第82話 ご招待
(……なんか、悪くねぇな。こういう放課後も)
きらばの窓際の席。鼻をくすぐる甘ったるいフラペチーノの匂いと、目の前でストローを咥えたまま、隠しきれない上機嫌を面に転がしている優依(刹那)の顔。
それらをぼんやりと眺めながら、俺はなんとなく、ふわふわとした居心地の良さを感じていた。
このまま、柄にもなく夏休みの計画でも立ててみるか――そう口を開きかけた、その時だった。
ブーブーッ、ブーブーッ。
優依の制服のポケットから、静寂を切り裂くような無粋なバイブレーションが鳴り響いた。
「チッ……」
優依はあからさまに不快げな舌打ちを漏らし、スマホを取り出した。
しかし、画面に表示されたメッセージの送信元を確認した瞬間、彼女の貌から女子高生らしい柔和な緩みがスッと消え失せた。
代わりに広がったのは、抜き身の刀のような険しい『顰めっ面』だった。
ただ事ではない空気に、俺は思わず身を乗り出して声をかけた。
「……おい、どうかしたのか?」
「……悪い才牙。夏休み、ちょっと予定が変わったわ」
スマホの画面を親の仇でも見るかのように睨みつけたまま、優依が苦々しい声で吐き捨てる。
さっきまで「休みの間も付き合ってやる」という俺の提案ににやついていたのが嘘のような、どん底まで冷え切ったトーンだった。
「魔法少女絡みの仕事か?」
「あー、クソ面倒なことにな。なんでもWMO(世界魔法科機構)の事務総長直々のお呼び出しだ。先日のA級討伐、それと精霊『シルフ』の契約者と『他二名』の活躍を、直々に讃えたいんだとよ」
(……他二名、だと?)
優依がこぼしたそのフレーズに、俺の眉がピクリと跳ね上がった。
俺は、ただの高校生だ。WMOだの事務総長だのといった、雲の上のさらに向こう側にいる偉い大人たちのことなんて知るはずもない。
だが、修羅場を潜り抜けてきた俺のヤンキーとしての直感が、その『他二名』という言葉に、最大級の警鐘を激しく鳴らしていた。
あの大鯨との死闘の現場にいたのは、優依(刹那)と、風香(シルフの契約者)、そして、俺の三人だけだ。
つまり、海の向こうに座る狸どもは、現場の正確な人数と『誰が真の功労者か』を完全に把握した上で、ピンポイントに俺たちを名指しで引きずり出そうとしているのだ。
「あー、もう! ガキンチョ(さいか)もなんとか出席できねーか、説得してほしいって雅からだ。……無理に決まってんだろ、んなもん!」
優依はスマホをテーブルに放り投げ、乱暴に頭を掻き毟った。
(……当たり前だ。誰がそんな、胡散臭い連中の揃う表舞台なんぞに顔を出すかよ)
俺は、結露したグラスの中で小さくなった氷をストローでカラカラと弄りながら、視線は窓の外に向けたまま、それとなく優依に探りを入れた。
「……そのガキが『行かねえ』って突っぱねたら、どうなるんだ?」
ただの、事情を知らない現地協力者という立場を装いながらも、当事者――さいか本人としては、今後の人生を左右しかねない最重要事項だ。
俺の問いに対し、優依は飲みかけのカップから手を離すと、険しい顔をして指先で眉間を強く揉んだ。
「正直、わかんねえ……。最悪の場合、総本部に楯突く『反乱の意思あり』と見なされて、一方的にノーマッド(非正規)認定されるかもしれねえな……」
「は? ……めちゃくちゃだろ、そりゃ」
俺は思わず、ヤンキーとしての素のトーンで聞き返していた。
招待を欠席しただけで反乱分子扱い? どこの時代の暗黒街の掟だ。
今時、本職の極道だってもう少し理性的な話し合いをするぞ。
「……そんだけ、総本部の権力は絶対なんだよ。逆らう芽は、若いうちに徹底的に踏み潰す。それが、あいつらの昔からのやり方だからな」
優依は奥歯を噛み締め、忌々しそうに言葉を吐き捨てる。
歴戦の修羅場を潜り、特攻隊長として最前線に立つ彼女がここまで露骨に警戒の色を見せる。それは、WMO(世界魔法科機構)という巨大組織が、法も道理も通じない理不尽なまでの機関であるという何よりの証拠だった。
「……まあ、向こうの本当の狙いが精霊シルフの契約者である風香で、ガキンチョ(さいか)が来ねえってなっても、運が良けりゃ『行儀の悪いガキだ』でスルーされる可能性もゼロじゃねえけどよ……」
(……ノーマッド。違法魔法少女、か……ん? 待てよ?)
重苦しい空気の中、俺の脳内に、天啓のような邪悪な閃きが降りてきた。
(それはそれで、二度と魔法少女にならねぇ『完璧な理由』にならねぇか? あのクソキノコだって、流石に世界を敵に回してまで俺に変身を強要したりはしねぇだろ。つまり、このままシカトぶっこいてノーマッド認定されちまえば、俺は100憶からも魔法幼女からも、永遠におさらばできるんじゃ……!?)
名案すぎる。俺は内心で、ガッツポーズを決めかけた。
世界機構から追われるのは面倒だが、そもそも俺が変身さえしなければ『さいか』という存在はこの世から完全にロストするのだ。
ただの男子高校生に戻ってしまえば、世界中の諜報員が束になってかかってきても、俺を見つけ出せるはずがない。
「……仮にそうなったとしてよ。そのガキが二度と表に出てこなくなるだけじゃねーのか? だったら、別に問題ねぇだろ」
「……」
俺の軽い、試すような言葉に対し、優依は溶けきったフラペチーノの底を見つめたまま、神妙な顔で黙りこくってしまった。
先ほどまでの、甘ったるい放課後の空気が、一瞬にして刺すような冷気へと変貌する。
「……おい。何かあんのか?」
「ん? あぁ、いや……まあ、流石に有り得ねえとは思うんだけどな!」
優依は弾かれたように顔を上げ、俺を不安にさせまいとするような、あからさまな作り笑顔を浮かべた。
(……チッ、下手糞な演技で誤魔化してんじゃねえよ)
「俺はこれでも『協力者』だろ? 隠し事はなしだ。ちゃんと教えろよ」
俺が低く、ドスの利いた声で逃げ道を塞ぐと、優依は観念したように、肺の空気をすべて吐き出すような重いため息をついた。
「……はー。本当に、万に一つも有り得ねえ極論だぞ? まあ、最悪の最悪のケースとして……日本支部がWMOの『友好国』から外される、なんて事態にならねーかなってな。……いや、ガキ一人の欠席でそんな外交問題、あるわけねーよな!」
努めて明るく振る舞おうとする優依だったが、その声の端々には、隠しきれない鋭い緊張が滲んでいた。友好国から外される。
テレビのワイドショーで眼鏡コメンテーターがドヤ顔で語っていた『大人の裏事情(マネーと政治)』の話が、俺の脳裏を不吉な色でよぎる。
「……外れると、具体的にどうなるんだ?」
俺が核心を抉るように問い詰めると、優依は視線を泳がせ、喉に刺さった骨を吐き出すかのように言い淀んだ。
「あーー、まぁ……その……『A級アンヴァーの到来』が、事前にわかんなくなる。……情報の供給が、止まるんだよ」
「…………」
俺の脳内で踊っていたガッツポーズの残像が、音を立てて粉々に砕け散った。
A級アンヴァーの到来が、事前に分からない。
それはつまり、先日のあの大鯨のような、空を覆い尽くす規格外の絶望が、なんの警報も、なんの避難誘導もない日常の空に、唐突に、前触れもなく降ってくるということだ。
商店街の調子のいい親父たちも、学校の能天気な奴らも、そして何より――母ちゃんも、逃げる間もなく瓦礫の下敷きになる。
(……ふざけんな。ガキ一人が呼び出しをブッチしただけで、一国の防衛網を人質に取って機能不全にするだと?)
俺はテーブルの下で、ギリッと拳を握りしめた。
――才牙と優依(刹那)がきらばでフラペチーノを飲んでいた頃から、少しだけ時間は遡る
世界魔法科機構(WMO)日本支部、最上階の支部長室。
普段は氷のごとく冷静沈着な若きトップ、水鏡柊の、腹の底から絞り出されたような怒号が、防音の施された室内を震わせていた。
「ふざけるな! たかが一人の欠席を理由に、友好国から外すとでも言うのか!? そんな横暴な戯言、断じて許されるはずがない! いい加減にしろ!!」
柊が血走った目で射抜いているのは、空中に投影された大型のホログラムモニターだ。
そこに映し出されているのは、プラチナブロンドの髪を隙なく結い上げ、軍服を思わせる冷徹な意匠のタイトスーツに身を包んだ白人女性。
WMO総本部において、事務総長の「声」であり「右腕」とされる絶対的な代行者――ミネルヴァ・アイリーンである。
柊の激昂を前にしても、ミネルヴァの表情はピクリとも動かない。彼女はただ、深淵の底を思わせる冷ややかな眼差しで、極東の若き支部長を静かに見下ろしていた。
「戯言ではありません、水鏡支部長。栄えある精霊『シルフ』の契約者、小鳥遊風香様を、事務総長自らがその御手で讃えたいと仰せなのです」
「……ならば風香一人で事足りるはずだ! なぜ、現場にいた『三名全員』でなければならんのだ!?」
柊はデスクに両手を叩きつけ、身を乗り出して食い下がる。
風香だけならば、まだ理解できる。だが、3人の中には日本支部にとっての秘蔵っ子――『さいか』が含まれているのだ。あの健気な少女を、総本部という魔窟へ連れて行けば、どのような結果になるか、想像するだに恐ろしい。
しかし、ミネルヴァは柊の焦燥などすべて見透かしたように、無機質な声で宣告を重ねた。
「……繰り返します。日本支部長、水鏡柊。これは事務総長からの直々の『命令』です。『シルフの契約者を含む三名を、等しく讃えたい。よって総本部へ招待せよ』……以上。これに、いかなる交渉の余地も存在しません」
「くっ……! だが、候補の中にはA級アンヴァーの単独討伐者も含まれている! その最大戦力が不在の折に、我が国へ再びA級が襲来したならば、貴公らはどう責任を取るつもりだ!」
なりふり構わず、国防という名の「最大の正論」を盾に抵抗を試みる柊。
一国の守護神を引き剥がされることは、日本にとって死活的なリスクだ。いかに総本部の威光であっても、この理屈だけは通るはずだった。
――だが、氷の女は、柊の決死の抵抗を鼻で笑うことすらなく、ただ残酷な『カード』を淡々と卓上に並べてみせた。
「……あなたの国には、まだ『水鏡葵』がいる。
そして――最初の魔法少女『オリジン』の一人が、今なお現役として籍を置いている何を心配する必要があるのでしょう?」
「っ……なっ!?」
その二つの名が唇から零れた瞬間。
柊の顔から一気に血の気が引き、肺の空気をすべて奪われたかのような喘ぎが室内に響いた。
「……夜見様は……現役と言っても、……っ」
ギリッと奥歯を噛み締め、消え入りそうな声で反論を試みる柊。だが、その言葉に先ほどまでの鋭い勢いは微塵も残っていなかった。
総本部は、日本支部が隠してきた『最高機密』の最深部まで、すでに掌握していたのだ。
その上で、「お前たちにはまだ隠し玉(切り札)があるのだから、A級討伐者を差し出せ」と、逃げ場のないチェックメイトを突きつけてきたのである。
完全に言葉を失い、幽霊のように立ち尽くす柊。
それを見たミネルヴァは、初めて微かに口角を吊り上げ、背筋が凍るほどに美しい、けれど心の一切通わぬ微笑を浮かべた。
「それでは、賢明なる回答を期待しておりますわ。『友』である日本の皆様」
プツン――。
一方的に通信が途絶え、支部長室は墓場のような重苦しい静寂に支配された。
「…………っ、クソッ!!」
ドンッ!!
行き場のない怒りと、己の無力さへの絶望を込め、柊はデスクを力任せに殴りつけた。
二十八歳という若さで支部長の座を射止め、かつては最前線で「英雄」と呼ばれた元魔法少女。そんな彼女の知略も、積み上げてきた経験も、世界を牛耳る総本部の『圧倒的な情報力と権力』という暴力の前では、砂の城のようにあまりに脆く、無力だった。
「……あの子たちを、あの化け物共の巣窟(総本部)へ送れというのか……っ」




