第74話 VS嘘つき人形・決着
空中に跳躍した才牙の眼下で、大空洞の肉壁と血管を導線にして、数百万ボルトの紫電が狂い回っていた。
自爆特攻を仕掛けてきていた蝶型アンヴァーたちは、その莫大なエネルギーの奔流に呑み込まれ、自爆する暇すら与えられず次々と炭化して霧散していく。
宙を舞いながら、俺は心の中で盛大に悪態をつきつつも、外にいるであろう最高の相棒に向けて、これ以上ない賞賛の念を送っていた。
(ハッ! こんな無茶苦茶な真似すんの、ぜってー刹那の野郎だろ!! 中に俺が居るって分かっててこの容赦のなさ……逆に清々しいぜ!!)
「あいつなら、これくらいぶち込んでも死なねぇだろ」という、死線の信頼。
その身勝手な期待に応えないわけにはいかないが――俺の異常な感知能力は、足元を駆け巡る雷撃とはまた別の、『致死的な予感』が迫っていることを強烈に告げていた。
「おいチーポ!! 死にたくなきゃ俺に捕まれェェッ!!」
「な、なんでや!? さっきは浮いとけ言ったやないか!!」
空中に浮いていたポンコツ妖精が矛盾した命令に疑問の声を上げるが、俺の怒声の迫力に圧され、慌てて俺のスカートの裾へ短い手で必死にしがみついた。
雷撃の嵐が、一瞬だけ凪ぐ。
眼下の肉の床では、四本腕のバケモノ――『嘘つき人形』が、自身の親玉の雷撃を文字通りゼロ距離で浴びたせいで、完全に白目を剥いて天を仰いでいた。
全身から焦げ臭い黒煙を噴き上げ、痙攣しながら立ち尽くすその無様な様は、なんともマヌケで滑稽だ。
だが、それを嘲笑っている暇は、コンマ一秒すら残されていなかった。
「……こいつ、堕ちるぞ」
俺がポツリと、吐き捨てるように呟いた言葉。
「……へ?」
チーポの間の抜けた疑問符が宙に溶けるよりも早く。
俺たちの身体を、胃袋がせり上がるような『強烈な無重力感』が包み込んだ。
空を支配していた大鯨の巨体が、完全に揚力を失い、地上へ向けて自由落下を始めたのだ。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!? 落ちるぅぅぅぅぅ!!」
俺にしがみついたチーポが、眼球をひっくり返して絶叫を上げる。
超巨大質量の、完全なる墜落。
その絶望的な猶予は、わずか数秒。
そして――。
ズドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!!!
大空洞の空間そのものが、上下左右からひしゃげるような、規格外の物理的衝撃。
A級アンヴァー『天蓋の大鯨』が、ついに地上に激突した。
「――――ッッ!?」
天地がひっくり返るような大地震が、大鯨の体内(大空洞)を蹂躙した。
分厚い肉壁が津波のように波打ち、天井を這っていた極太の血管が、耐えきれず無残にちぎれ飛ぶ。
白目を剥いていた『嘘つき人形』の身体も、まるでピンボールの玉のように大空洞の壁から天井へと、凄まじい慣性エネルギーでバウンドして叩きつけられた。
「歯ァ食いしばれ!! 」
俺は全身の筋肉を限界まで引き締め、大質量の激突が生み出した無茶苦茶な慣性力と、荒れ狂う衝撃波の嵐の中で、必死に自分の存在を繋ぎ止めるように体勢を保った。
ズズン……、ガラガラガラッ……。
天地をひっくり返すような凄まじい落下の衝撃と激震が、ようやく大空洞から鳴りを潜めた。
赤黒い肉壁は無惨にひしゃげ、極太の血管がちぎれて体液が濁流のように降り注ぐ、完全なる崩壊空間。
その地獄絵図のド真ん中で、俺はスカートの汚れをパンパンと無造作に払いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「おい、生きてるか? クソキノコ」
足元の肉の隙間に深々とめり込んでいたポンコツ妖精を、つま先でツンツンと無慈悲に小突く。
「も、もう駄目や……し、しんでまうぅ……」
白目を剥いてピクピクと痙攣するチーポ。俺はそれを見て、何の感情も籠もっていない極めて冷ややかな声で言い放った。
「おう、じゃあとっとと死んどけ」
チーポの(心底どうでもいい)生存確認を適当に済ませると、俺は崩壊した大空洞の中を冷徹に見渡した。
視線の先には、大鯨の心臓部たる『巨大コア』が鎮座している。
落下の衝撃と、逆流した雷撃の余波を浴びたせいか、水晶体のようなその表面には、蜘蛛の巣状の深いヒビが何ヶ所も走っている。だが、それでもなお、ドクン……ドクン……と未練がましく脈動を続けていた。
今なら、軽く小突いてやるだけで簡単に粉砕できるだろう。
長かったこの『ボーナスステージ』にも、ついに終止符を打つ時が来た。
だが。俺の目は、目の前の特大の金脈を素通りし、瓦礫ならぬ肉塊の山へと向けられていた。
俺が探している『獲物』は、そっちじゃない。
「……おー、いたいた。まだくたばってねぇな」
崩れた肉壁の下敷きになり、ボロ雑巾のようになっている四本腕のバケモノ
――『嘘つき人形』。
自身の雷撃で丸焦げになり、さらに落下の衝撃でピンボールのように弾き飛ばされたせいで、四肢の関節が生物としてありえない方向にねじ曲がっている。
だが、それでもなお、そいつはズルズルと這いずるように、生への執着を見せていた。
「おい、まだ『喧嘩』は終わってねぇぞ?」
俺は、猛禽類が弱った獲物をいたぶるような凶悪な笑みを浮かべ、ゆっくりと死神の足取りで歩み寄る。
近づいてくる「悪魔」の足音に、嘘つき人形の濁った瞳が、本能的な『恐怖』で大きく見開かれた。
バケモノはパニックに陥り、残った腕を肉壁へと突き立て、再びあの忌々しい自爆特攻の蝶(雑魚)を喚び出そうと必死に足掻く。
……しかし。
親玉である大鯨の意識は、外にいる刹那の痛烈な一撃によって完全に刈り取られている。ホストが機能停止し、供給源が絶たれた今、いくら叫ぼうとも新たなアンヴァーが産声を上げることは二度とない。
「余計な横槍(雑魚)も、もう一匹も出てこねーみてぇだな?」
俺は無様に震える嘘つき人形を見下ろし、首の骨をゴキリと、景気よく鳴らした。
逃げ場のない密室。邪魔の入らない静寂。これ以上ない、最高のリング(遊び場)だ。
「さあ、こっからは誰にも邪魔されない――『タイマンの時間』だ」
『<<☆(/』
嘘つき人形の裂けた口から、絶望の悲鳴が漏れ出した。
――(なんなのだ、この生物は)
それは、A級アンヴァーの心臓部を守護するために産み落とされた、本体に勝るとも劣らない高位の兵装。
通称『嘘つき人形』が、その短い生涯で初めて抱いた「恐怖」という名の根源的な感情だった。
最初、このヒラヒラとした布切れを纏う矮小な生命体が、大鯨の喉奥へと自ら滑り込んできた時、怪物はただ「愚かな獲物が、わざわざ死地へ飛び込んできた」としか思わなかった。
放った予測不能な先制の一撃を最小限の動作で防がれた時は、微かな苛立ちを覚えたが、それだけだ。その後、この小さな生き物は防戦一方となり、ただひたすらに自身の攻撃から逃げ回るばかりだったからだ。
こちらには、物理的制約を無視して際限なく伸びる四本の腕がある。さらには、母体(大鯨)直結の超再生能力と、物量で圧殺する自爆の群れという奥の手もあった。
ゆえに、いずれはこの閉鎖空間で獲物は逃げ場を失い、文字通り塵も残さず擦り潰せる。それは、疑いようのない確定した未来であるはずだった。
それが、どうだ。
「おらおらどうした! さっきまでの威勢はどうしたぁ!? もっと気張ってこいよ、この木偶人形がッ!!」
ドゴォォォォンッ!! ガギィィィィンッッ!!!
視界が、上下左右に、そして前後へと激しく揺さぶられる。
防御に回る暇も、腕を伸ばす隙さえも、コンマ一秒すら与えられない。
急所に一点集中して叩き込まれる、容赦のない、そして鉛のように重い拳と蹴りが、逃げ場のない嵐となってその肉体を蹂躙し続けていた。
網膜に焼き付いているのは、色素の薄いサラサラの銀髪を激しくなびかせ、宝石のような瞳を三日月型に細めて凶悪に笑う、悪魔のような貌。
自身が放つ必殺の黒拳はすべて、その神懸かり的なステップによって無に帰される。それどころか、伸ばした腕を的確に破壊の起点とされ、再生する端からまた根本から無残にへし折られていく。
『$(¥(¥(.22552(¥2(』
嘘つき人形の口からは、もはや威嚇の声も、怒りのノイズも漏れ出さない。響くのは、純粋な激痛と絶望に彩られた断末魔の悲鳴のみ。
四本の腕を滅茶苦茶に振り回して最後の抵抗を試みるが、そのすべてが完璧に捌かれ、がら空きになった胴体に、致死量の重いカウンターが深々とめり込む。
(――おかしい。なぜ、触れることすら叶わない? なぜ、これほどまでに重いのだ!?)
大鯨の莫大な魔力を直接供給されている自分が、なぜ、こんなにもちっぽけな単一の生物に、一方的に蹂躙されているのか。
理解の範疇を遥かに超えた圧倒的な「暴力」の前に、怪物の濁った瞳は、もはや絶望の色に塗り潰されていた。
追い詰められていたのは。
逃げ場を失い、狩られる側(獲物)へと成り下がっていたのは。
――いつの間にか、自分の方だったのである。
ボロボロになり、もはや生物としての形すら崩れかけながらも、本能的な恐怖に突き動かされて後ずさる『嘘つき人形』。
だが、その背中は唐突に、逃れようのない冷たく硬い「壁」にぶつかって止まった。
「はん! どうやら本当に限界みてぇだな。自分の後ろがどうなってるかも、もう分かっちゃいねぇ」
俺が口角を凶悪に吊り上げて顎をしゃくると、『嘘つき人形』はビクンと壊れた玩具のように肩を震わせ、恐る恐る背後を振り返った。
そこに鎮座していたのは、ヒビ割れ、断続的に脈打つ大鯨の心臓部
――『巨大コア』。
無我夢中で俺の拳から逃げ回るうちに、いつの間にか自らの護衛対象であるはずのコアと俺の間に挟まれ、完全に退路を断たれていたのだ。
『/-/-』
それはノイズというより、ひどく虚ろで、乾いた空気が漏れるような音だった。
言語など解さずとも、俺にはハッキリと理解できた。その真っ黒に濁った瞳に浮かんでいるのは、正真正銘、純度100%の『絶望』。
逃げ場はない。手札もない。目の前の理不尽な暴力から逃れる術は、もう、どこにも残されていなかった。
「じゃあな。……まあ、そこそこは楽しめた。その分くらいは、礼を言ってやるよ」
俺は深く腰を落とし、右拳を限界まで後ろに引き絞った。
この忌々しくも高性能な魔法幼女の身体を駆け巡る『渾身の魔力』を、ただ一つの右ストレートに、一切の容赦なく圧縮していく。
光り輝く俺の拳を前に、『嘘つき人形』はぐしゃぐしゃになった貌を振り乱し、最後に何かを懇願するように、あるいは呪いでも吐き出すかのように叫んだ。
『4.45577/「.「552(%・$//5…・(7765°//』
大空洞に響き渡る、鼓膜を劈くような命乞いか、それとも最期の恨み言か。だが、俺はそんなバケモノの断末魔を、容赦のない身もふたもない返事で真っ向から掻き消した。
「何言ってっか、わかんねーんだよ!!」
ドガァァァァァァァァァァァァァァァンッッ!!!!!
踏み込んだ赤黒い肉の床が爆発したかのように砕ける。
放たれた右ストレートは、圧縮した虹色の魔力を纏い、立ち尽くす『嘘つき人形』の胴体を紙切れのように容易くぶち抜いた。
だが、俺の拳はそこでは止まらない。
敵の肉体を貫通したその威力を一点も減ずることなく、背後の『巨大コア』のド真ん中へと、深く、深く突き刺さった。
ピキッ……! パキパキパキィィィッ!!!
時間が完全に停止したかのような、一瞬の静寂。
超高密度の魔力結晶体であった巨大コア。俺の拳を起点として、そこに致命的な亀裂が網目状に走り、瞬く間にその全体を侵食していく。
『――――――――/-/-/-/-/-/-』
大鯨の、そして『嘘つき人形』の、文字通りすべてが瓦解する音。
カァァァァァァァァァァンッッ!!!
目を開けていられないほどの眩い光の奔流とともに、A級アンヴァー『天蓋の大鯨』の命の源が、宝石の欠片のように粉々に砕け散った。
同時に、俺の腕に串刺しにされていた嘘つき人形の身体も、霧散していく。
吹き荒れる光の嵐の中。
俺は右腕を真っ直ぐに突き出した残心の姿勢のまま、肺の中の空気をすべて吐き出す
完全決着。
最悪で最高のボーナスステージが、今ここに、幕を下ろした。




