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第90話 宇宙と賢者と幼女(1日目終了)

辰巳才牙という「男」の精神は、いまや大気圏を突破し、遥か銀河の彼方――無の深淵へと到達していた。


今回の事態において、俺(才牙)に非があるかと言われれば、胸を張って「否」と答えよう。幼女化していることを黙っているのは、バレたら即座に社会的・精神的な死を迎えるという切実な生存戦略だ。

異国の地に連れてこられたのも、女子と同室なのも、すべては懇願された結果であり、部屋の割り当てに至っては完全なる不可抗力。


だが、不可抗力だからといって、この状況を「ラッキー」などと鼻の下を伸ばして享受して良いものか?


――断じて、否だ。


鼻腔をくすぐる甘い石鹸の香り、湯気に濡れた女子の柔らかな肌、そして「女の子同士」という免罪符に守られた無防備な空間。これら全てを「仕方ない」と受け止めてしまった瞬間、辰巳才牙という男の矜持は霧散し、ただの「救いようのない変態」へと成り下がる。


ゆえに、俺は『俺自身の隔離』を選んだ。


五感から流れ込む全ての背徳的な情報を遮断し、才牙としての自意識を第六感の彼方へ放逐する。後に残されたのは、身体の年齢と仮初めの本能に従うだけの、完全なる「幼女さいか」の抜け殻だ。


――ホテルの各施設を探索した結果、「風香の部屋の風呂が一番広くて落ち着く」という結論に至った三人は、現在、最高貴賓室の巨大なジャグジー付きバスルームにいた。

風香が広々とした浴槽で「ふぇぇ……極楽です……。」と蕩けた顔で浸かる中、洗い場では刹那が、『さいか』の髪を丁寧に洗っている。


「ガキンチョ、痒い所とかねーか? ……っていうか、こいつの髪、信じらんねえくらいサラサラだな。触ってるだけで指が滑るっつーか、なんか……不思議と落ち着く」


刹那は無意識に、いつもより優しい手つきでたっぷりと泡立てたシャンプーを馴染ませていく。

一方、才牙としての意識を宇宙へ飛ばした抜け殻の『さいか』は、完全に身体の年齢に引っ張られた「幼女モード」で声を上げた。


「んっ、くすぐったい! めにはいるー! 」

「ちょっとは我慢しろ。ガキみたいに暴れんな、今流すからよ。ほら、手で目を隠せ」

「だって、しみるんだもん! せつな、へたっぴ! 」

「あんだとぉ? ……くそ、生意気な。ほら、顔上げろ。お湯かけるぞ、いいか?」


ザァァ……とシャワーの温かいお湯が流れるたび、さいかは「きゃっきゃ」と弾んだ声を上げて身をよじる。

その無防備で無邪気な振る舞いは、どこからどう見ても、歳の離れた姉に甘え、反抗しながらも懐いている生意気な妹そのものだった。


結局、風香の「寂しくて死んじゃいますぅ!」という必死の号泣と、それに絆された刹那、「いいよ、いっしょににねよ!」という『さいか』の賛成により、三人は風香の最高級貴賓室で夜を明かすことになった。


部屋の真ん中に鎮座する、巨大なキングサイズのベッド。そこに、中央のさいかを挟む形で、三人は川の字になって潜り込んでいる。


「…………むにゃ」


左側では、風香が「極楽ですぅ……」と寝言を言いながら、だらしなく涎を垂らして爆睡している。そして中央では、宇宙(第六感)から帰還せず、身体の幼女本能に身を任せた『さいか』が、規則正しい寝息を立ててスヤスヤと眠っていた。


そんな二人の寝顔を、右側に横たわる刹那は優しく見守っていた。彼女の指が、さいかの柔らかな髪をそっと撫でる。


「最初は放心状態でどうなるかと思ったが……。途中からはガキンチョらしく楽しんでたみたいだな」


刹那は、風呂場で「きゃっきゃ」と騒いでいた幼女の姿を思い出し、安心したように口角を上げた。

まさかその中身が、精神を宇宙へ放逐して現実逃避していたなどとは、夢にも思っていないだろう。


ふと、枕元に置いたスマホが短く震えた。刹那が画面を覗き込むと、そこには日本の『才牙』から一通のメッセージが届いていた。


件名:最強の布陣

本文:こっちは大量のポテトチップスと二リットルのコーラを用意して、今からメットフリックスで海外映画一気見だ。羨ましいだろ?

(テレビ画面とジャンクフードの写メ付き)


「けけけ……。寂しい奴め。帰ったら、たっぷりかまってやるか」


刹那は、一人寂しく(?)ジャンクフードを貪る相棒の姿を想像し、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。実際はクソキノコ(チーポ)が十万ポイントのために必死で打っている「才牙らしい」メッセージなのだが、今の刹那にはそれが何よりの日常の証に見えた。


スマホを閉じ、再び静寂が戻った室内。刹那は改めて、隣で眠る『さいか』の無防備な寝顔をじっと見つめた。

明日からは、WMO総本部のお偉いさんたちとの面会や、どす黒い政治の場が待っている。この小さな少女を利用しようとする者たちが、虎視眈々と牙を剥いている魔窟だ。


「……ぜってえ、無事に帰してやるからな。」


それは、日本支部が誇る特攻隊長としての、そして一人の少女としての、固い誓いだった。異国の地の夜は、静かに更けていく。こうして、波乱と困惑に満ちた総本部滞在の第一日目は、静かに幕を閉じたのだった。


―――――――――――――――――――――


(……聞こえない。何も感じない。俺は無だ。俺は宇宙を漂う塵だ。)


俺の意識は今、精神の暗室で淡々と般若心経を唱えるような心持ちで座禅を組んでいた。

現実世界の本体さいかから聞こえてくる、甘ったるい寝息や寝言を聞くたびに、精神の壁がミシミシと音を立てて軋む。だが、ここで戻れば死ぬ。男として、人間として終わる。

現実世界から徹底的に己を逃避し、精神宇宙を漂い続ける。辰巳才牙の、文字通り魂を削り、理性を削るような過酷な一週間の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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