第76話 天使スマイル
光の粒子が粉雪のように天へと昇っていく中、さいか(才牙)の目の前に、ふわりと奇妙な浮遊物が舞い降りてきた。
「こんにちは、さいかちゃん。初めまして」
穏やかで、慈愛に満ちた母親のような優しい声音。
だが、その声の主のビジュアルは、俺の常識を軽く超越していた。
(あ? ……なんだこの、でかい風車小屋は)
俺は、眉間に皺を寄せた怪訝なツラでそいつをまじまじと見つめた。
いや、妖精として見れば確かに一回り大きいが、絶対的なサイズとしてはそこまで巨大なわけではない。
ただ、とにかく『顔のド真ん中』にくっついた、カラカラと回る巨大な風車の存在感が異常なのだ。
(……っていうか、その風車、絶対前見えねぇだろ。邪魔じゃねぇのかよ。回転するごとに視界がブツ切りになってんじゃねぇのか?)
心の中で、極めて冷静かつ的確なツッコミの刃を研ぎながらも、俺はそれを声に出すのをグッと堪えた。口を開けば、この鈴を転がすような幼女の声が、俺の「番長としての威厳」をさらに削り取っていくのが分かっていたからだ。
そんな俺の内心の葛藤を、高位精霊であるシルフは「人見知りして緊張している可憐な少女」とでも解釈したらしい。
顔面の風車をクルクルと楽しげに旋回させながら、怪訝な顔で固まる俺の周囲を、愛でるかのようにニコニコと飛び回り始めた。
「ふふふ。あなたが風香の言っていた、さいかちゃんなのね。本当に可愛らしいわ。今後とも、うちの風香をよろしくね?」
「? あ、……う、うん……」
完全に『娘のクラスメイトに挨拶する過保護な母親』のテンションである。
俺は風車が放つ風圧と、予期せぬ保護者面の圧力に毒気を抜かれ、思わずコクリと頷いて、蚊の鳴くような微かな声で相槌を打ってしまった。
大きな瞳をパチクリさせながら「う、うん……」と小さく頷くその仕草は、本人の意図とは裏腹に、端から見れば周囲を浄化しかねないほどの破壊的な愛らしさを撒き散らしていた。
「もー! シルフさん、何してるんですかぁっ!!」
その光景を横で見ていた風香が、たまらず二人の間に割って入った。
敬愛してやまない、さいかに対し、自分の契約精霊がまるでお節介なお母さんのように絡んでいる。それが風香には、いたたまれなくて仕方がなかったのだ。風香の顔は、耳の先まで茹で上がったタコのように真っ赤に染まっている。
「あらあら、風香ったら照れちゃって。お友達の前で恥ずかしかったのかしら。可愛いわねぇ」
「照れてませんっ! もう、シルフさんは黙っててください! ……さいか様、本当にすいません! この妖精、ちょっとお節介なところがあって……っ!」
必死に言い訳を並べる風香と、カラカラと風車を景気よく回して笑うシルフ。
その後ろでは、刹那が瓦礫の上でニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、この珍光景を眺めている。
『みなはん、怪我はない? いま向かっとるさかい、そこで待っててなー』
インカムから、いつもの間延びした雅の京都弁が響き渡る。
その声とほぼ同時に、地響きを立てて瓦礫の山を乗り越えてきたのは、魔法科のエンブレムが刻まれた、装甲車のように無骨な黒塗りの大型車両の群れだった。
次々とドーム跡地に乗り込んできた車両から、防護服に身を包んだ魔法科の職員たちが慌ただしく降りてきて、周囲の残骸の回収や魔力残滓の測定を開始する。
そのうちの一台が、さいかたちの目の前で「キキッ!」と乱暴にブレーキを鳴らして止まった。
後部座席のドアが開き、白衣を羽織った雅がカツカツとヒールを鳴らして降りてくる。
「みんな、ほんまにお疲れ様! さっ、中に入ってゆっくり休んで。ここからの面倒な事後処理は、ぜーんぶうちらの仕事やさかい……」
雅は、大仕事を終えた魔法少女たちを労うように、パンパンと手を叩いて柔和な笑顔を見せた。
――が。
その視線が、風香の隣でフワフワと浮いている『顔面風車の奇妙な物体』を捉えた瞬間、その余裕は一変した。
「って……え、シ、シルフ様ぁ!?」
雅の糸目が限界まで見開かれ、素っ頓狂な裏返った声が響く。
飄々とした「食えない大人」の姿はどこへやら。雅は慌てて姿勢を正し、高位精霊に対する最大級の敬意と、隠しきれない焦燥をその顔に滲ませた。
「お、お久しゅうございます、シルフ様! 風香ちゃんが魔法少女登録しはった時以来ですなぁ。えらい失礼いたしました!」
「ふふふ。お邪魔してるわ、雅」
シルフは顔の風車をカラカラと優雅に回しながら、雅の驚愕をニコニコ笑顔で受け止めた。
「こ、こられてはったんですか!? 何も連絡あらへんかったし、てっきり静観してはるもんやとばかり……!」
「ふふふ。そりゃあ、風香の晴れ舞台ですもの。当然よ」
雅の動揺などどこ吹く風。シルフはまるで『娘のピアノの発表会を見守るステージママ』のような、誇らしげなドヤ顔(風車で見えないが、声のトーンが完全にそれだ)で言い放った。
伝説の精霊としての威厳もクソもない、あまりにも過保護すぎる発言。
その言葉に、当の風香は再び耳の先まで真っ赤にして抗議の声を上げた。
「も、もう! シルフさんってば、本当に恥ずかしいですっ!!」
「あら、事実じゃない。今日の風香は、とびっきり素敵だったわよ? ねぇ、雅もそう思うでしょう?」
「は、はぁ……。そらもう、見事な戦いぶりやったと」
最高位の存在から同意を求められ、タジタジになりながら引きつった愛想笑いを浮かべる雅。
格上の存在に振り回される「やり手」の雅という、普段は見られない貴重な光景がそこにあった。
魔法科の重厚な大型車両に揺られ、一時帰還の途についた車内。
広々とした後部座席では、大仕事を終えて完全に「だらけモード」に入ったさいか(才牙)が、糸の切れた人形のようにしていた。その周囲を、風香が甲斐甲斐しく動き回る。
「さいか様、お水飲みはりますか? あ、お顔に汚れが……今すぐ拭きますねっ!」
自身も魔力欠乏の限界ギリギリでフラフラのはずなのに、さいかの世話を焼く時だけは、どこからか無限の活力が湧いてくるらしい。濡れタオルで俺の頬を慈しむように拭う後輩の姿を、向かいの席に座る刹那が呆れ半分、感心半分といった様子で眺めていた。
「……おめーも相当疲れてるはずなのによぉ、よくやるぜ」
その光景を、隣に座る雅と、風香の頭上を漂うシルフが、にこやかな笑顔で見守っている。
やがて、ひとしきり俺の身だしなみが整えられ、車内が落ち着きを取り戻したところで、雅がパンッと小さく手を叩いた。
「さてさて。討伐前にも言うておいたけど、さいかはんと風香ちゃんは大規模討伐が初めてやさかい、改めて『ポイント』の説明をしとくやね」
雅は手元のタブレットを滑らかに操作しながら、今回の超特大ボーナスの内訳を語り始める。
「まず、今回得られた総ポイントの半分は『妖精界』へ。もう半分は一旦『魔法科』が預からせてもらう。そこから運営や処理の経費として一割ほど頂戴して、残りを参加した人数分で割った額が、それぞれの端末に付与される仕組みや。ここまでは大丈夫やな?」
つまり、純粋な取り分としては、人間側の総取り分のうち、俺、刹那、風香の三人で等分されるというわけだ。
俺が心の中で素早く「ポイントの皮算用」を始めた、その時だった。
「あー、それなんだがよ」
刹那が、思い出したようにぶっきらぼうに口を開いた。
「風香と話し合って決めたんだ。俺らの取り分の『半分』は、そこのガキンチョに回してやってくれ。今回の一番の功労者は間違いなくアイツだしな」
「おそらく、かなりの額になると思います。でも、私や刹那先輩はそこまでポイントには困ってませんから。さいか様、何か理由があってポイントを集めてはるんですよね?」
二人の突然の申し出に、俺はパチクリと大きな目を瞬かせた。
A級アンヴァーの討伐報酬。ただでさえ天文学的な額の半分を、二人は惜しげもなく譲ってくれるというのだ。
「……ほんとに、いいの?」
俺は、素で首をかしげて聞き返した。
すると、刹那は照れ隠しのように鼻の下を指でこすってそっぽを向き、風香は「当然です!」と言わんばかりに力強く頷く。
「気にすんな。貸しにしといてやるよ」
「もちろんですっ、さいか様!!」
その裏表のない真っ直ぐな好意に、俺は男としてのプライドも、ヤンキーとしての意地も、一瞬だけ心の彼方へ放り投げ――。
「……ありがとう」
銀髪をふわりと揺らしながら、自然と、こぼれ落ちるような『純度100%の天使の微笑み』を浮かべてしまった。
「き、きゃああああっ!! さささ、さいか様が笑ってくれはったぁぁぁ! 尊死……っ、今私、尊死しましたぁぁっ!!」
「お、おい風香、落ち着け……って、あー、クソッ、目に毒だぜ…」
限界突破した可憐な笑顔の破壊力に、風香は顔を両手で覆って奇声を上げ、刹那は耳まで真っ赤にして猛烈な勢いで窓の外へ顔を背けた。
その初々しい反応に、雅は口元を袖で隠して「くすくす」と艶やかに笑う。
「ふふふ。そない言うてはるんやったら、取り分は変更しとくやね」
車内は、仲間たちの絆と温かい献身に包まれた、まさに感動の大団円――。
――しかし。
そんな尊い空気のド真ん中で、うつむいた俺の表情は、誰にも見えない影の中で『ドス黒い笑み』へと変貌していた。
(ふへへへ……!! 刹那と風香のポイント上乗せ、ごっつぁんです……!!)
そして、これだけでは終わらない。
『妖精界』に支払われる半分のポイント。その大半は、俺の担当妖精であるあのポンコツキノコ(チーポ)の口座に入るはずだが……。
(さらに、チーポに振り込まれた分の『九割』は、契約(脅し)により当然俺のもんだからな!!! 一気に目標達成への特大ジャンプだぜェェェッ!!!)
魔法科の車は、外見は天使、内心で狂喜乱舞の高笑いを上げているバケモノを乗せたまま、茜色に染まる街を平和に走り抜けていくのだった。




