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第94話 楽にしてくれ(楽にしろとは言ってない)(二日目)

ミネルヴァ・アイリーンが手元のホログラム資料を指先で弾いた。

室内の空気が一瞬で、事務的な、しかし一文字のミスも許されない「記録の場」へと変貌する。


「では、本件の経緯について、総本部が把握している公式記録との照合を行います。発言はすべて記録されます」


ミネルヴァの氷のような声が、静寂に包まれた面談室に響き渡る。


「――事件当日。日本支部はまず、管轄の第七地区にて『偵察型アンヴァーの討伐作戦』を完了。当該作戦の終了後、予てより計画されていた『大規模避難訓練』への移行を準備中でした。……そして、訓練実施の最中、当本部より当該A級個体の出現予測通知を受信。これを受け、日本支部は予定されていた訓練を継続、並びに実戦警戒へと切り替え、住民避難を完遂。その後、現地にいた貴殿ら三名の戦力により対象個体を迎撃、討伐。結果、都市被害および人的被害は最小限に抑制された……」


淡々と読み上げられる「事実」。

それは雅たちが日本で練り上げ、幾重にも塗り固めた「完璧な時系列」だ。ミネルヴァは一度言葉を切り、眼鏡の奥の鋭い瞳を雅へと向けた。


「以上の経緯について、現場の責任者として相違ありませんか? 日本支部、雅殿」


室内の全視線が雅に集中する。その重圧は、物理的な質量を伴って彼女の肩にのしかかったはずだ。

しかし、雅は扇子を膝の上で静かに整えると、たおやかな笑みを浮かべ、淀みのない京都弁で答えた。


「はい。何ら相違あらへん。……当日は、本部の迅速な連絡と、偶然重なった避難訓練のおかげで、どないか最悪の事態を免れることができました。……ほんま、運が良うございました」

「……左様ですか」


雅の返答に、情報局長マシューが微かに眉を動かす。

「運が良かった」という言葉の裏にある、あまりに出来過ぎた偶然。それを疑うのが彼の仕事だが、公式に提示された時系列に、現時点で論理的な破綻はない。


情報局長マシュー・グラントンが、手元の端末に映し出された日本の提出資料を指先でスライドさせた。その無機質な動作すら、何か致命的な証拠を探し出そうとする猛禽類の爪のように見える。


「――よろしい。では、事実関係の細部について確認させてもらいたい」


マシューは眼鏡の奥の鋭い瞳を、はんなりと微笑む雅へと向けた。


「討伐作戦と大規模避難訓練……この二つが重なったのは、あまりに『タイミングが良すぎる』。これらは本当に以前から予定されていたものか? その根拠を示したまえ」

「ええ。もちろん予定通りでございます」


雅は少しも動じず、流れるような京都弁で答える。


「大規模な避難訓練ともなれば、魔法科の人員も多く必要とします。同じく人員を割かなあかん討伐作戦と日程を合わせることで、費用と人員のスケジュールの確保がしやすくなると考えたんやわ。無駄を省くのは、予算の限られた地方支部の知恵、言いますか……」

「……その判断は、誰が下した?」

「日本支部長、水鏡みかがみ 柊です」


その名が出た瞬間、円卓の局長たちの間に微かなさざ波が走った。

水鏡柊。二十八歳という若さで日本支部を束ねる、かつて「神童」と謳われた元魔法少女。現在は前線を退いた「魔女」であり、雅とは幼馴染でもある、日本が誇る若き天才だ。


「では、本部の警報を受けてなお、『避難訓練を装って』住民避難を継続させた……その独断による隠蔽紛いの指示も、その水鏡支部長によるものか?」

「左様です。現場のパニックを避け、最短で避難を完遂させるための、支部長の英断でございました」

「ふむ……」


マシューは短く唸り、再び思考の海へと沈んだ。

すべてが「水鏡柊」という天才一人の采配として完結している。彼女が「効率化のために訓練を組んだ」と言えば、外部からそれを否定する証拠を見つけるのは至難の業だ。


情報局長マシューは、ペン先で机を軽く叩きながら、さらに踏み込んだ問いを重ねた。その瞳は、雅の「偶然」という言葉の裏にある、再現可能な「システム」を暴き出そうと爛々と輝いている。


「――今回の避難は、結果的に極めて速やかに行われ、都市被害も最小限に抑えられた。この戦果は無視できない。……雅殿、日本支部としては、今後同様の事態が起こった際、今回と同じ対応をとる必要性を感じるか? また、他国で同様のケースが発生した場合を想定し、この対応をマニュアル化すべきだと考えるか?」


これは巧妙な罠だ。もし「マニュアル化できる」と答えれば、それは事前の「予知」や「確信」があったことを示唆する。逆に「できない」と言い切れば、今回の功績を完全に『運』という不確実なものに押し込めることになる。

雅は少しだけ目を細め、はんなりと、しかし拒絶の色を隠さずに答えた。


「……今回のケースは、ほんまに『偶然に偶然が重なった』奇跡のようなもんでございます。再現性を問われましても、正直難しいと言わざるを得ませんわぁ。……ただ、もし万が一、また同じような事があれば、支部長の判断で同様の対応をとることにはなると思います。……もっとも、他国の方々まで同じようにできるかは、別のお話やないでしょうか?」

「……何が違うと言うんだ?」

「お国柄、言いますか……。日本人は比較的真面目に、民間の方々も日頃の訓練に協力的に参加してくれはります。そんな下地があるからこそ、あの土壇場で混乱が起きんかったんやわ。……他国の自由奔放な市民の方々相手に、同じことが通用するとは思えへんのです。マニュアル化したところで、絵に描いた餅になりはしませんやろか?」


「日本人の国民性」という、誰も反論しにくいカードを切ることで、雅は総本部の介入をぴしゃりと撥ね退けた。マシューは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、これ以上この点について追及するのは無意味だと悟ったのか、「ふむ……」と短く唸って引き下がった。


情報局長マシューが、鋭い審問官の目を現場の魔法少女たちに向けた。


「現場の魔法少女として、雅代表の発言に相違はないか?」

「うっす! まったくその通りっす! 」

「は、はいぃっ! まさにおっしゃる通りです! 」


刹那と風香の即答に、マシューは「そうか」とだけ返し、手元の資料にチェックを走らせる。

これで時系列への追及は終わった――そう誰もが安堵しかけたその時。

重厚な椅子に深く身を預けていた事務総長、ガブリエル・ハミルトンの氷の瞳が、ついに『さいか』を逃さぬように捉えた。


「――そこの、さいかという魔法少女も、同意見かね?」


その瞬間、室内の空気が凝固した。


ハミルトンの問いは、単なる確認ではない。もし、この幼女が「はい」と理路整然と答えれば、それは「複雑な時系列(嘘の盤面)」を子供が完全に理解して肯定したことを意味する。それは即ち、大人たちによる事前の口裏合わせがあったことの、何よりの証拠ボロになるのだ。


「ん? わたし?」

「ああ、そうだ。そこの女性(雅)の話を、君も聞いていただろう? 日本支部が偶然を味方につけたという話を」


ハミルトンの低い声が、執務室の静寂に重く響く。

刹那は叫び出したい衝動を必死に抑え、膝の上の拳を白くなるほど握りしめて祈っていた。


(た、たのむ……! 余計なことは言うな! 頼むから「はい」って言うんだ!!)


数秒にも、あるいは数時間にも感じられる、胃の焼けるような沈黙。

世界最高の知性と、宇宙(第六感)へ精神を飛ばした番長の抜け殻が、机を挟んで対峙する。


「んー……わかんないっ!」


首をこてんと傾げ、一点の曇りもない笑顔で言い放った。

その声には、政治的な意図も、隠蔽の影も、一ミリの嘘も混じっていない。ただ純粋に「大人の難しい話なんて興味ない」という、幼女としての圧倒的な真実だけがそこにあった。


「…………そうか。無理もないな」


ハミルトンはわずかに目を細め、静かに視線を資料へと戻した。

「わからない」。これこそが、この場における唯一にして最強の、そして日本支部が用意した完璧な「正解」だった。


「ふぅ……っ」

「はふぅ……」


刹那と風香が、同時に肺の中の空気をすべて吐き出すように安堵の溜息を漏らす。

雅だけは、最初からこの結末が分かっていたかのように、優雅に扇子で口元を隠し、「ふふふ」と満足げに目を細めていた。


「経緯については、概ね納得した」


情報局長マシューが、これ以上は何も出ないと判断し、話を終える。

ミネルヴァが冷徹な手際で進行を促し、情報局長マシューから、今度は筋骨隆々の巨躯を制服に包んだ作戦局長クラウスへと移った。


「情報局長からは、以上になります。続いて作戦局長のクラウスより質疑を行います」

「……クラウスだ」


その声は低く、地鳴りのように室内に響いた。前線で数多の死線を潜り抜けてきた武人特有の圧が、円卓を越えて日本支部の一行へと押し寄せる。彼は鋭い眼光を崩さず、三人の魔法少女――特に、場違いなほど小さな『さいか』を射抜くように見つめた。


「今回のA級個体の討伐に当たり、避難が完了していたとはいえ、都市インフラの被害があまりに少ないことに興味がある。……公式な記録によれば、対応したのはそこにいる三名の魔法少女で間違いないか?」

「はい。間違いおへん」


雅が淀みなく答える。クラウスはさらに踏み込んだ。


「被害を最小限に抑え込み、コアの破壊に至った最大の要因は何だと考えている。現場の判断として聞きたい」

「……それは、この子――さいかはんの『空間遮断』によるものかと」


雅が慈しむような視線を隣に向けると、クラウスの眉がピクリと跳ねた。


「ふむ……例の隔絶魔法か。A級の攻撃を内側に閉じ込め、周囲への余波を完全に遮断したという報告は受けているが……」


クラウスの厳格な視線が、改めて『さいか』へと集中する。その瞬間、あまりの武人的な気迫に身の危険を本能的に察知したのか、『さいか』は「うぅ……」と小さく声を漏らし、逃げるように隣に座る刹那の腕にぴとっとしがみついた。


「…………っ!」


巨躯の局長に睨まれ、怯える小動物のように自分に助けを求めてくる幼女。

あまりに無垢なその反応に、百戦錬磨のクラウスもさすがに「……あ、いや。別に怒っているわけではないのだが」と、わずかに毒気を抜かれたようにたじろいだ。雅はそんな様子を「ふふふ」と苦笑しながら見守っている。


一方、しがみつかれた刹那は、心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じていた。


(……そうだ。俺が、この子を連れてきたんだ)


日本を発つ前、魔境とも言える総本部にこの小さな少女を同行させる際、刹那は『さいか』に真っ直ぐ向き合って宣言したのだ。

『何があっても、俺が絶対に守ってやる。だから一緒に来てくれ』――と。

中身が親友(才牙)であることなど、露ほども知らない。彼女にとって目の前にいるのは、圧倒的な力を持っていながらも、「守るべき子供」なのだ。

刹那は不敵な笑みを浮かべ、守るように『さいか』の肩を抱き寄せた。その瞳には、総本部の幹部を相手にしても揺るがない。


目の前で「ぴとっ」と年上の魔法少女にしがみつき、不安そうにこちらを伺う幼女。

百戦錬磨の作戦局長クラウス・リヒターにとって、魔法少女は「共に戦う戦友」か「管理すべき戦力」のどちらかだった。しかし、この『さいか』という少女はあまりに幼すぎた。戦士としての眼光を向けることすら、公園で迷子を泣かせているような罪悪感を抱かせる。


「……こほん」


クラウスは居心地が悪そうに一つ咳払いをし、強引に意識を戦術論へと切り替えた。隔絶魔法(空間遮断)の詳細については、隣で目を輝かせている研究局長のアナスタシアに任せればいい。戦士である彼が確認すべきは、その「運用」だ。


「……戦闘の割り振りについて確認したい。報告書によれば、外部から二人の魔法少女(刹那と風香)が攻め、内部からコアを破壊するために、一人を『中』へ送り込んだ……。その一人が、そこの『さいか』君であると。……これは本当か? 疑うわけではないが、戦術の常識からすれば、にわかには信じがたくてな」


クラウスの言葉には、至極真っ当な「武人の疑念」が籠もっていた。

通常、A級アンヴァーの内部は高密度の魔力が渦巻く死地だ。そこへ、最年少の少女を一人で送り込むなど、正気の沙汰ではない。日本支部が実績を捏造するために、手柄を幼女に割り振ったのではないか――そう疑うのが普通だろう。


「…………」


嘘をついていない時ほど、人間は逆に気まずくなるものだ。

雅は、内心で(そら、そう思わはりますわなぁ……)と溜息をついた。実際にその「常識外れ」を目の当たりにした自分ですら、未だに夢を見ているような気分なのだから。


「……間違い、あらへん。それが、あの場での最適解やったんですわ」


雅の返答は淀みなかったが、クラウスの眉間の皺はさらに深まった。

作戦局長クラウスの眼光は、鋭さを増す。一人の少女を死地へ追いやる作戦が、単なる「現場の思いつき」であってはならない。彼は戦術家として、その「正当性」の根拠を求めた。


「――その作戦の妥当性と、最終的な決定者を答えろ。たとえ結果が良くとも、一歩間違えれば戦力損失は免れなかったはずだ」


その問いを待っていたかのように、雅は、涼やかな顔で爆弾を投下した。


「こんな可愛らしい見た目ですけど、さいかくんは過去に『単独』でA級アンヴァー八岐大蛇ヤマタノオロチを討伐した実績がおますんやわ」


その一言で、面談室の空気が凍りついた。

ソロでA級を討伐。それは、世界でも数えるほどしかいない「英雄」の領域だ。


「……本当か? ミネルヴァ」


クラウスが横に控える補佐官に確認すると、ミネルヴァは表情一つ変えずに手元の資料をめくった。


「はい。総本部のデータベースにも、過去に日本支部からそのような事後報告が上がっています。……ただし、当時の『さいか』氏は所属を持たないノーマッド(非公認魔法少女)であったため、詳細な戦闘データの記録は残されておりません。後に日本支部に保護され、正式な魔法少女として認定された、という経緯です」

「ふむ……。いったん保留だ。雅代表、続きを」


クラウスは唸るように言い、思考を整理した。ノーマッド――。法を無視して戦場を渡り歩く、実力のみが証明の無法者。雅はさらに畳み掛ける。


「はい。そのような圧倒的な実績があったさかい、今回はさいかはんのサポートとして、実力者である刹那はんと風香はんを選定。コアの破壊という最も危険な役割は、実績のある、さいかはんに任せる。……これはすべて、日本支部長、水鏡柊の判断にございます」

「…………」


クラウスは言葉を失い、改めて『さいか』を見た。

そこには、先ほど自分が威圧したせいで怖がってしまったのか、隣に座る魔法少女――刹那に、「よしよし」と頭を撫でられながら、その懐に顔を埋めている小さな幼女の姿がある。


(……あれが、A級ソロ討伐の怪物? 俄かには信じられん。……だが、記録上はこの三名しか現場にいなかった事実は動かん。)


作戦局長クラウスは、戦術家としての本能から、最も懸念すべき「数値」へと踏み込んだ。一国の軍事力にも匹敵しかねないその異能の、底を見極めるために。


「『空間遮断』について、いくつか聞きたい。――展開規模、維持時間、そして負荷限界だ。あれは一定の魔力を『無効化』するのか、それとも一定の魔力まで『耐える』のか。そこをはっきりさせてもらいたい」


その問いに、これまで余裕を崩さなかった雅の顔色がわずかに変わった。

嘘を吐くためではない。単純に、彼女たち日本支部にとっても、その数値は「未知」だからだ。


「……範囲については、半径一キロまでは確認しております。ただ、それ以外については……ええっと、さいかはん。実際、どんな感じやろか?」


雅が縋るような視線を『さいか』に向ける。

聞かれた『さいか』は、小さな指を顎に当てて「うーん」としばらく考え込み、そして満面の笑みで答えた。


「うーん……いっぱい!!」

「……それは、時間のことやろか? それとも、壊れにくさのことやろか?」

「どっちもー! いーっぱいだよ!」

「あはは……だそうですわぁ、クラウス局長」


雅は力なく笑い、扇子で顔を仰いだ。クラウスの眉間の皺が、これ以上ないほどに深く刻まれる。彼は厳しい視線で雅を射抜いた。


「作戦立案担当としては、自軍の最大戦力のスペックを把握しておくのは義務ではないのか? 冗談では済まされんぞ」

「……返す言葉もございません(うちかて何回も聞いてるんやけど、本人に聞いても『いっぱい』とか『すごい』とかしか言わへんのやもん……)」


雅は内心で涙を流しながら、必死に「無能な管理者」を演じ(半分は事実だが)、追及をかわした。

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