第81話 放課後パトロール
放課後。
パトロールという名の、実質ただの「買い出し」に付き合わされ、俺(才牙)と優依(刹那)は第七地区の活気あふれるアーケード商店街へと足を踏み入れた。
だが、入り口を抜けた瞬間、俺は盛大に顔を引きつらせてその場に立ち尽くすことになった。
(うわぁ……マジかよ。正気か、この街……)
アーケードの天井からこれでもかとたなびく、目に痛いほどのピンク色をした巨大な横断幕。
そこにはデカデカと『第七地区の守護天使! さいかちゃん大感謝セール!!』という文字が躍り、ご丁寧にディフォルメされた俺のイラストまで添えられている。八百屋も魚屋も、軒を連ねるどの店先にも「祝・A級討伐!」の派手なポップが隙間なく貼り巡らされていた。
先日の討伐は、決してソロの戦果ではない。刹那と風香、三人の共同戦線であったはずだ。
それなのに、街を挙げてのこの狂乱は、手柄のすべてを『さいか』という虚像一人に集約させている。中身が俺自身であるという事実を差し引いても、その異常な偏りには羞恥心と居心地の悪さがこみ上げ、今すぐこの場から逃げ出したくなった。
――だが、隣を歩く優依の反応は、俺の予想とは真逆のものだった。
「おっ、あっちの店もセールやってんな! へへへ、ラッキー。今日はガキンチョ様様だな!」
自身もまた、あの大鯨を墜落させた主役の一人であるはずの彼女は、掲げられた横断幕と「特売」の二文字に純粋に目を輝かせていた。
自分の手柄がすべてあの「さいか」に奪われ、影も形もなくなっているというのに、微塵も悔しがる様子がない。
そのあまりに屈託のない横顔を見て、俺の胸の奥には、なぜか言葉にできない『もやっ』とした感覚が広がった。
「お前だって、あのA級討伐の現場にいただろ。あんなガキばっかりチヤホヤされて、お前は面白くねーのかよ」
気がつけば、柄にもなくそんな言葉が口を突いて出ていた。
あの時、刹那と風香は自らの魔力が底を突くのも構わず、死に物狂いで大鯨の動きを封じ込めていた。彼女らの命懸けの足止めがなければ、いくら俺でもあんなストレートに巨大コアと嘘つき人形を叩き潰すことは不可能だったはずだ。
それなのに、世間の称賛はすべて『さいか』に向けられ、彼女たちの献身は誰の目にも止まっていない。それが、どうにも座りが悪くて仕方がなかった。
そんな俺の不満げな問いかけに対し、優依(刹那)はあっけらかんとした顔で振り返った。
「んだよ、いいんだよ別に。そんなこと。俺ら魔法少女が街を守んのは、当たり前なんだからよ」
一切の虚勢もなく、ただの揺るぎない事実として、彼女はそう言い切った。
「名声だの、チヤホヤされるだの、そんなもんアタシらには必要ねぇんだよ。街を守るのが仕事。その結果として、今日のご飯が安く買える。……それで十分すぎるだろ?」
商店街。安売りに沸く人々の喧騒の中で、スケバン魔法少女は凛とした笑みを浮かべた。
素直に関心するも、先ほどまでの凛とした横顔はどこへやら。
商店街に足を踏み入れるなり、刹那が吸い込まれるように入り浸ったのは、パステルカラーの暴力が吹き荒れるファンシーショップだった。
(……おい、パトロールはどうした、パトロールは)
俺の心のツッコミを置き去りにして、だらしない顔で、ふわふわのぬいぐるみやファンシーなデコペンを真剣に物色している。
一方、屈強なガタイと三白眼を備えた大男の俺が、ファンシー文具に囲まれて鎮座している姿は、客観的に見て痛々しいを通り越して「不審者一歩手前」だ。
周囲の女子中高生たちが、俺を見てヒソヒソと囁き合っている気がしてならない。……いや、これは被害妄想じゃない。現実に視線が痛い。
「……おい。ここにアンヴァーが潜伏してるとは、到底思えねぇんだけど?」
耐えかねて声をかけると、刹那はきょとんとした顔で振り返り、コンマ数秒のフリーズを経て、顔を真っ赤に染め上げた。
「あ、あん? アンヴァー……?? ……あーーー、違う、これはだな! 俺の『潜入任務』に必要な備品なんだよ! ほら、学校じゃあお淑やかな優依として変装してるだろ!? 流行りものの情報収集も、キャラ作りの一環なんだよ!」
「……じゃあ、その高度な諜報活動の邪魔にならねぇように、俺は店の外で待機してるわ。任務頑張れよ」
逃げるように店を出ようとした俺の学ランの袖を、優依(刹那)がガシッと掴んだ。
「あ、おい待て! アタシを置いて行くな! 一人でこんな店にいたら恥ずいだろ!! これも重要な任務なんだから、バックレたら明日からの報酬(お弁当)は抜きだかんな!!」
結局、俺は周囲からの「美女と野獣」的な痛い視線を全身に浴び続けながら、極めて私欲にまみれた『諜報活動』に最後まで付き合わされる羽目になったのだ。
ようやくパステルカラーの呪縛から解放された俺は、魂が半分抜けかけたような顔で商店街のアーケードを歩いていた。
ウサギのイラストが描かれた可愛い紙袋を提げてホクホク顔の優依(刹那)。
そして『放課後エンジョイ・パトロール』は、まだ終わっていなかったらしい。
「おい才牙、次はあそこだ!」
優依(刹那)がビシッと、指揮官のような鋭さで指差した先。
そこには緑色のロゴマークでお馴染みの、お洒落なカフェチェーン『キラリンバックス』――通称『きらば』が、キラキラとしたオーラを放って鎮座していた。
「あ? きらば? ……おい、まだ行く気かよ。てか、お前、それ完全にただの寄り道だろ。」
「バ、バカ野郎! 潜入捜査ってのは流行りに疎いと足がつくんだよ! クラスの女子たちが『きらばの新作が〜』って盛り上がってる輪に混ざれないと、アタシの設定にヒビが入るだろ! これも立派な、情報収集だ!」
顔を真っ赤にして、苦しい言い訳をまくしたてる優依(刹那)。
結局、俺はまたしても抗う術なく強引に背中を押され、眩いばかりのリア充オーラを放つ若者でごった返すお洒落なカフェ――『きらば』へと連行される。
レジの列に並び、俺は店員に向かって精一杯の「無難」を装った注文を繰り出す。
「……アイスコーヒー。普通のサイズで」
「いらっしゃいませ! ドリップコーヒーのトールサイズですね? ホットとアイス、どちらにいたしますか?」
店員の洗練された、それでいてどこか攻撃的な笑顔に、俺の脳内辞書がフリーズする。トール? ドリップ?
「??? あー……アイスで」
「かしこまりました。ドリップコーヒーのトールサイズ、アイスですね。カスタマイズはいかがいたしますか?」
「かすた……? あー、特になしで」
「かしこまりました。ドリップコーヒーのトールサイズ、アイス、カスタマイズは無しでよろしかったでしょうか?」
「お、おう。それでいい」
なんとか未知の言語との交渉を終え、冷や汗を拭う俺。
だが、隣の優依(刹那)の番になった瞬間、彼女はメニューをチラリとも見ずに深く息を吸い込んだ。
「アタシは期間限定のストロベリー・マカダミア・フラペの、エクストラホイップ、キャラメルソース追加、チョコチップ増量で!」
(どこの異世界の魔法詠唱だよ!)
澱みのない、流れるような早口のカスタマイズ呪文。俺は思わず、その小さな後頭部に呆れ果てたジト目を向ける。だが優依(刹那)はどこ吹く風で、ピンク色の地層の上に純白の山が築かれたような、暴力的なまでに甘そうな飲料を慣れた手つきで受け取っていた。
二人で窓際の席に腰を下ろし、俺は苦いコーヒーを一口すする。
目の前では、歴戦のベテラン魔法少女が、ホイップクリームがこれでもかと盛られたピンク色の甘ったるい液体を、太いストローで幸せそうに、ちゅーっと吸い上げていた。
(……んーっ! 甘くてんめぇ……!)
心の声が漏れ出んばかりの至福の表情。
そこには、スケバンの凄みも、深窓の令嬢の繊細な演技すらも微塵も存在しない。
ただの流行り物と甘いものに目が無い女子高生が、放課後のスイーツを満喫している――そんな、毒気の抜けるほど平和な光景が広がっていた。
山盛りのホイップクリームが地層のように重なっていたフラペチーノを、あらかた吸い尽くした頃。
優依(刹那)はふと思い出したようにストローから口を離し、ストロベリーの香りを微かに纏わせたまま、何気ない風を装って話題を振ってきた。
「そういや、来週には長期休暇……夏休みだろ。才牙はどうすんだよ? 他地区に旅行でも行く計画とかあんのか?」
(あー……そろそろ、そんな時期か)
言われてみれば、学生の特権である輝かしき長期休暇が目前に迫っていた。
俺はアイスコーヒーの結露したグラスを揺らし、溶けかかった氷をカランと鳴らしながら答えた。
「いや、特に何も考えてねーな。……そういうお前はどうすんだよ?」
今の俺には、二億六千万ポイントという巨額を持っている。
その気になれば世界一周でも、札束で頬を叩くような豪遊ができるだろう。
だが、俺の至上命題はあくまで百億ポイントの『なんでも叶える券』だ。一円でも無駄な出費をすれば、それだけあの屈辱の日々が延びる。
母ちゃんも第一区へ出張中で不在だし、家でダラダラと冷房を効かせて過ごすのが、俺にとって最も賢明で平和な選択だった。
俺の問い返しに、優依は「んー」と細い腕を組んで、眉間に皺を寄せた。
そして、窓の外を行き交う平和そのものの学生たちを、どこか遠くを見るような目で見つめながら、ぽつりとこぼした。
「……今までなら、他地区の応援とかだな。あいつら……アンヴァーに、休暇なんてねーしな」
(……バケモノに休暇はねぇ、か)
それは、最前線で幾度も修羅場を潜り抜けてきた『歴戦のベテラン魔法少女』だからこそ吐き出せる、重く、そしてあまりにリアルな言葉だった。
世間が夏休みという浮かれた喧騒に包まれている間も、彼女は血と煙にまみれた他地区の戦場へと、援軍に向かっていたのだろう。
商店街の特売セールに目を輝かせていた姿と同じく、そこには見返りも名声も求めない、『本物の魔法少女の矜持』が静かに息づいていた。
「……けど今は、あのガキンチョの連絡役を拝命しちまってるし、予定は未定だな」
優依は自嘲気味にそう言って、少しだけ困ったように、けれど柔らかく笑った。
(……ヤバいな、なんか変に照れくせぇ)
俺は、とっくに飲み干して空になっているグラスを再び口に当て、残った氷を無意味に鳴らして飲むふりをした。
真正面から特攻隊長の、その飾らない素顔を見るのがどうにも気恥ずかしくなり、わざとそっぽを向いて、窓の外を流れる人々を眺めながらぶっきらぼうに言葉を投げる。
「……まぁ、そういうことなら、休みの間も付き合ってやるよ。どうせ、アンヴァーの探索だのパトロールだのがあんだろ? 俺も暇を持て余してるところだしな」
夏休みの間、俺が「協力者」として付き添えば、優依(刹那)も組織に対する大義名分が立ち、少しは肩の荷を下ろして羽が伸ばせるはずだ。
そんな俺の、お世辞にもスマートとは言えない不器用な提案に、優依はストローを咥えたまま、一瞬だけきょとんと目を丸くした。
だが、次の瞬間。その口元が、だらしなく嬉しそうに緩んだ。
「……んだよ、殊勝な心がけじゃねえか」
優依は慌てて表情を引き締めると、照れ隠しのために空のカップをドンとテーブルに置いた。そして、あくまで「自分の方が上の立場である」と誇示するように、細い指先でビシッと俺の鼻先を指差す。
「言われなくても、お前はアタシの『協力者』だからな! 当然、付き合ってもらうに決まってんだろ! 逃げるんじゃねーぞ!」
「へいへい。仰せのままに」
俺はやれやれと肩をすくめ、わざとらしいほど大きなため息をついてみせた。




