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第83話 売られた喧嘩

数日後。刹那から「急だが相談したいことがある」と、切羽詰まったような連絡が入った。

廃工場での合流を済ませたさいかと刹那は、いつものように拠点から少し離れた場所にある、ファミリーレストラン『ダスト』のボックス席に陣取っていた。


今の俺の格好は、以前刹那から「正体を隠すならこれくらい着ておけ」と半ば強制的に押し付けられた、耳の長い『ウサちゃんパーカー』だ。フードを深く被ることで、顔の半分を濃い影に沈めている。

下はフリフリのスカートなど死んでも御免なので、動きやすいハーフパンツにスニーカーという、中性的な「小生意気なガキ」スタイルを貫いている。


だが、最大の問題は『声』だ。

変身後のこの身体から漏れる音は、俺の鋼の意志に反して、鈴を転がすような、どこまでも儚く可憐なボイスへと変換される。喋るたびに自分でも鳥肌が立つほど気持ち悪いため、この姿の時の俺は、必然的に極端な寡黙を装うことになる。


「……おまたせ」

「お、おう。」


刹那はいつものようにメニューを眺めてはいるが、その指先は小刻みに震え、視線が定まっていない。


(……原因は分かってる。あの世界機構(WMO)からのクソったれな招待状の件だろ)


俺は中身の才牙として、すでに『きらば』で優依から事情を聞き出している。だが、この『さいか』という虚像を纏った俺は、表向きにはまだ何も知らない「無知なガキ」でいなければならない。


俺はフードの奥から、じっと、射抜くような視線を刹那に向けた。

本人的には「何隠してやがる」という不機嫌なガン飛ばしのつもりなのだが、この矮小な少女の身体がやると、どうにも『不安に怯えながら、縋るように見つめる儚い少女』に映ってしまう。


「…………なにか、あったの?」


絞り出すような、掠れた問いかけ。

俺はあくまで、大人の事情に疎い『事情を知らないガキンチョ』を演じきる。


夕暮れ時のファミレス。

ドリンクバーのメロンソーダの中で、氷がカランと虚しく溶ける音がやけに大きく響く。

刹那は深く、肺の底にある澱をすべて吐き出すようなため息をついた後、意を決したように、真っ直ぐにさいかの瞳を射抜いてきた。


「……まず前提として言っておく。嫌なら、断ってもかまわねえ」


力強い前置きをしてから、彼女は今回の呼び出しの概要を語りだした。

先日、第七地区を襲ったあの巨大なA級アンヴァーの討伐。そして、その戦いの中で精霊『シルフ』の正統な契約者として覚醒を遂げた風香を、WMOの事務総長直々がその労をねぎらいたい、という内容だ。

そして、その奇跡的な討伐に多大な貢献をしたとされる『二人の随伴魔法少女』――すなわち、特攻隊長である刹那と、そして謎の新人である「さいか」を、セットで総本部まで連れてこい、という名指しの招待状だった。


「向こうに行く時期は、こっちの学業やらなんやらの都合を考慮して、夏休み期間中でいいらしい。……ま、式典だのパーティーだので、向こうに滞在する期間はおよそ一週間ってところだな」


刹那はストローでグラスの氷を無意味に突っつき、カラカラと軽い音を立てながら、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「ぶっちゃけ、ただの堅苦しい表彰式だ。お前みたいなガキが、わざわざ海を渡ってまで、言葉も通じねえお偉いさん達のクソ長い自慢話に付き合ってやる義理なんてどこにもねえ。だからよ、行きたくねえならハッキリそう言え。後のことはアタシらが……雅や支部長が、上手く適当な理由をつけて誤魔化してやるからよ」


――その掠れた、けれど芯の通った声の裏側には、ここ数日の間に日本支部の大人たちが繰り広げた、血の滲むような暗闘の記録が隠されていた。


事の発端である「招待状」という名の宣戦布告が届いてから、水鏡柊を筆頭とする日本支部の幹部たちは、不眠不休で協議を重ねていた。

そして、法と倫理に照らし合わせて導き出した大人たちの結論は、「あり得ない」という一点だった。

いかにWMO総本部が絶対的な権力を持とうとも、正式な登録すら済んでいない魔法少女が一人欠席した程度で、一国家を『友好国』の枠組みから外す――そんな暴挙が国際社会でまかり通るはずがない。これは悪質なブラフ、単なる「脅し」に過ぎない。そう断じたのだ。


日本支部が出した妥協案はこうだ。

精霊『シルフ』の契約者である風香と、特攻隊長の刹那。この二人は正式な使節として総本部へ向かわせる。

そして、もし『さいか』が欠席を選択した場合、彼女の「年齢」を最大の盾にする。

通常、魔法少女としての適性は十四歳から。それよりも遥かに幼い(と全員が盛大に勘違いしている)少女を、海を越えた魔窟の政治劇に引きずり出すのは、精神的負荷があまりに大きすぎる。そう主張し、代理出席者を立てるという防衛線を張るつもりだった。


とはいえ、相手はあの理不尽を象徴する総本部である。

万が一にも「最悪のケース(防衛情報の遮断)」が現実になれば、日本は地図から消えかねない。本音を言えば、日本支部としては是が非でも『さいか』本人に出席してほしい。それが喉から手が出るほどの渇望だった。

それでも、柊たちは最後の最後で踏みとどまった。「本人の意志を最優先に。無理強いは絶対にさせない」という、大人としての、そして魔法少女の先輩としての矜持を貫いたのだ。


本来なら、この重要な場には保護者役の雅も同席する予定だった。

だが、「大人が寄ってたかって説得すれば、幼い子供は断りづらくなる」という、日本支部なりの涙ぐましい、そしてあまりに不器用な配慮から、こうして刹那一人が説明役として送り込まれたというわけだ。


自分たちの都合で、幼い少女を矢面に立たせまいとする。

そんな、あまりに青臭く、けれど温かい「善意」がそこにはあった――。


「いいか? 何度も言うが、前提として断っても全然かまわねえからな。」

(……フン。嘘つけ。断ったら、首が回らなくなるくせによ)


俺はウサちゃんパーカーのフードの奥で、ジト目を向けながら内心で盛大に毒づいた。「無理しなくていい」と必死に優しい姉のような顔を作っている刹那だが、俺は中身の『才牙』として、昨日きらばでこいつ自身の口から、最悪の最悪のケース――「アラートが鳴らなくなる」をすでに聞かされている。


本当なら今すぐ「お願いだから一緒に来てくれ」と土下座でもしたい状況のはずなのに。こいつは自らの誇りと、年下(?)のガキを庇うという使命感だけで、本音を必死に喉の奥へ押し殺している。


膝の上で、白くなるほどギュッと握りしめられた刹那の拳が、微かに、けれど絶え間なく震えているのを、俺の目は見逃さなかった。


「……」


俺はあえて言葉を返さず、ただ静かに、フードの奥から刹那の瞳を見つめ返した。

この不器用すぎる特攻隊長の覚悟が、俺の冷めきった胸の奥を、ほんの少しだけ苛立たしく、そして熱く揺さぶっていた。


俺を安心させようと、努めて明るい調子を崩さない刹那。

だが、その必死な気遣いと、テーブルの下で微かに震え続けている拳を前にして、俺はどうしても「何も知らない無力なガキ」のふりをして甘えることができなかった。


「……本当に行かなくて、いいのか?」


俺はウサちゃんパーカーのフードの奥から、逃げ場を塞ぐようにはっきりと刹那の瞳を射抜いた。

そこにいるのは、庇われるべき幼女『さいか』ではない。第七地区で二百人の不良を単騎で沈め、規格外の化け物をその拳一つで粉砕した最凶の番長――『才牙』としての、一切の妥協を許さない真剣な眼差しだ。


「ッ……」


その、子供のものとは思えない鋭く重い視線に、刹那は弾かれたように肩を震わせ、一瞬だけたじろいだ。

彼女は言葉を失い、喉の奥で何かを飲み込むと、逃げるように視線を落としてギュッと目をつむった。


日本支部の防衛網、大人たちのドロドロとした政治、そして何より、目の前の小さな少女を泥沼の場に引きずり出したくないという、魔法少女としての強烈な自尊心。

いくつもの葛藤が、彼女の脳内で嵐のように吹き荒れているのが、痛いほど伝わってくる。


やがて。数秒の、重苦しい沈黙の後。

刹那はゆっくりと瞼を持ち上げ、今度は逃げることなく、真っ直ぐにさいかの目を見返した。

そして、すべての虚飾を脱ぎ捨て、腹を括った低く真摯な声で、絞り出すように頼み込んだ。


「……来てほしい。……色々、嫌な思いもさせるかもしれねぇけど。……アタシが、絶対にお前を守り抜いてやるから」


(……フン。お前らしい言い方だな。笑っちまったぜ)


俺は内心で、皮肉を一切含まない、本心の笑みをこぼした。

自分たち大人の都合で理不尽な面倒事に巻き込むのだから、せめてその盾となり、ガキ(さいか)を護り抜く。そんな不器用で、一本筋の通った覚悟が、その言葉にはこれでもかと詰め込まれていた。


自身だって理不尽な呼び出しを食らった当事者だというのに、どこまでもお人好しなスケバン特攻隊長。

その真っ直ぐな言葉を聞けただけで、わざわざ海を渡って、ふんぞり返ったジジイどもの相手をしてやる理由は――俺にとっては、もう十分すぎた。


「……わかった。行く」


俺が短く、けれど明確な意志を込めて告げると、刹那の顔がパァッと、暗雲が晴れるように明るくなった。


「本当か……っ!? いや、よかった! 助かるぜ、これで柊さんも、雅も……みんな安心できる!」


張り詰めていた糸がぷっつりと切れたように、刹那は安堵の声を上げた。そして、弾かれたようにスマホを取り出すと、「ガキンチョ、OKだってよ! 文句ねーだろ!」と、支部長や雅に向けて猛烈な勢いで連絡を入れ始めた。


そんな、子供のように無防備に喜ぶ刹那の姿を横目に。

俺は深く被ったフードの奥で、彼女には見せることのない、『最凶のヤンキー』としての笑みを、その口元に刻んでいた。


(この姿で一週間もなんて、死ぬほど屈辱だ。……だがよ)


俺は、表面が結露した冷たいメロンソーダのグラスを凝視し、誰の耳にも届かない極小のボリュームで、ドス黒い闘気を乗せた言葉を吐き捨てた。


「売られた喧嘩から尻尾巻いて逃げるなんてのは……死んでもごめんだ」


俺の平穏な日常を人質に取り、楽しみだった夏休みを土足で踏み荒らし、日本支部を姑息に脅迫した海の向こうのヤツら。

上等だ。そんなにこの俺を呼びつけて拝みたがってるんなら、喜んでそのツラ、拝みに行ってやる。

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