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第89話 壊れた幼女と思惑(1日目)

精霊シルフの契約者(超VIP)の哀れな後ろ姿を尻目に、完全に放心状態となっているさいかもまた、刹那に手を引かれて自分たちの部屋へとドナドナされていくのだった。


「ガキンチョ、いつまで突っ立ってんだ。ほら、入るぞ。んじゃな風香、落ち着いたら遊びに行ってやるから、そんな顔すんな」

「ふぇ、ふぇーん……早めに、なるべく早めにきてくださいぃ……っ!」

「……はぁ?」


今生の別れのように必死に手を伸ばす風香に軽く手を振り返し、刹那はカードキーをかざして重厚な扉を開けた。

俺の口からは、未だにバグったような間抜けな音しか出ない。

女子高生との強制お泊まり――それも一週間という長丁場の現実が、俺の脳髄を完全にフリーズさせていた。


しかし、そんな俺のパニックなど知る由もない刹那は、部屋に足を踏み入れた瞬間、少年のような感嘆の声を上げた。

中は大人二人が泊まれるという言葉すら生温いほどの、異常な広さ。そして何より、壁一面の巨大な窓からは、異国の洗練された街並みと総本部の巨大な施設群が一望できる、圧倒的な開放感に溢れていた。

ヤンキー特攻隊長にとって、このブルジョアジー極まる空間は、嫌でもテンションが上がるものだったらしい。


「うおー! やっぱ総本部は金持ってんなー! ほらガキンチョ、見ろよ、外の景色がよく見えるぞ!」


刹那は窓ガラスに張り付き、目をキラキラさせながら俺を手招きした。

言われるがまま、窓際までふらふらと歩み寄り、外の景色を食い入るように見るさいか


「……はぁ?」

「駄目だこいつ、完全に壊れてやがる」


何度話しかけても、魂が抜けたような顔で「はぁ?」としか返さない俺を見て、刹那はやれやれと肩をすくめた。

長旅の疲れと異国の豪華なホテルで、幼女の脳がショートしたのだと勝手に解釈し、さいかの相手を早々に放棄することに決めたらしい。


俺を窓際に放置したまま、刹那は少し離れると、コソコソと自分のスマホを取り出した。

そして、眼下に広がる異国の絶景をパシャリと手際よくカメラに収め、嬉々とした顔で画面をフリックし始める。


(到着! 絶景! 羨ましいだろー?)


口元を緩め、どこか楽しげに、誰かに宛てて自慢のメッセージを打ち込む刹那。


「けけけ、送信と」


悪戯っ子のように笑いながら、送信ボタンをタップする。


「お、荷物もちゃんと届いてんな。ガキンチョの荷物も柊さん達が用意したって言ってたけど、ちゃんとあるな」


刹那は部屋の隅に並べられた数個のスーツケースをポンポンと叩きながら、手慣れた様子で中身を確認し始めた。


「おいガキンチョ、景色ばっか見てないで、荷物確認しとけ。足りないもんがあったら早めに買い出し行くからよ」

「……はぁ?」


ガサゴソと自分の荷物を整理し始めた俺の手元は、もはや無意識の産物だ。

柊たちが用意したというスーツケースを開けると、そこには案の定、フリフリやらレースやらがこれでもかとついた「さいか用」の衣装がギッシリと詰まっていた。

予備のパジャマ、予備のワンピース、予備のリボン。視界に入るすべての布が、俺の男としての尊厳をじわじわと削り取っていく。


「何か足りないものとかあったか?」

「……はぁ?」


俺の語彙力は完全に死滅した。

混乱のあまり脳がオーバーヒートを起こし、冷却機能が完全に追い付いていない。たった一音の疑問符を繰り返すだけの「壊れた人形」へと成り下がっていた。


「そっか、まだ頭が回ってねぇか。まあ足りないものがあったら後で俺に言えよ」

「……はぁ?」

「気にすんな。確か前ここに来た時は色々設備があったけど、あん時は楽しむ暇もなかったからな。ジムとかプールとか、色々あったはずだし、探索行くぞ!」

「……はぁ?」


刹那は、無理やり俺の細い腕を引っ張って立ち上がらせた。


「アホか、こんな不慣れな場所でガキンチョを一人にできるわけねーだろ。ほら行くぞ。……そうだ、あのアホみたいに広い部屋にぶち込まれた風香の奴も、今ごろ寂死してそうだからな。誘ってやるか」


足元がふらつき、視界がチカチカする。

俺は刹那に引きずられるようにして、ラグジュアリーな地獄の拠点(客室)を後にした。


風香に連絡して、風香の最高貴賓室で落ち合う3人

風香に泣きつかれて案内された『最高貴賓室』。

そこは、もはや部屋というよりは小規模な宮殿だった。リビングだけで俺たちの実家がまるごと入るんじゃねえかという広さと、目に刺さるような金ぴかの内装。


「すげぇ……これが一人部屋かよ……。内らの部屋の三倍はあるだろ……。天井に絵が描いてある部屋なんて初めて見たぜ」


さすがの刹那も、このあまりの格差に度肝を抜かれている。

だが、今のさいかにはそんな豪華さを楽しむ余裕なんて一ミリもなかった。


(……一週間。あのスケバンと刹那と。二人きり。同じ部屋……)


未だ脳内を支配するのは、青天の霹靂とも言うべき『同室』という絶望的なテロップ。さいかは、もはや思考を言語として出力する機能を喪失していた。


「ふぇーん……広くて寂しいです……。さいか様、お願いです、こっちの部屋に泊まりませんか? 私一人じゃ怖くて眠れません……! このベッド、五人くらい寝られそうですし!」


涙目で俺の純白のワンピースを掴み、必死に縋り付いてくる風香。

その瞬間、俺の脳内の「生き残り回路」が火花を散らし、過負荷でショートした。


「……はあ?」

「…………ッ!! ひ、酷すぎますぅ!!」


風香が、まるで心臓を撃ち抜かれたような顔をして、弾かれたように飛び退いた。


「『今日からここが俺の部屋だ。お前は今すぐ荷物をまとめて廊下で寝ろ』だなんて……! そんな一方的に占拠して、私を追放する独裁者みたいなこと言うなんて……酷すぎますよぉ、さいか様ぁぁ!!」

「……はあ?」


俺の口から出たのは、変わらず虚無を孕んだ一音のみ。


「あー、悪ぃな風香。こいつ(さいか)、初めての海外ではしゃぎすぎて、完全にテンションおかしくなってんだ。気にすんな」


刹那は、焦点の合っていない目で「はあ?」を繰り返す俺の頭を、ポンポンと軽く叩いて苦笑いする。その手の感触すら、今の俺には現実味がない。


「ほら、ガキンチョ。風香も合流したことだし、ホテルの中探検しに行くぞ。……お、こっちには専用の温水プールまであんのかよ! 部屋の中にプールとか、貴族かよ!」

「はあ?」


俺の返事など期待していない刹那に、再び首根っこを掴まれるようにして引きずられていく。


――重厚なデスクの奥、窓の外に広がる総本部のパノラマを背に、一人の男が深く椅子に身を預けていた。

世界魔導機構(WMO)の頂点に君臨する男、事務総長ガブリエル・ハミルトンである。


「……そうか。日本支部は『さいか』という少女を連れてきたか」


その声は低く、容易に感情を読み取らせない。

彼の傍らに直立し、手元の端末を確認しながら報告を続けるのは、ハミルトンの右腕であり、総本部の要職を担うミネルヴァ・アイリーンだ。


「はい。何かと理由を付けて連れてこないと思っておりましたが、意外にも従順でしたね。……実際、事務総長。もし日本支部が彼女を連れてこなかった場合は、本当に友好国から外すおつもりだったのですか?」


ミネルヴァの問いに、ハミルトンは皮肉げに口角をわずかに上げた。


「……まさか。我ら総本部がそのような暴挙に出れば、各国の支部に不必要な疑念を抱かせるだけだ。あれはあくまで『脅し』だよ、ミネルヴァ」

「それを聞いて安心いたしました。しかし、彼らが素直に連れてきたということは、やはり『襲来の予知』といった特殊な能力は持っていないと考えて良いのではないでしょうか。……案内役のヴァニラからの報告によれば、彼女はごく普通の魔法少女……いえ、魔法幼女マジカルチャイルドだったとのことです。まあ、『大変可愛らしかった』という余計な一文も添えられておりましたが」


ミネルヴァの報告を聞き、ハミルトンはふむ、と顎に手を当てた。


「……可能性としては、そちらの方が高いだろうな。特異な力を持つ選ばれた存在というよりは、単なる『幸運な子供』か。あるいは……」


ハミルトンは言葉を切り、デスクの上に置かれた一枚の資料に視線を落とした。そこには、日本から送られてきた『さいか』のプロフィール写真――清楚な白いワンピースを着て、どこか虚無を見つめる幼女の姿が映し出されている。


「まあ、嫌でも明日の顔見せで会うのだ。楽しみは取っておこう」

「は!」


ミネルヴァは深く一礼し、静かに部屋を後にした。

残されたハミルトンは、暗くなり始めた窓の外を見つめ、独り言のように呟いた。


「日本が隠し持っていたその切り札、私の目で見極めさせてもらうよ」

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