胃のあたりが、ずっと鉛が入ってるみたいで……」


風香はフォークを持ったまま、死地に赴く兵士のような顔でサラダをつついている。一方、刹那はフレンチトーストを豪快に口に運びながら、努めて明るい声を出した。


「まあ、なるようになんだろ。最悪、あのおばさんが変な衣装着せようとしたら、俺が力ずくで止めてやる。それに、今回はガキンチョも一緒だしな。一人よりはマシだろ?」

「ふーか、いっしょにしゃしん、たのしみだねー? キラキラのドレス、着れるかなぁ?」

「……うぅ。さいか様、あんなに写真撮られるの嫌がってたのに。……なぜ、あんなにあっさりと裏切りを……! あの時の固い決意はどこへ行ったんですかぁ……!」


風香の恨めしそうな視線。総本部に来るまでは、あんなに「目立ちたくない」と拒絶を見せていた幼女が、今や「お菓子」という名の賄賂によって、ノリノリでモデルを引き受けているのだ。


「まあまあ、風香はん。どうせ撮られるんやったら、一人より二人の方が心強いやろ? ……それと、午後は研究局長のアナスタシアはんのラボや。それが終わったら、今日はもうお終いやさかい」

「……ラボ、ですかぁ。研究局長さん、なんだか『解剖しちゃいたい』みたいな目をしてましたよねぇ……」

「ま、あのおばさんのラボは俺も付き添う。何かあったら即座にガキンチョとお前を担いで逃げるから、安心しろ」


刹那の力強い(?)言葉に、風香は少しだけ……本当に少しだけ、顔色を戻した。


「――さて。それじゃあ、そろそろ行きまひょか。イザベラはん、今頃スタジオで鼻血出しながら待機してはる頃合いやわ」

「おかし! いっぱい食べるー!!」


ヴァニラに案内され、一行が足を踏み入れたのは広報局直轄の『第一特別撮影スタジオ』。

ここは毎月、世界中の魔法少女が憧れる公式広報誌の表紙が撮影される、いわば「聖域」だ。壁に飾られた歴代の伝説的魔法少女たちのポートレートからは、並大抵ではないオーラが放たれている。

おずおずと重厚な扉を開けた瞬間、その静寂は爆発的な熱気に塗り替えられた。


「待ってたわよぉぉぉぉ!! さあ、こっちへ!!」


ハイヒールの音を銃声のように響かせ、広報局長イザベラが弾丸のような速度で突っ込んでくる。その凄まじい眼圧と覇気に押され、風香と『さいか』は反論の間もなく、あれよあれよという間にスタジオの中央へと連行されてしまった。


「ふぇぇ……目が、目が回りそうですぅ……」

「おっかし! おねえさん、おっかしー!!」

「わかってるわよ、最高級のを用意してあるわ! でもその前に、世界を黙らせる『最高の素材』を仕上げさせなさいッ!!」


スタジオに足を踏み入れた瞬間、待機していた十数名のスタッフが一斉に動き出した。

風香と『さいか』を囲むように配置されたのは、世界最高峰のメイクアップアーティストたち。彼女たちは二人の顔を数秒見つめ、火花が散るような速度で合議を済ませる。


「素材が良すぎるわ。……過剰な装飾は不要。コンセプトは『ナチュラル』。透明感を極限まで引き出して!」

「了解。ベースは魔法銀粉を極薄で。さいか様はチークを乗せるだけで十分ね」


言葉が終わる前にブラシが舞い、パフが踊る。

風香は完全に借りてきた猫状態で固まり、『さいか』は口にお菓子を放り込まれながらも、手際よく顔を整えられていく。

メイクが完了したかと思えば、次は衣装だ。用意されていたのは、純白のレースと淡い水色のシルクを贅沢にあしらった、「空を駆ける双子」をイメージした特注のドレス。

そして、着替えが終わるや否や、三人のプロカメラマンが三方向からレンズを向けた。


「いいよ! 風香ちゃん、そのまま少し伏せ目で……そう、美しい!!」

「さいかちゃん、こっち向いて笑えるかな!? 天使だ、天使が降臨したぞッ!!」


バシャバシャバシャバシャッ!!


絶え間なく焚かれるストロボの閃光。

外側から見ていた雅と刹那は、その一分の無駄もない、軍隊のような完璧な連携に呆気に取られていた。


フラッシュの残像が舞うスタジオ内。三人のカメラマンは、ファインダー越しに映し出される『さいか』と風香の「神がかった素材」に狂喜乱舞していた。


「最高だ……! 奇跡だよイザベラ局長! 修正の必要すら感じない。これはWMOの歴史を塗り替える一冊になりますよ!」


スタッフたちの絶賛を耳にしながらも、広報局長イザベラは、腕を組んでモニターを凝視したまま動かなかった。その鋭い審美眼は、完成された「美」の奥に、わずかな物足りなさを嗅ぎ取っていた。


「……確かに最高。非の打ち所がないわ。でも、何かが足りない。……『聖女』と『天使』、これだけじゃ画面が綺麗にまとまりすぎているのよ。もっとこう……エッジが必要なの……!」


イザベラが獲物を探す猛禽のように視線を走らせたその時。

スタジオの隅で、退屈そうに大きな欠伸あくびをしていた刹那が、彼女の視界に飛び込んできた。

鋭い眼光、整った目鼻立ち、そして何より全身から漂う「不敵な野生」。


その瞬間、イザベラの脳内に閃光が走った。


「――これだわッ!!」

「え?」


突然指を差された刹那が固まる。だが、その返事を待つようなイザベラではない。


「スタッフ! あの子を捕まえなさい! 今すぐよ!!」

「なっ、おい! 何すんだてめぇら! 離せっ!」


怒涛の勢いで押し寄せたメイクチームにより、刹那は抵抗虚しく、まるで獲物を運ぶ蟻の群れのように更衣室へと連行されていった。


更衣室からは、刹那の「ふざけんな!」「このヒラヒラしたもんは何だ!」という怒号が響いていたが、それも数分で静まった。

そしてプロの技術は残酷なまでに正確だった。


「見て……なんて素晴らしい骨格……」

「この鋭い視線を殺さずに、凛とした『騎士』に仕立てましょう……!」


次に更衣室の幕が開いた時、そこに立っていたのは、いつもの「特攻服の少女」ではなかった。

黒を基調とした軍服風のドレスに、真っ赤なマントを羽織った、孤高の女騎士。乱暴に結び直されたポニーテールと、メイクによって強調された涼やかな目元が、見る者の息を止めるような美しさを放っていた。

顔を真っ赤にする刹那。だが、その「怒り」すらも、イザベラの目には最高のスパイスとして映っていた。


「完璧……! さあ、二人の中央に立ちなさいッ!!」


純白の風香(聖女)、可憐なさいか(天使)、そして漆黒の刹那(騎士)。

三人がカメラの前に並んだ瞬間、スタジオにいた全員が感嘆の声を上げた。


互いを守るように寄り添う「光」と、それを背後から守護する「影」。

絶望的なまでにバランスが取れたその光景は、もはや広報誌の表紙を超え、一枚の宗教画のような完成度に達していた。


バシャバシャバシャバシャッ!!


「これよ! これなのよおおお!! 過去最高、いいえ、世界最高の一枚が撮れたわあああ!!」


イザベラが絶叫し、雅は扇子で顔を覆いながら「……うちの支部、これからどないなってしまうんやろ……」と、遠い空を見上げていた。


――撮影の合間、イザベラが次のセットの指示を出した一瞬の隙を、刹那は見逃さなかった。重い軍服風のスカートを翻し、音もなく出口へと向かって全力疾走を開始する。


「(悪いな二人とも! 俺の尊厳はここで限界だ、あとは任せ――)」


だが、その背後に伸びる影は、プロのカメラマンの執念よりも深く、あるいは重かった。


「……ふふふ。……刹那ちゃん? 一人だけ、そんなに綺麗な姿で『逃げられる』なんて思わないでくださいね……?」

「なっ……!?」


ガシィィィッ! と、鉄の万力のような力で背後から抱きつかれた。

振り返れば、そこには純白のドレスに身を包み、しかしハイライトの完全に消えた『死んだ魚の目』をした風香が、底冷えするような笑みを浮かべて刹那を拘束していた。


「風香てめー、裏切ったな!! ……っていうか、なんて力だよ……!? 振りほどけねぇ……!!」

「地獄の底まで一緒ですぅ……。私だけが生贄になるなんて、そんな不条理、許されるはずがありませんからぁ……」


羞恥の限界を超え、一種の悟り(あるいは闇堕ち)を開いた風香の握力は、魔法的な補正すら疑わせるほどに強固だった。


「わーい! せつなもいっしょにおしゃしん! たのしいねー!」

「楽しくねえ!! ガキンチョ、足に纏わりつくんじゃねえ、離せっ!!」


追い打ちをかけるように、膝裏にタックルをかましてきた『さいか』。

逃走経路を完全に遮断された刹那は、奈落の亡者に羽交い締めにされたまま、再び眩いフラッシュの海へと引きずり戻されていった。


スタジオの喧騒から少し離れた特等席。

そこでは雅が、案内のヴァニラと共に、持ち込みの茶器で優雅にティータイムを決め込んでいた。


「あらあら。風香はんも、あんなに必死になって……。若いって、ほんまに眩しいどすなぁ」

「ええ。日本支部の皆さまは、本当に仲が良いのですね。……微笑ましいです」


雅は扇子をパタパタと仰ぎ、モニターに映し出される「嫌がる騎士を無理やり笑顔にさせようとする聖女と天使」という世紀の傑作カットを見て、満足げに目を細めた。


「せやねぇ。……ふふ、あんなにええ表情、うちのカメラじゃ撮れへんわ。……ヴァニラはん、このお茶菓子、美味しいどすな?」

「お口に合って光栄です。……さて、イザベラ局長が『次は密着ショットよ!』と叫んでいますね。……お三方、まだ終わらせてもらえそうにありませんよ」

「……はは、堪忍なぁ。……頑張りなはれ、三人とも」


イザベラの指示は、もはや当初の「ナチュラル」をどこかへ置き去りにし、前衛的な芸術の域へと突入していた。


「いいわよ! 凄くいいわ! その『絶望と抵抗』の表情! 現代社会に抗う魔法少女の苦悩が表現されてるわッ!!」


結局、刹那はその後一時間以上にわたり、風香の執念の拘束から逃れられず、全身全霊の「恥ずかしいポーズ」をフィルムに焼き付けられることとなった。


「……うう。……もう、嫁に行けねえ……」

「……ふふ、ふふふ。……刹那ちゃん、お揃いですね……」


スタジオの床に真っ白な灰となって転がる二人。

その傍らで、唯一元気な『さいか』だけが、約束の「特大ショートケーキ」を前に目を輝かせていた。


「最高だったわ! 次の広報誌は歴史に残る一冊になるから、期待してなさいッ!!」


イザベラ局長のそんな熱烈な(ある種の宣戦布告に近い)激励と共に、ようやく解放された三人。

一行は次なる目的地、研究局のラボに向かう前の腹ごしらえとして、ヴァニラおすすめのパスタ店へと流れ込んだ。

店内は総本部の喧騒を忘れさせる落ち着いた雰囲気だったが、テーブルを囲む日本支部の空気は、まるでお通夜のようだった。


「…………(放心)」

「…………(白目)」


刹那と風香は、魂の抜け殻となって椅子に沈み込んでいる。数時間にも及ぶ「羞恥の光の洗礼」は、アンヴァーとの戦闘よりも確実に彼女たちの精神を削り取っていた。

対照的に、山のようなお菓子を貰ってホクホク顔の『さいか』だったが……。


「はい、お疲れさん三人とも。ほな、お昼休憩にしよか。……あ、さいかはん。お菓子は食べすぎたらパスタ入らへんさかい、没収や」

「がーん!!」


雅の無慈悲な宣告と共に、唯一の生きる糧(糖分)を奪われた『さいか』もまた、ショックで口をぽかんと開けたままフリーズした。

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