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第88話 到着とホテル(1日目)

真っ暗な地下トンネルを爆走すること、一時間と少々。

ついに魔列車は静かに速度を落とし、目的のプラットフォームへと滑り込んだ。


(すげぇ、もう着いた! 車内は正直死ぬほど退屈だったし、腰が痛くなる前に着いて助かったぜ)


プシュゥゥ、とドアが開いた瞬間、さいか(才牙)は内心で大歓喜の声を上げた。

魔列車を降りて足を踏み入れた世界魔法機構(WMO)総本部の専用駅は、第一区のあのVIP待合室すら霞むほどに巨大で、信じられないほど豪華絢爛だった。


大理石が敷き詰められた広大なフロアに、遥か高みにある吹き抜けの天井。そして何より、様々な国籍の関係者たちが慌ただしく行き交う、圧倒的な賑わいと熱気。

生まれて初めての『海外』という事実に、俺の血が騒ぎ出していた。


「ほな、こっちにいる間の案内係が待ってるはずやから、合流しよか?」


雅の先導で、俺たちは広大な駅構内を歩き出した。

風香は人の多さと異国の空気に完全にビビって俺の背中に隠れるように歩き、刹那は鋭い目つきで周囲を値踏みするように睨みつけている。俺はといえば、純白のワンピース姿で『初めての場所にキョロキョロと目を輝かせる幼女』になっている


やがて、待ち合わせ場所らしき時計塔の下で、一人の女性がスッと音もなく頭を下げてきた。

黒を基調とした、どこか修道女シスターを思わせるようなデザインの服に身を包んだ、透き通るような銀髪の女性だ。


「日本支部の皆様、初めまして。今回の滞在中の案内係を務めます、ヴァニラと申します。一週間、よろしくお願いいたします」

「日本支部の雅や。よろしゅう頼むわぁ」


流暢で、驚くほど綺麗な発音の挨拶。

俺は目を丸くして、ヴァニラの口元を見つめた。


(おおっ! ちゃんと日本語に聞こえるぜ! あのクソキノコの放ったちんけなビーム、本当に効果あったんだな。すげえぞ【妖精の耳】!)


言葉の壁という最大の不安が解消され、俺がフードの奥で一人で勝手に感動していると、雅が扇子で口元を隠しながら、クスクスと意地の悪い笑い声を漏らした。


「ふふふ、さいかはん。 ヴァニラはんは、普通に日本語でしゃべっとるで?」

「…………え?」


俺は間の抜けた声を出して固まった。

ヴァニラは表情を一切崩さず、淡々と、しかしどこか申し訳なさそうに補足した。


「……はい。私が日本語を習得しているということで、日本支部の皆様の今回の案内役を任されましたので。先程の挨拶も、すべて日本語で発音させていただきました。」

「……ふーん」

(……なんだよ、妖精の耳の効果じゃねーのかよ!! 俺の感動を返せ!!)


俺はすんっ、と真顔に戻り、心の中で盛大にずっこけた。期待させておいてこれか。


(……まあ、なにかの時に役立つかもしれねえしな)


気を取り直すように小さく息を吐き、俺は案内人であるヴァニラの背中を追って、ついに魔境・総本部の深部へと足を踏み出すのだった。


駅のプラットフォームを抜け、俺たちはWMO総本部が手配した黒塗りの超高級公用車に乗り込んだ。

ふかふかの革張りシートに揺られること数十分。車が横付けされたのは、総本部のすぐ近くにそびえ立つ、見上げるほど巨大なラグジュアリーホテルのエントランスだった。


「…………」

(うおー……すげーっ!! なんだこれ、城か!?)


車を降りた瞬間、俺(才牙)は純白のワンピース姿のまま、口をポカンと開けて完全に立ち尽くしてしまった。

第七地区のゴチャゴチャした下町、錆びた看板と電柱の影しか知らない俺からすれば、目の前に広がる光景はもはや現実味のない異世界だ。エントランスでは芸術的な噴水が涼やかな音を立て、制服を着たドアマンが非の打ち所のない角度で頭を下げる。ロビーの奥には太陽のように輝く巨大なシャンデリアが吊るされ、磨き抜かれた大理石の床がそれを鏡のように映し出していた。


あまりのスケールの違いに、ただの田舎者丸出しで固まっていると、呆れたような声が降ってきた。


「ほら、ガキンチョ。口開いてんぞ。立ち止まってねーで、さっさと行くぞ」

「……おー」


刹那が、俺の小さな手をギュッと無造作に握ってきた。

そして、きょろきょろと落ち着かない俺を引っ張るように、グイグイと頼もしい足取りで歩き出す。


ここで抵抗して「さいか」のキャラを壊す理由もない。俺は大人しく引かれるままについていく。

その光景は傍から見れば、ちょっとヤンチャで面倒見のいい姉が、初めての旅行に圧倒されている大人しい妹の手を引いて歩く、微笑ましい『仲の良い姉妹』そのものだった。


「ふふふ……ホンマに仲ええなぁ、あんたらは」


そんな俺たちの様子を後ろから見ていた雅は、扇子で口元を隠しながら、本当の姉妹を見守るような優しい、そしてどこか茶化すような眼差しを向けている。

先頭を歩く修道女姿の案内役・ヴァニラは、この規格外の高級ホテルの重厚な空気にも完全に馴染んだ、洗練された足取りで振り返った。


「お預かりしておりますお荷物は、すでに皆様のお部屋に届けさせております。チェックインの手続きも済んでおりますので、今からお部屋にご案内しますね」

「おおきに。よろしゅう頼むわぁ」


雅が代表して返事をし、風香も緊張で肩を震わせながら「よ、よろしくお願いします……っ」と後に続く。

俺は刹那に手を引かれながら、自分とは無縁だと思っていた「上流階級の世界」の入り口へと、一歩ずつ足を踏み入れていくのだった。


ふかふかの絨毯が敷き詰められた、無駄に広いホテルの廊下。

案内役のヴァニラが、重厚なマホガニーの扉の前で足を止めた。


「雅様はこちらの部屋。刹那様とさいか様は、こちらの部屋になります」

「おおきに、ありがとうなぁ」


雅がにこやかにルームキーを受け取る。

その横で、長時間の移動と母親(龍華)のプレッシャーからようやく解放された刹那が、首をボキボキと鳴らしながら大きく伸びをした。


「やっと着いたか。変に疲れたぜ。……おいガキンチョ、さっさと入るぞ」

「……は?(は?)」


俺は、自分の耳を疑った。

いやいやいや、ちょっと待て。なんで雅も刹那も、そんなに普通に受け入れてるんだ? なんで『さいか(俺)』と『刹那』が、当たり前のように同じ部屋なんだ!?


「へや……ふたり……??」


俺は純白のワンピースの裾をギュッと握りしめ、震える幼女ボイスで刹那を見上げた。


「ん? ああ、まあ俺ら二人は風香のオマケみたいな扱いだからな。予算の都合か知らねえが、二人で一部屋だ。中はひれーから安心しろ。ベッドだって二つあんだろ」


なんの事もないように、さも当然だと言わんばかりに笑う刹那。

だが、俺の内心はかつてないレベルの大パニックを引き起こしていた。


「はぁ?(はぁ?)」


限界を超えた脳のキャパシティが完全にショートし、俺の口からはただ「は?」という間抜けな単語しか出てこない。

そんな俺の死活問題など露知らず。

ここまで異国の空気に呑まれ、完全に空気と化していた風香が、おずおずとヴァニラに話しかけた。


「あ、あの……わ、私の部屋は……? さいか様と一緒では……?」


自分も雅か、あるいは大好きな『さいか様』と近くの部屋になれるかもしれない。そんな淡い期待を寄せる風香に対し、ヴァニラは一切の感情を交えずに、残酷な事実を告げた。


「今回の式典の最重要貴賓となります風香様は、セキュリティと待遇の観点から、別の階の最高級個室ロイヤルスィートルームとなります。専属の警備もつきますのでご安心を」

「そ、そんなぁ……っ! さいか様と離れるなんて……」


膝から崩れ落ちそうになる風香。

精霊『シルフ』の契約者という超VIPな立場が完全に仇となり、気弱な彼女は、この不慣れな異国のホテルでただ一人、豪華すぎる牢獄スィートルームに完全に隔離されることになってしまった。


「……じゃあ、みんなゆっくり休みや。明日から忙しくなるで?」


雅は慈愛に満ちた笑顔でそう言い残し、自分の部屋へと消えていった。


同室に直面し、パニックでフリーズする俺。

個室を宣告されて、絶望の淵に沈む風香。

ラグジュアリーホテルの廊下には、それぞれ全く別の、しかしどちらも深刻な理由で顔面を蒼白にしている二人の魔法少女が、静かに立ち尽くしているのだった。

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