第84話 クソキノコと前準備
夏休みを目前に控えた、一学期最後の登校日の放課後。
WMOからの呼び出しという最大の懸念事項が片付き(さいかが同行を承諾したため)、完全に憑き物が落ちたような清々しい顔をした優依(刹那)は、上機嫌で俺の背中を景気よくバンバンと叩いた。
「じゃあな才牙! アタシは明日から一週間、総本部に出張だからよ! 寂しがるんじゃねーぞ! 帰ったら、お前に似合いそうな厳ついお土産買ってきてやるから楽しみにしてろよなー!」
(……お前が向こうで護衛する予定の『ガキンチョ』、目の前にいる俺なんだけどな)
俺は内心で盛大なツッコみを入れつつ、顔には出さずに適当に手を振り、「おう、気をつけて行ってこいよ」と、嵐のように去っていく姿を見送った。
刹那の認識では、現地協力者である『才牙』は、この平和な第七地区の自宅で一週間のんびりと夏休みを謳歌することになっているのだ。
早々に誰もいない自宅へと帰り着いた俺は、リビングに鞄を放り投げるなり、誰もいないはずの空間に向かってドスの利いた声を張った。
「……おい、クソキノコ。さっさと面貸せ。作戦会議だ!」
ポンッ。
という、緊張感の欠片もない気の抜けた破裂音。
空中にふわりと現れたのは、マスコット――と呼ぶにはあまりに腹立たしい造形と性格をした、俺の担当妖精・チーポだった。
早速、空中でふんぞり返ったクソキノコが、ジト目を向けながら今更すぎる愚痴をこぼし始める。
「なー才牙ぁ、ほんまに行くんかー? WMOの総本部なんて、ワイら妖精からしてもブラック企業の本社みたいなもんやで。かっだるいわー、何が起きるかわからんし、」
「うるせえ! もう行くって決めたんだよ。……確かに、あの姿で一週間も過ごすのは死ぬほど嫌だがな。売られた喧嘩を買わねえのは死んでも嫌だ」
俺が低く凄みを利かせて睨みつけると、チーポはやれやれと短い腕を組み、わざとらしく首を振ってみせた。
「はー……。これやから、筋肉でできとる野蛮人はあかんなー。」
カチンッ。
俺の額に、静かに青筋が浮かび上がる。
「……てめえ、もう一度言ってみろ。ガスコンロでじっくり炙って、キノコステーキにしてやろうか?」
俺が指の関節をボキボキと不吉な音を立てて鳴らしながら、キッチンの方へ視線を向けると、チーポは空中で「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて飛び退いた。
「じ、冗談ですやん! 冗談通じなさすぎやで! ステーキは断固拒否や! 煮ても焼いても食えへんで」
必死に短い手足をバタつかせて命乞いをするチーポ。
空中でぷかぷかと無重力に漂いながら、チーポは心底どうでもよさそうに、話題を変える為だけに、短い腕で鼻をほじるような下品な仕草をして問いかけてきた。
「そんなことより、才牙、向こうでの着替えとかどうするんやー? 自分、さいかの時の、あの耳の長いウサギのやつ一着しか持ってへんやろ?一週間も同じ服やったら、せっかくの美少女も腐ってまうで?」
その言葉に、俺は顔の筋肉をピクピクと引き攣らせ、胃の奥からせり上がる苦々しい不快感を吐き捨てた。
「……そこは、魔法科の連中が『粗相のないよう完璧に用意する』って話になった」
俺が普段『さいか』として活動する際に着ているウサちゃんパーカーとハーフパンツは、あくまで正体を隠し、かつフリフリの女装を回避するための苦肉の策だ。
WMO総本部での式典という、世界の頂点が集う公的な場に、あんなふざけた部屋着同然の格好で出られるはずがない。
柊支部長や雅が、「式典に相応しい、最高の一着を手配する!」と、妙にギラついた目で張り切っていた光景を思い出し、俺の胃はキリキリと悲鳴を上げ始める。
「ほーん! なら、さぞかし『可愛らしい』ヒラヒラのドレスやら何やらが用意されそうやなー! 楽しみやなー、才牙!」
腹を抱えて空中でゲラゲラと笑い転げるチーポ。
(このクソキノコ……借金返済して契約解除した瞬間に、真っ先にミンチにしてやる……!!)
俺は額にドス黒い青筋を浮かべ、殺意の波動を全開にしてチーポを睨みつけた。
「……チッ。向こうでアンヴァーでも出りゃ、一時でも(男の姿に)戻りてぇところだが、お固い式典じゃアンヴァー退治のチャンスもなさそうだしな。一週間、四六時中あの姿のままってのが、正直一番キツいぜ」
俺がため息混じりにぼやくと、チーポは空中でピタッと動きを止め、頭の上に間抜けなハテナマークを浮かべた。
「?? なんで、元の姿に戻るのにアンヴァーが関係あるんや?」
「あ? 何ボケてんだ。お前が『変身を解いて戻るには、アンヴァーを倒してポイントを稼がなきゃ駄目だ』って、最初に抜かしてただろ?」
俺も同じように首を傾げ、至極真っ当なツッコミを返した。
変身を解いて元の『才牙』に戻るには、アンヴァーを討伐し、その報酬を消費しなければならない。それは、俺が不本意ながらも魔法少女になって一番最初に、この糞キノコから聞いた、鉄則のはずだ。
その瞬間。チーポの星型の顔面から、スッと血の気が引いていくのが見て取れた。
「……あ、あーーーっ!! せ、せやせや! あの事やな! 戻るのにアンヴァー倒して、妖精ポイント手に入れなきゃ戻れんという、あの厳格なルールの件な! ワイ、あまりに当然すぎて、うっかり忘れとったわー、アハハハ!」
チーポは空中で不自然にくるくると高速回転を始め、滝のような冷や汗を流しながら、必死の形相で誤魔化し始めた。
その胡散臭い笑顔の裏で、糞キノコの脳内は、かつてないほどのオーバーヒートを起こしていた。
(ヤバッ! 最初の頃、こいつをアンヴァー退治に駆り出すために、そんなデタラメ設定を教えとったなー! ……本当は倒さんでも、変身解除には『妖精ポイントがたった10ポイント』あれば、いつでもどこでも戻れるんやけど。今、二億も持っとる才牙にそれ教えたら、もう二度とアンヴァー退治なんてしてくれへんようになる……! 絶対に黙っとらな……!)
そう。今の才牙の口座には、二億六千万という天文学的なポイントが眠っている。もし「たった10ポイント」で変身が解除できるという『真実』を知れば、才牙はアンヴァーの出現など待たずとも、自由自在に、それこそ瞬きする間もなく変身と解除を繰り返せるのだ。
だが、そんな詐欺師の口八丁など知る由もない俺は、目の前で挙動不審の極みに達している担当妖精に向かって、深すぎるジト目を向けた。
「……おい。何なんだよ、その怪しい動きは」
「な、な、なんでもないで!」
胡散臭いクソキノコを睨みつつ、俺は大きくため息をつき、苛立ちをぶつけるように乱暴に頭を掻き毟った。
「……とは言え、向こうで隙を見て元の姿に戻りてぇところだが、戻った時の服がねぇんだよな。流石にあの場所で、いつもの学ラン姿は浮きまくるだろ」
万が一、総本部で運良くアンヴァーが出現し、変身を解いて元の『才牙』に戻れたとしよう。だが、そこに致命的な問題が立ち塞がる。
なぜか知らんが、俺が「さいか」から元の姿に戻る時は、決まっていつもの学ランを羽織った状態になるのだ。
世界のVIPが集うWMO総本部の真っ只中で、眼光鋭い巨漢のヤンキーが学ラン姿でうろつく……。想像するだけで、アンヴァーの襲来よりもタチの悪い事態になるのは目に見えていた。
俺が現実的な悩みに顔をしかめると、チーポはまたしても興味なさそうに、短い腕で鼻をほじるような不遜なポーズのまま言い放った。
「なら、異空間収納しとけばええやん?」
「は? なんだそれ?」
俺が怪訝な顔を向けると、糞キノコはポンッと短い手を打ち、これ見よがしに白々しい芝居を始めた。
「……あー! 才牙にはまだ言っとらへんかったな、すまんすまん! ワイら契約妖精の特権でな、一日『百ポイント』のレンタル料で、荷物を亜空間に預けられるんや。ワイらが異空間に荷物を放り込んでおけば、自分が必要な時にいつでも、どこでもシュバッと出せるんやでぇ」
「……ほーん。一日百ポイントでいいのか。そりゃあ便利だな」
俺は素直に感心し、その提案に乗ることにした。
今や俺の口座には二億六千万もの裏金が唸っているのだ。一日たった百ポイントという端金を払うだけで、着替えや日用品を四次元ポケットのごとく自由に出し入れできる。これほど費用対効果の高い、便利な出費はないだろう。
(……ひっひっひ。ほんまは、契約妖精の『完全無料サービス』やけどな。ちょろい男やで、才牙は!)
俺が感心して「悪くねぇな」と頷いている、まさにその目の前で。
チーポは腹の中でゲス極まりない高笑いを上げ、真っ赤な舌を出して勝利を確信していた。
本来、異空間への荷物収納など、魔法少女をサポートする契約妖精にとって『標準装備の無料機能』に過ぎない。しかし、この守銭奴キノコは、魔法の常識を一切知らないヤンキーの無知をこれ幸いと食い物にし、息をするようにポイント(自分のお小遣い)をピンハネする気満々だったのだ。
「よし。じゃあ、いざって時のための着替えと、最低限の荷物、預かっとけ」
「まかしときや! ワイの異空間は、銀行の金庫より安全やで!」
異空間収納という「ボッタクリ新機能」の件でホクホク顔になっているクソキノコをを見ていると、脳裏に先日の柊支部長とのやり取りがフラッシュバックした。
(……そう言えば、あの女、重要なことを言っていやがった。)
俺は空中に浮かぶチーポの頭——毒々しいキノコの傘の部分を、ガシッと無造作に鷲掴みにした。
「な、なんや急に!? わいの愛くるしいキューティボディに触りたくなったんか? 惚れるのは勝手やけど、セクハラはやめてぇな!」
「んなわけねぇだろ。……おい、お前。俺に隠してる事があるよな?」
俺は喉の奥から地を這うようなドス声を響かせ、チーポを至近距離で睨みつけた。
すると、チーポの顔から、滝のような冷や汗がドバドバと噴き出した。見るからに挙動不審だ。
「な、ななな、なんのことや……? 」
(アカン、あり過ぎて何がバレたんかわからん! ぼったくり収納の件か!? 変身解除ポイントの件か!? それともワイが夜中に才牙のプリンをこっそり食った件か!?)
短い腕をバタバタと振り回し、顔を引き攣らせてパニックに陥るチーポ。そのあまりの動揺っぷりと「何かを隠している」のが透けて見えるようなクズ反応に、俺は怒りを通り越して逆に呆れ果ててしまった。
「ちっ、まあいい。『妖精の耳』の件だ。知らねえとは言わせねえぞ」
「は? なんやそれ?」
(ガチで知らん。なんやそれ?)
チーポの顔からスッと動揺が消え、今度は純度一〇〇パーセントの『きょとん顔』が浮かんだ。
この期に及んでまだとぼける気か。俺はチーポを掴んだまま、逃がさないようリビングの壁の柱へとグリグリと押し付け、物理的な圧をかけた。
「……とぼけんじゃねーぞ。柊から全部聞いてんだよ」
「うひー! ほんまに、ほんっっまに知らんのやー! つ、潰れる! 傘から中身が出てまう!!」
キノコの傘がミシミシとひしゃげ、情けない悲鳴を上げるチーポ。
嘘をついているようには見えない——というか、こいつの脳みそではそこまで高度な演技は無理だろう。俺は怪訝な顔をしながら、少しだけ指の力を緩めてやった。
「……柊が言ってたんだよ。海外の言葉がわかんねえって相談したら、『契約妖精にお願いすれば【妖精の耳】を付与してくれて、言葉だけなら自動翻訳される』ってな」
俺は英語はおろか、日本語の現国すら赤点ギリギリのヤンキーだ。そんな俺が、海外の式典なんていうハイソな場所に一週間も放り込まれる。言葉が通じないのは死活問題だと思い、藁にも縋る思いで柊に相談した際に教えてもらったのだ。
「は? そうなん? ……ちょっとまっててな、確認してくるわ」
チーポはポンッと情けない音を立てて空中に消えた。
数秒後、再びポンッと目の前に現れたその顔には、隠しきれない困惑が浮かんでいる。
「……ほんまやったわ。サービスセンターに聞いたら『標準装備です』って言われたわ。マニュアルの隅っこに書いてあったわ、テヘッ☆」
「……本当に知らなかったのかよ。本当にお前、駄目妖精だな……」
俺は額を押さえて深い、深いため息をついた。
妖精のサービスセンターに問い合わせて初めて知る。ポンコツにも程があるだろう。
「うっさいわ! 知らんもんは知らんのや! ほなら、ほれ、さっさと付与したるわ。【妖精の耳】ビーム!」
逆ギレしたチーポが、短い腕の先を俺の顔に向けた。
「びー」という、おもちゃの光線銃よりも安っぽい効果音と共に、チーポの指先から弱々しい光の線が発射された。光は俺の耳に吸い込まれるように消えていく。
……が、熱くもなければ痛くもない。風が吹いたほどの感覚すらなく、体感としては何のへんてつもない。
「本当にかかってんのかよ、これ? インチキじゃねえだろうな」
「疑うなら海外の動画でも観てみい! ワイの完璧な仕事ぶりに驚愕するんやな!」
ドヤ顔で短い腕を組むチーポに半信半疑のまま、俺はスマホを取り出し、適当な海外のニュース動画を再生してみた。
すると——。
「うお! ……マジか、本当に日本語で聞こえる。すげーな」
画面の中の金髪のキャスターが喋る流暢な英語が、まるで吹き替え映画でも観ているかのように、俺の脳内には完璧な『日本語』として変換されて響いてきた。しかも、ただ意味がわかるだけじゃない。元の言語が持つ細かなニュアンスや感情までもが、ストレートに伝わってくるのだ。
(……これなら、向こうのジジイどもが何喋ってても問題なく聞き取れるな。)
翻訳機能の確認を終え、いよいよ総本部へ向かう準備も総仕上げだ。
俺はソファのテーブルに自分のスマホを放り投げ、最後にとチーポに最大の難題を突きつけた。
「おい、クソキノコ。お前に大事な役目がある。俺の代わりに、俺のスマホで連絡係をしろ」
「はぁ? 連絡係ぇ?」
「ああ。総本部にいる間、俺はずっと『さいか』の姿だ。魔法少女の格好でスマホをイジるわけにはいかねーし、何より日本にいるはずの『才牙』が音信不通になるのはマズい。優依(刹那)からメッセージが来た時、即座に、かつ自然な返信ができる影武者が必要なんだよ」
これが俺にとっての生命線だ。あいつに怪しまれることだけは絶対に避けなきゃならねえ。
しかし、そんな俺の切実な依頼に対し、チーポは空中で鼻をほじるような仕草(実際に指が入る穴があるかは謎だが)をしたまま、心底面倒くさそうに顔を背けた。
「はー? お断りやー、めんど。ワイはこう見えて分刻みのスケジュールで動いとる、超多忙なエリート妖精なんやで?」
(……このクソキノコ、普段から海外ドラマ見てポテチ食って寝てるだけだろうが。あとプリンも盗み食いしてやがるしな)
額にピキリと青筋が浮かんだが、ここでキノコを炙り焼きにしたところで問題は解決しない。相手が極悪非道な守銭奴であることを逆手に取るしか、この窮地を乗り切る方法はないのだ。
俺は深くため息をつき、静かに、だが確かな威力を秘めた殺し文句を放った。
「……一週間、ボロを出さずに完璧に依頼達成できたら、ボーナスで10万ポイントやる」
ピタッ、と。
チーポの動きが空中で完全に停止した。
コンマ数秒の静寂の後、奴の目が『$』マークのごとくギラリと黄金色に輝く。短い両手を揉み手のようにスリスリと擦り合わせながら、俺の鼻先まで猛スピードで突っ込んできた。
「まかしてぇなー!! 相棒の願いや、勿論契約妖精たるわいが誠心誠意、命を賭してお答えするで!!」
「……変わり身が早すぎて逆に引くわ」
「何言うてんねん! 才牙はワイのたった一人の、宇宙で一番大切な契約者やんか! 10万……いや、二人の黄金の絆の前には、どんな困難も屁のツッパリにもならへんで! 完璧な『才牙』のモノマネ、任せとき! 絶妙にガサツな言い回しから、既読スルーの時間、スタンプを連打するタイミングまで、本人より本人らしくやり遂げたるわ!」
(現金すぎるだろ、このクソキノコ……。まあ、背に腹は代えられねえか。ポイントで釣っている間だけは裏切らねえだろうしな)
あまりの豹変っぷりに呆れ果てながらも、これで最大の懸念事項だった『才牙の不在』を誤魔化すアリバイ工作は完了した。
かくして、俺は海を渡る準備をすべて整えた。
待ち構えているのは、一癖も二癖もある魔法少女の元締めたち。
来るべき魔窟での一週間に向けて、俺は「静かに牙を研ぐのだった。




