第80話 新しい朝
翌朝。
第七地区の通学路を、俺(才牙)は鉛のように重い足取りでトボトボと歩いていた。
「ふわぁぁぁぁぁぁっ……あー、クソ眠い……」
口が裂けそうなほどの特大の欠伸がこぼれる。
保護者(龍華)の不在をいいことに、久しぶりの一人暮らしの解放感に身を任せ、深夜までゲームとネットサーフィンに没頭しすぎた報いだ。
(……いっそサボりてぇけど、学校から連絡がいって母ちゃんにバレたら、ガチで消されるからな……)
オカンのあのドス黒い殺気オーラを脳裏に描き、俺はブルッと身震いして、重い体を無理やり前へと進める。
俺のスマホの口座には、現在『二億六千万』という、一生遊んで暮らせるはずの魔法ポイントが眠っている。だが、最終目標はあくまで『百億ポイントの完済による魔法幼女からの解放』だ。
二億手に入れたからといって、ここで一円でも無駄遣いすれば、あの忌々しい魔法少女の姿と、おさらばする日が遠のく。
つまり、口座の数字がどれだけ天文学的なものになろうが、現実の俺は「一文無しのヤンキー高校生」のままであり、こうして真面目に登校するしかないのだ。
「才牙君、おはよう。……なんだか、眠そうね」
眠気と格闘しながら歩いていると、不意に、柔らかく可憐な声がかけられた。
振り返るとそこには、指定の制服を凛々しく着こなし、お淑やかに微笑む、深窓の令嬢の姿があった。
クラスメイトの名は優依。
だが、俺はその「猫」の下に隠された凶暴な本性をよく知っている。
その真の顔は、巨大なモーニングスターでアンヴァーを文字通り粉砕する特攻隊長、『刹那』である。
「……ほら、目尻に汚れがついてるわよ。拭いてあげるから、少しだけ屈んで?」
優依は周囲を魅了する純度100パーセントの聖母スマイルを浮かべ、指先で真っ白なハンカチを広げた。
「お、おう。悪いな」
俺が大人しく顔を寄せると、彼女は丁寧に俺の顔を拭う。
だが、至近距離。周囲には絶対に届かない極小のボリュームで、可憐な唇から『スケバン口調』が叩き込まれる。
「(……ったく、朝っぱらから締まらねぇ面してんじゃねーよ。ただでさえ凶悪な人相が、激悪じゃねーか)」
「(うっせぇな。余計なお世話だ、バカ)」
昼休み。
第七地区のマンモス校、その最上階にある屋上は、暗黙の了解で『最凶番長・才牙の専用根城』と化している。
ゆえに、この時間にここへ足を踏み入れる命知らずな生徒は一人もいない。
春の柔らかな風が吹き抜ける静かな屋上で、俺(才牙)と優依(刹那)はフェンス際のベンチに並んで腰を下ろしていた。
「ほら、残さず食えよ。アタシが早起きして作ったんだからな」
「おう、サンキュ。……相変わらず手が込んでんな」
俺は渡された弁当箱を受け取り、パカッと蓋を開けた。
中身は、一粒一粒が立っているツヤツヤの米に、絶妙な塩加減で海苔が巻かれたおにぎりが三つ。
そしておかずのスペースには、ケチャップの赤が鮮やかなミートスパゲティと、縁がカリッと焼かれ、黄身がトロリとした完璧な半熟具合の目玉焼きが鎮座していた。
俺は早速おにぎりを一つ掴んで頬張り、続けてミートスパを箸で器用に巻き取って口に運んだ。口内に広がるのは、どこか懐かしい喫茶店を思わせる、甘味と酸味が完璧に調和した濃厚なソースの味。
「相変わらず美味え」
「ふん。当然だ。アタシの料理スキルを舐めるなよ」
俺が素直に感想をこぼすと、耳の先をほんのり赤くして得意げに鼻を鳴らした。
(そういや、日課の偵察型アンヴァーを倒すにしても、前回の一斉討伐でこの辺りの雑魚は粗方消し飛んでるはずだ。今日はどうすんだ?)
俺は弁当の最後のおにぎりを口に放り込み、咀嚼しながらふとそんな疑問を抱いた。
つい先日、あの『大鯨』とともに偵察型アンヴァーの掃討作戦が行われたばかりだ。現在、第七地区のアンヴァー生息数は最低レベルにまで激減している。文字通り、狩るべき「獲物」が枯渇している状態なのだ。
だが、今の俺の立場はあくまで『魔法の事情を深く知らない、腕の立つだけの現地協力者』という設定だ。ここで「もう雑魚はいねぇだろ」などとメタな発言をすれば、どこでボロが出るかわからない。
俺は空になった弁当箱を丁寧(に、刹那に強要されている作法)にピンク色の包みで縛り直しながら、隣でストイックにサラダチキンを齧っている刹那に尋ねた。
「んで、放課後は何すんだ? いつも通り、あの気味悪ぃ偵察型でも狩りに行くのか?」
その瞬間。優依はチキンをつまんだまま、機械の故障でも起きたかのようにピタッと不自然に動きを止めた。
分厚い伊達メガネの奥で、あからさまに視線が右往左往と泳ぎまくっている。
おそらく彼女自身、現場の特攻隊長として「今の第七地区に狩るべきアンヴァーが残っていないこと」に、この問いを振られるまで気づいていなかったのだろう。
「ん? ……あ、あーー……んーーーっと、あれだ! あれだよ、あれ! 『パトロール』だッ!」
数秒のフリーズと、脳内CPUのフル回転の後。刹那はやけくそ気味に、語気を強めて言い放った。
「は? ……パトロール?」
俺は思わず素で聞き返してしまった。
パトロールって、お前は町内会の見回りのおっさんか。それとも近所の平和を守る防犯ボランティアか。と喉元まで出かかったツッコミを飲み込む。
聞き返されて、よほど恥ずかしかったのだろう。優依は顔を耳の先まで真っ赤に染め上げ、持っていた箸の先をビシッと俺の鼻っ柱に突きつけた。
「んだよ、なんか文句あんのか!? 行かねえってんなら……明日から、バイト代(弁当)は一粒たりともやらねぇかんな!!」
(……出たよ、伝家の宝刀)
「へいへい。行けばいいんだろ」




